「あの、すみません……」
開け放たれたままの扉の陰から、ジークはおずおずと隣室を覗く。
隣室はアンリのアトリエで、広いテーブルやキャビネットはたくさんの細々とした物で溢れていた。
「リュシーさん……?」
先刻の青年――リュシーを探して、ぐるりと室内を見渡してみる。
けれども、そこに人の気配はない。
ジークは僅かに逡巡し、それからゆっくりと隣室の中に入った。
「し……失礼します」
改めて一望してみても、やはり誰の姿も見当たらない。
「わぁ、すごい――」
おかしいな、と思っていると、ふとその視線が机に置かれていた一つのガラス容器に釘付けになった。
中を満たしていたのは、ただそこにあるだけで、微妙に色合いの変化する不思議な液体だった。
感嘆の息を漏らし、ジークは思わずそのガラス容器に手を伸ばす。
揺らせばもっと鮮やかに色が変わりそうな気がして、半ば無意識にそれを試してみたくなった。
「触らない方がいいですよ」
その手を、背後からの声が止めた。
振り返ると、そこにはリュシーが立っていた。
リュシーの背後には、銀細工のスタンドに掛けられた、同じく銀細工の鳥籠が掛けられていた。その止まり木が、ゆらゆらと揺れている。
しかし籠の中は空っぽで、よく見ると扉も付いていないようだった。
掲げていた手をそのままに、ジークは「え?」と声を漏らした。
(いつのまに……)
状況がすぐには飲み込めない。鳥籠のことも気になるけれど、何よりリュシーはいつからそこにいたのだろう?
「何か用ですか?」
思わず凝視するジークに対して、リュシー本人は涼しい顔でにっこりと笑う。
その笑顔に気圧されそうになりつつも、ジークはなんとか口を開いた。
「あ、あの、俺の荷物の中に、封書がなかったかと思って……クローバーの刻印のある」
「ああ、ありましたね」
「えっ、それって今どこに……」
「ご主……あー…っと、魔法使いの先生が持ってるんじゃないですかね」
「え?」
「俺が拾って渡しました」
リュシーは言葉少なにそう言うと、小さく首を傾げた。
「余計なことでしたか?」
「あっ、いえ! むしろ助かりました」
ジークは慌てて首を振り、それから不意に破顔する。
「もともと、お世話になる魔法使いの先生に渡して下さい、とのことだったので」
「……そうですか」
「拾ったってことは、俺が落としたんですよね。良かったです、なくすようなことにならなくて」
ジークは少しだけはにかむように言って、頭を下げた。
リュシーは瞬き、僅かに眼を細めた。
「っていうか……本当に覚えてないんですね」
「え?」
リュシーの呟きは小さかった。
はっきり聞き取れなかったジークは問い返したが、そこに返されたのは別の言葉だった。
「身体は大丈夫ですか? 大丈夫そうなら、お茶にしましょう」