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10.意識がある中で01

「あ……あなたは」


 軽く息を切らしながらも、ジークは努めて背筋を伸ばそうとする。

 けれども、兆しかけていた下腹部を隠したい気持ちも捨てきれず、身体の前で持つストールが動かせない。


 騎士を志願していたこともあり、できればせめて両手は身体の脇に添えて姿勢を正したかったが、結局そうできないまま、ジークはひとまず頭を下げた。


「ジ、ジークリードといいます。えっと……」


 深々と身体を折ったのち、おずおずと顔を上げる。けれども、依然としてアンリは鳥籠の中を無言で見つめたままだった。


「あ……あなたが、アンリさん……で、合ってますか……?」


 ジークにとっては初対面だったが、リュシーから夕方には戻ると聞いてもいたし、その部屋アトリエへの馴染み方からしても、恐らく間違いないだろう。そう見当をつけたジークは、再度ゆっくり室内を見渡して、まもなくそれを確信に変えた。


 視線の先――傍らの机の上に、見覚えのある封筒が置かれていた。既に開封済みとなっていたそれは、ジークがサシャから預かってきたものだった。

 今朝にはなかった封書それがそこにあるということは、それを持って出たというアンリが戻ってきたということに違いない。


「すみません、俺……サシャ先生からの……」


 ジークが改めて口を開こうとすると、不意にアンリが振り返る。

 所作に合わせて、片側で緩くまとめられた朱銀の長髪が柔らかく波打った。やがてまみえたその相貌は目を瞠るほどに整っていて、ジークは無意識に息を呑んだ。


「……不快だな」


 滑らかで艶のある声が耳朶を打つ。

 アンリは不意に踏み出すと、けれどもジークには一瞥もくれず、奥の部屋へと続く扉の前へと足を進めた。


 まるで自分の姿が見えないみたいに、すぐ横をすり抜けていったアンリの挙動に、ジークは些か戸惑った。

 それでもその動きを目で追うと、アンリが不意に扉へと片手を掲げ、口の中で何事かを呟いたのが分かった。


 ――その瞬間、扉の向こうの気配が消えた。


 だが、そのせいでかえってジークは意識してしまう。

 先刻までの理解不能な状況を思い出し、思い出すと、腰の奥が勝手に疼いて、官能が引っ張られそうになる。


「覚えていないらしいな」


 それを引き留めたのはアンリだった。

 アンリは一つ息をつき、それからジークに目を向けた。


「昨夜のことは、何一つ……」


 今度こそまっすぐ向けられた声に、ざわりと肌が粟立つような感覚がした。


「昨夜……え、えっと」


 アンリがジークの方へと一歩踏み出す。かち合ったその眼差しが、ジークをその場に縫い止める。

 深い朱色の光沢を帯びた双眸が、ジークの青みがかった黒い瞳を値踏みでもするかのように見つめていた。


 距離を詰められ、手を伸ばされる。

 その指先が、ジークの顎先に触れた。


 ――どくんと大きく心臓が鳴った。


「えっ……あ、な、何……っ」


 アンリに触れられたとたん、かくんと足から力が抜ける。くずおれそうになった身体をわかっていたみたいに引き上げられて、慌てて「すみません」と身を退こうとしたけれど、それすらままならなかった。


 せめてもと、アンリの肩や腕に両手で掴まり堪えてみたけれど、今度はその拍子に持っていたストールがするりと抜け落ちてしまった。


「っわ……ぁ!」


 とっさにそれを掴もうとするが、すんでの所で届かない。しかもそのまま、一気に視界がぐらりと傾いで――。


「何をしている」


 耳元に、呆れたような声が落ちる。

 かと思うと、次にはぐっと腰を引き寄せられて、


「……っ」


 気がつくと、ジークはすっぽりとアンリの腕の中に抱き留められていた。

 そしてその瞬間、


「――っ、あ、ぁ……!?」


 鳴りを潜めていたあの香りが、弾けるようにして周囲に舞い上がった。


「な、なに……なんか、俺っ……」


 ジ、と思考にノイズが走る。

 纏わり付くようなそれが濃くなるにつれ、酩酊したみたいに意識が揺らぐ。


 そこでようやくジークは気が付いた。

 いつのまにか、身体が再び熱を帯びている。まるでギルベルトとの先ほどまでの感覚を思い出したかのように、自身がしっかりと兆していることを自覚していっそう動揺する。なんて、頭ではほとんど覚えていないのに――。

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