案内されるままに、アトリエを後にして、向かった先はリビングダイニングだった。
アンティーク調の家具が配置された明るい部屋のダイニング部分に、丸いテーブルと椅子が置かれている。ベルベット調の大きなカウチソファが置かれたリビング部分は一部外へと張り出しており、天井も壁もそのほとんどがガラス張りとなっていた。そこから一望できるのは、森の鮮やかな緑が美しい絵画のような景色だ。
ダイニングテーブルに着くよう促され、ジークは無意識に巡らせていた視線をそちらに戻す。
テーブルの中央には、ハーブとおぼしき植物の植えられた小さな鉢が置かれ、その横にはメモ用紙の束、そして一本のペンが立ててあった。
「ハーブティですけど、良かったですか?」
キッチンから戻ってきたリュシーに声を掛けられ、ジークは慌てて顔を上げる。
すぐにこくこくと頷けば、リュシーは持っていたトレイからティーポットとカップを二つ天板に下ろし、早速それを注ぎながら、確認するように言葉を継いだ。
「本当に身体はなんともないですか?」
「え……あ、はい。このとおりです」
ジークは気持ち胸を張って笑った。
リュシーはその姿をまじまじと眺め、それから小さく頷いた。
「では、ちょっとメモらせて下さいね」
ソーサーに乗せたカップの一方をジークの前へと差し出し、リュシーは傍らにあったメモ用紙とペンを取る。
「客観的なものは……おそらく封書の方に書いてあると思いますので、ここではあんたの……」
「はい」
「あ――…えっと。あなたから見た症状を教えて下さい」
リュシーは軽く咳払いをして、ペンを構えた。
そうして始まったのは、まるで問診のような問答だった。
「あ、の……ちょっといいですか」
簡単な質問にいくつか答えたところで、ジークはぱちりと目を瞬かせ、思わず少し身を乗り出した。
「なんですか?」
「先生って……すばらしく腕の立つ魔法使いの先生って、あなたなんですか?」
一瞬の間のあと、リュシーはきわめて心外そうな
「あんなのと一緒にしないで下さい」
顔を背け、吐き捨てるようにこぼされた呟きは、またしても小さすぎて聞き取れない。ジークはその様子に僅かに首を傾げながら、「あの……?」と声をかけようとした。
けれども、それを阻むようにしてリュシーが口を開く。
「俺、ちゃんと名乗りましたよね」
「あ、そっか。先生の名前は、たしかアンリ……さん? あなたは」
「リュシーです。俺は魔法使いではありません」
「そうでした、リュシーさん」
言葉のわりに、リュシーが声を荒げることはなく、ジークは素直に反芻するように頷くと、改めて質問の答えを探した。
「昨日……昨日からの、俺の様子……でしたよね」
「はい。それまで何もなかったことは分かりましたので」
「あ、はい……えっと、まず朝起きたら、同僚が俺のことを匂うって言い出して……」
口元に手を当て、記憶を辿る。その辺りはまだしっかりと覚えていた。
「で、よく分からないんですけど、いきなり俺を組み敷こうとしたので、慌てて逃げて……それでサシャ先生に診てもらったら、自分の手には負えないから、ここに行くようにって」
「……それから?」
サシャはメモ用紙に視線を落とし、さらさらとペンを走らせていた。
その動きを目で追いながら、ジークは続ける。
「あ、えっと、サシャ先生の応急処置のおかげ? で、それからしばらくは何ともなかったんですけど……。それから、この森についてすぐ、今度は自分でもわかるくらいの違和感が、身体に……」
「違和感。……具体的には?」
「あ……あの、なんていうか」
「はっきりどうぞ」
言いよどむジークに反して、リュシーの態度はきわめて端的だった。
「か、身体が……熱くて」
「
「!」
肩先に触れるほどのさらさらとした青い髪。大きめの瞳を縁取る長い睫毛。言葉は丁寧で笑顔は優しい――。
そんなリュシーに、どこか少女のような印象を抱いていたジークは、その可憐な唇から発せられた言葉に思わず絶句した。
「
しかもそれをそのままメモに書き取っている。
ジークはその手元を見ながら、かあっと顔を赤くさせた。
「……へぇ」
その様子を横目に一瞥したリュシーは、少しだけ面白そうに目を細める。
けれども、次には何事もなかったかのようにメモへと向き直った。
「あ、いや、っていうか……っ。アンリ先生にじゃなくて、リュシーさんに話をするのでいいんですか? ――あ、もしかして助手とか?」
ジークは取り繕うように話題を変える。
するとリュシーはとたんに深い溜息を吐き、
「助手……。間違ってはいませんが、正解でもないです」
「え……どういうことですか?」
首を傾げるジークに、どこか不服そうな
「鏡……さっきの部屋に、なかったでしょ。机の上」
「鏡?」
「持ち手のある、ごてごてとした趣味の悪……古めかしい手鏡です」
「古めかしい手鏡……。……はい、見える範囲にはなかったと思います」
物珍しいもので溢れていたアトリエの様子を思い浮かべながら、ジークはこくこくと頷いた。
リュシーは溜息を重ねて、「そういうことです」と独り言のように短く言った。
(鏡を置いていかなかった、イコールこれが俺の仕事だってことなんだよ)
思いながら、リュシーは半ば無意識に、忌々しげに舌打ちもする。
その様子に一瞬顔を凍らせたジークだったが、次にはリュシーが笑顔を見せたことで、まんまと流されてしまった。
「――では、続きを」
リュシーはペンを持ち直し、さっさと次の質問に移った。