「き、昨日のようなって……っ」
「覚えていないのか」
「お――ぼえて、は、います……けどっ……。で、でも、あれが……え、ひ、ひとつき……?」
「通常ならな」
「通常ならって……。そ……え、それって、どういう……」
「サシャが言っていただろう。魔法使い以外の血も目覚めさせてしまったと」
「は、はい……確かに、それは、聞きました……けど……」
ジークは瞬き、ぎこちなくも頷いた。思い出すように、「別の血も、って……」と声を上擦らせるその姿に、アンリは軽く息をつく。
面白いくらいに動揺しているジークの双眸を、アンリは見定めるようにまっすぐ見据えた。青みがかった黒い瞳が、なおもぐるぐると揺れている。
構わずアンリは言葉を継いだ。
「その〝別の血〟とは淫魔の血だ」
「…………え……?」
無意識にだろう、ジークの顔に浮かべられていた人好きのする表情が凍り付く。そのまま瞬きも忘れたように、ジークはアンリの目をただ見つめ返した。
アンリは微かに口端を引き上げ、まるで何でもないみたいに説明を続ける。
「お前の場合は、実際の性別とは違う女型の方だが」
「…………お……おん……? な……? え…………い、淫……?」
「――〝淫魔〟ですよ」
なかなか飲み込むことができず、復唱すらできないでいると、不意打ちのように耳元で声がした。
びくりとして視線を向けると、ジークの空のカップにハーブティを注いでくれたリュシーが、ちょうど去って行くところだった。
「い、淫魔……」
ようやく反芻するように口にすると、ジークは急くようにアンリに目を戻す。
「いん、まって…………淫魔って、何ですか?!」
その瞬間、部屋の端へと向かっていたリュシーの手の中で、カチャン! とポットを取り落としそうになった音がした。
* *
一通りの話が終わり、少し出てくるといってアンリが席を立った後も、ジークは放心状態のままその場から動けなかった。立ち上がることもできず、一人テーブルにぽつんと取り残された状態で、気がつけばすでに30分――。
その間、頭の中を巡っていたのは、説明は受けたもののいまだ飲み込みきれない情報の数々だった。
見つめられると何もかも見透かされそうなアンリの瞳は、髪色に近い深い朱色をしていた。そこから極力目を逸らさないように努めながら、ジークは真面目に話を聞いた。
ジークなりに理解しようとはしていたのだ。少しずつでも咀嚼して、何とか飲み込めたこともある。それでもまだどこか他人事のようで、全てにおいて「はいそうですか」という気にはなれないでいた。
「……まだここにいたんですか」
アンリに続いて部屋を出ていたリュシーが、新たなポットを手に戻ってきた。
それに気付いたジークははっとしたように瞬いて、更なる助けを求めるようにリュシーを見る。顔面は蒼白となったまま、眼差しはどこか捨てられた子犬のようにも見えた。
リュシーはひくりと口端を引き攣らせ、はぁ、と息を吐いてから、ジークの傍へと足を進めた。
「考えても分からないことは考えなければいいんですよ」
「え……?」
「何も考えず、あ、そういうことかって、受け入れてしまえばいいんです」
当たり前みたいに言いながら、リュシーはとっくに空になっていたジークのカップに新たなハーブティを注いでいく。柔らかな湯気と共に、先ほどとはまた違う、少しだけスパイシーな香りが立ち上った。