リュシーの動きが一瞬止まる。
「こんなところで何してるんだ?」
間もなく聞こえて来た声に顔を上げると、霧の向こうに人影が見えた。
距離が近づくにつれ、相手がアンリよりも更に上背がある男だと分かる。
「……あんたこそ、こんなところで何をしているんです」
姿がはっきりすると、リュシーははぁ、と気が抜けたみたいに息をついた。
百九十を越える上背に、精悍な顔立ち。無造作に伸ばされた銀灰の髪は毛量が多く、左目の上を斜めに走る傷跡がより威圧的な雰囲気を醸している。
「ここは
けれども、リュシーはそれにもまるで頓着することなく、溜息を重ねるだけだ。
元々顔見知りであるだけでなく、彼が見た目のわりに気さくな
「あー……そうか。ここはアンリの……」
男は今更気付いたように呟きながら、頭の上に生えている耳を軽く撫でた。
その無骨な指が触れたのは、髪と同色の狼の耳。目と同様、左耳が少し欠けている。背後では、ふさふさとした尻尾がゆらりゆらりと揺れていた。
「――ロイ?」
リュシーは瞬き、僅かに目を細める。
探るように注視すると、ロイと呼ばれた男が、時折何かを堪えるように肩で息をしているのが分かった。
「あぁ……いや、群れでちょっとあって」
「群れで?」
「……あぁ、まぁ……」
歯切れの悪い物言いに、リュシーはいっそう訝しげにロイを見る。
するとロイはふっと口端を引き上げ、話を変えた。
「さがし物は霧霞の花か? 向こうにまとまって生えてるとこがあったぜ」
軽く髪を掻き上げながら、リュシーの手元を指差すロイの表情にさほどの違和感はない。
リュシーは示された小瓶に目を落とすと、
「近いですか?」
ひとまずその話に乗った。
* * *
ロイが教えてくれた場所は予想以上に近く、ジークの鈴の音もなんとか聞こえる範囲内だった。
ロイの様子はいまだ不安定に感じるところもあったものの、それでも会話はちゃんとできていたし、案内も的確だったので、リュシーもそれ以上深入りすることなく蜜の採集に取りかかった。
花の数は今まで見た中で一番多い。これだけあれば十分の量が確保できそうだ。
「……リュシー……」
しばらく作業に没頭していると、傍らの木に凭れかかるようにして立っていたロイが不意に名を呼んだ。
「なんですか?」
リュシーは手を止めることなく、振り返ることもなく平板に答えた。
そこにふっと影が落ちる。視界が陰って、ようやくリュシーは頭上を振り仰ぐ。
「ロ、――」
リュシーの手から瓶が抜かれる。「えっ」とそれを目で追ったリュシーの顎を、くっと長い指先が持ち上げた。
「っ、ん……!」
何をされているのかを把握する前に、唇が重ねられた。
「んんっ……、ぅ……!」
はっとしたリュシーはすぐに目を閉じた。目を閉じたまま、何とか身を離そうとしたけれど、両手をつっぱろうにもロイの身体はびくともしない。
それどころか、まるでお構いなしに顎を捕らえる指先に力を込められ、強引に歯列を割られてしまう。そこから滑り込んできた舌の感触に身を
「ちょ、……んうっ」
角度を変える合間に無理やり言葉を紡ごうとするも、やっぱりうまくいかない。
(な、何なんだよ……っ)
リュシーはわけもわからないまま、心の中で悪態をついた。一方で、ロイのもう一方の手が持つ小瓶の無事を祈る。
あの瓶にはまだ蓋がされていない。もし落とされでもしたらさっきまでの苦労が水の泡だ。目で見て確認できないのがもどかしい。
「……ィ、ロイ……!」
渾身の力を込めてロイの胸を押し返すと、ようやく我に返ったように口づけから解放された。
「あ……ぁ、悪い」
「な、んなんですか、一体っ……」
リュシーは濡れて光る口元を拭いながら、恐る恐る目を開けた。