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ジークと薬02


 *  *  *


「冗談じゃねぇ……」


 リュシーは汗に張り付く前髪を掻き上げながら、閉めきった扉を背に頭上を仰ぐ。

 何かを堪えるように歯噛みして、目を細め、その傍ら、ドア越しに室内の様子を探る。


 少しは落ち着いてきただろうか。

 先ほどまでに比べれば格段に減った物音に、リュシーは大きく息をつく。


「あのご主人くそやろう……適当なことばっか言いやがってっ……」


 吐き捨てるように呟くと、応えるようにガタン! と響いた音にびくりと肩が揺れた。

 そんな自分の反応に舌打ちしながら、再度背後に意識を向ける。

 けれども、それきり気になるような音も声も聞こえては来なかった。


 リュシーはそのままずるずると足下にへたりこんだ。不自然に乱れた襟元を掻き寄せながら、忌々しげにため息を重ねる。


(なんで俺がこんな目に……)


 主人アンリはまだ帰らない。

 夕方まではもつだろうと聞いていたが、実際には昼すぎまでも、もたなかった。



 *  *  *



 数時間前――まだリビングで話し込んでいた時のことだ。

 目を覚ましてから昼頃までのジークは、確かにすっかり落ち着いて見えた。

 明るく真面目で一生懸命。素直で優しく、かつしっかりとした面もある――見るからに人好きのするその性格は、アンリとはまるで正反対にリュシーには映った。

 まとう空気にも一切の険がなく、久しく触れた覚えがないほどのその清白ぶりは、感心を通り越して呆れてしまいそうなほどで、


(……気を抜きすぎた)


 それが何よりの失態だった。


 カチャンと音を立てて、カップが倒れたのに気付いたときには、ジークの息はすでに上がっていた。ふわりと漂ってきた匂いに気付いたのもその時だ。

 そこから一気に濃くなった甘い香りに、リュシーは束の間、気圧されたように動けなくなった。


 辛うじて上げた視線の先で、ジークは苦しいように自分の身体を掻き抱いていて――。

 かと思うと、次の瞬間、糸が切れたかのように意識を失った。


 ジークはそのまま床へと崩れ落ちた。どさり、と響いたその音に、ようやくリュシーの時間が動き出す。

 慌てて傍へ駆け寄ると、ジークはなまめかしい吐息を漏らしながら、微かにまぶたを震わせていた。


 リュシーの頭の中に、昨夜の様相が蘇る。この家ここに来る前――リュシーがジークを拾いに行ったときと、似ている気がした。


 リュシーは急くようにジークの身体を抱き上げた。

 触れた先から、何とも形容しがたい空気が纏わり付いてくる。

 きわめて甘く、強制的に官能を擽るようなそれは、元々影響を受けにくいはずのリュシーにまでも強引に火をつけようとする。


(うっとうしい……)


 煽られたって、リュシー自分は達けないのに――現状いまのままでは。


「間に合わなかったら、じゃ、ねぇよっ……」


 リュシーはじわじわと体温を上げるジークを抱えたまま、リビングを飛び出すと、


「こんなの、どうせ想定内だろ……!」


 吐き捨てながら廊下を突っ切り、次いでアトリエの扉を蹴り開けた。

 リュシーはそこから更にひとつ扉を抜けて、ジークを奥の部屋のベッドに下ろす。

 それからすぐにアトリエに戻り、今度は作業台の上へと視線を走らせた。


 間もなく目に止めたのは、今朝方ジークが気にしていた、不思議な色合いの液体が入った瓶だ。焦れたようにそれを手に取り、急いで奥の部屋へと向かう。


「!」


 けれども、そこでリュシーは足を止める。

 とっさに口元を覆ったのは、先とは比べものにならないほどに濃くなった香りが、部屋中を満たしていたからで、


「リュシー、さん……」


 そしてベッドに寝ていたはずのジークが、いつの間にか身を起こし、艶然と微笑んでいたからだった。

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