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アンリとカヤ02

「そうなの?」


 カヤは思わず目を瞠る。


「それにしてはこの辺、しばらくページ続いてるけど……」


 ぱちりと瞬き、紙面を指さすと、アンリはどこか皮肉めいた物言いで、「簡単に言えばな」と呟いた。

 カヤは「なるほど」と頷き、再び紙面に目を戻す。


「……分かった。とりあえず全部読む」


 そして先へと読み進めながら、片手間に会話を続けた。


「ていうか……アンリもそうってことだよな。そういう、衝動っていうか……」

「一応その血は入っているからな」

「そっか。そうだよな」


 アンリにも淫魔の血が入っている。それはカヤも以前から知ってはいたのだが、いまだにその実感は乏しいままだった。カヤにとってアンリはあくまでも魔法使いとしての同胞であるためだろうか。実際にその特性を見たことがないのも大きいのかもしれない。


「……とは言え、私にはすでに耐性があるから、いまとなっては発情自体、あってないようなものだ」

「あ、そうなんだ」


 発情……発情か。

 カヤは反芻するように心の中で独りごちると、文字を辿っていた指でその項目を探した。「これか」と小さくこぼし、そのままさらさらと速読する。


「あぁ、この襲う襲うって書いてあるのは、主にこの〝発情中〟の時のことか」


 そこには、〝淫魔には定期、または不定期に起こる発情期がある〟と書かれていた。定期の場合、概ね月に一度、3日〜7日程度続くことが多いらしい。

 そして発情については、〝個人差はあるものの、基本的には生活に支障が出るほどの強い性衝動に駆られること〟と補足されていた。


 個体によっては、衝動それを完全に抑制コントロールすることができ、耐性がつけば発情自体起こりにくくなることもあると書かれている。ただし、その割合は1%以下とか――。


(アンリはそこに入ってるってことか……)


 さすがというか、なんというか。彼らしいと言えば彼らしい。だからこそ余計に淫魔としての印象がないのかもしれない。


 カヤは感心するように頷くと、一旦視線を上げて、確かめるようにアンリの顔を見た。


「けど、アンリにもあるにはあったんだよな? 発情期……」

「まぁ、もともと私は平均より少なかったがな」


「……ちなみにそういうときって、どうしてたんだ?」

「そんなものは手早く発散して終わりだ。相手に困ったこともない」


「……なるほど」


 カヤはその内容を、きわめて真面目に咀嚼した。アンリはどこか調子が狂うとばかりに、あからさまな溜息をついた。


「……いいから先を読め。なんで私がそこまでお前に聞かせねばならん」

「えっ……はは。それはあれだよ。〝賢者さま〟の知識欲からくる興味っていうか。……いや、嘘。単なる好奇心かも」


 思い出したようにカヤが笑うと、アンリはいっそう冷ややかな眼差しをカヤに向けた。

 カヤは「ごめんごめん」と軽く謝ると、


「え……ええっと、どこまで読んだっけ……」


 こぼしながら、再度本へと向き直った。

 そして音読を再開する。


「大半は年齢と共にある程度は自制できるようになり、理解あるパートナーを得ることや、期間中、自ら外部との接触を断つことでやり過ごすことも可能に……」


 読み上げた部分に、そっか、と内心ほっとする。けれども、次には「えっ」と口が開いた。


「……ただし、以下のような報告もある。きわめてまれな症例ではあるが、いったん発情すると、その欲求が満たされるまで半永久的に酩酊状態が続き――」


 続けて読み上げながら、カヤはたじろぐようにわずかに身を引いた。


「……そんな場合もあるのか」

「そうだな」


 当然のように答えたアンリに反して、カヤは珍しく神妙な顔をした。本からアンリに視線を移し、無意識に口元に手を当てて、


「それってさ、どうなるんだ? みんながみんなアンリみたいにすぐ誰か捕まえられるわけじゃないだろ? 相手がいなきゃ、いつまで経っても……」

「そうだな」

「そうだなって……」


「堪えきれなくなれば、後は本能に従うしかないだろうな。適当な相手が見つからなければ、その辺の誰かを襲う――もしくは襲われるかだ」

「襲われる?」


「そういうフェロモンが出る」


 話がそこにまで及ぶと、さすがにカヤの背筋も冷えた。


(それ、多少っていう?)


 知らず、こくりと喉が鳴る。

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