ジークの意識は、夢と現の狭間を漂っていた。
うっすらと汗を浮かべた額を、ふわりと揺れた前髪が撫でる。
リュシーが部屋を出て行ってから、どれくらい経っただろうか。
リュシーの予想通り、床にはブーツが転がっていた。
けれども、あの時の物音の正体はそれだけじゃなかった。突風に煽られた窓が、一カ所開いた音でもあったのだ。リュシーが急いだせいか、完全には閉まっていないところがあったらしい。
「……っと」
結果開け放たれていたその縁に、何かが飛来する。直前に空中浮揚を挟んだためか、着地の音はなく、降り立ったそれはするりと室内に入り込んできた。
黒尽くめの影の背中には蝙蝠のような羽があった。それが霧散するように消える。
「――こいつか?」
ベッドへと近づいて行く人型のそれは、ジークより高く、アンリより低い上背の男だった。浅めに被っていたフードを背中に落とすと、黒銀色の短髪と双眸が露わになる。褐色の肌。犬歯と耳の先が通常の人間より少々尖っている。
男は身を屈め、眠るジークの顔を覗き込んだ。
「あ――。さっきよりかは収まったけど、それでもすげー匂い」
確認するように頷くと、楽しそうに目を細め、そのまま首筋の肌をぺろりと舐める。味わうように意識すると、その甘やかな味と香りに僅かに目を瞠った。
きわめて美味――とばかりに舌なめずりして、男はジークの顎先に指をかける。
少しだけ上向かせると、開いた唇の隙間から熱っぽい吐息が漏れてくる。誘われるように、そこに自分のそれを重ねた。
「……っ! ぅえっ」
けれども、次の瞬間、男は弾かれたように身を退いた。
さっきとは別の意味で舌を出し、傍らにぺっぺと唾を吐く。
「まぁ――っず! なにこれ、薬の味?!」
男は苦々しく顔を歪めながら、口元を拭う。
蠱惑的な甘さはあるものの、その奥にどうにも不快な何かが潜んでいる。それを敏感に感じ取った男は、しばらくジークの唇を名残惜しそうに見つめていたが、再びそれを試そうとはしなかった。
――しなかったが、その手は改めてジークへと伸ばされた。
「キスがダメでも、やることはやれるからな」
口元に笑みを貼り付け、男はジークの上へとのし掛かる。微かにベッドの軋む音がしたが、隣室まで届くほどのものではなかった。
男はジークの首筋に顔を寄せ、すんと香りを確かめてから、再度素肌に舌を這わせた。
* * *
アンリは心持ち飛行スピードを上げた。
その眼前に、ひらりと一枚の白い羽根が飛んでくる。
僅かに顔を逸らせてそれを避けると、今度は前方に大きく翼を広げながら飛翔する人影が目に入った。
「――ラファエルか」
呟きながら目を細め、そのまま一気に距離を詰める。
「やぁ、アンリじゃないですか。仕事ですか?」
隣にさしかかると、ラファエルと呼ばれた男がアンリに気付く。
ラファエルは白金色のつややかな長髪をなびかせながら、金色に煌めく瞳に柔らかい笑みを滲ませた。
けれども、アンリは問われたことには答えず、
「お前こそどうした。
「あぁ、ええ……そうなんですけど。ギルベルトが……」
「あの
吐き捨てるように言って、さっさと箒の速度を上げた。
「そこが可愛いんですよ」
アンリの速度に合わせようと、ラファエルが翼をはためかせる。苦笑気味に言いながらも、その表情は満更でもなさそうだった。
アンリはやはり何も答えず、更に速度を上げた。
「で……お前はどこに向かっている?」
詳細を聞くつもりはなかったが、無言のまま併翔されると問わずにはいられなくなる。
アンリは飛行速度を落とすことなく――どころか、むしろ上げているのに――それにずっとつかず離れずで飛翔するラファエルを一瞥した。
ラファエルは一つ瞬き、それからにこりと微笑んだ。
「