ジークは思わず顔をしかめた。
一瞬閃いた気がした記憶の断片は、結局何にも結びつかなかったが、そのわりにもやもやとした余韻のような物を残し、それが妙に不安を煽った。
それを振り払うように頭を振ると、
「あ、すみません。不躾でしたね」
熱を測ろうと額に手を当てていた青年が、申し訳なさそうに身を引いた。
「あぁ、いや……」
はっとしたジークは慌てて言い繕おうとしたが、青年は何を気にするふうもなく、「とりあえず、熱はないようで良かったです」と、ただにこりと笑って頷いた。
「あ、俺、リュシーです。何かあったら呼んでください。隣の部屋にいますので」
「リュシー、さん……」
「はい。以後よろしくお願いします」
リュシーと名乗った青年は、そのまま軽く会釈を残して踵を返す。
その背に、今更ようにジークは声をかけた。
「あ、あの、すみません、ジークです。ジークリードと言います。えっと、ここは……。確か俺、アンリさんと言う、魔法使いの先生を探してて――」
じっと返事を待つジークに、リュシーは「ああ……」と小さく息を吐く。
「いまちょっと出かけています。夕方には帰るとのことです」
「え……じゃあ」
「はい、ここがその〝魔法使いの先生〟の家、で間違いありませんよ」
どこか皮肉めいたその言い様は気になったが、ひとまず目的地には無事辿り着けたようでほっとする。
ジークは気持ち表情を引き締め、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
突然かしこまったように言われて、リュシーはぱちりと瞬いた。けれども、次には「いえ」と笑って部屋を出て行った。
(リュシーさんか……優しそうな人だな……)
一人になったジークは、安堵の息をつきながら、改めて室内を見渡した。
8畳ほどの簡素な部屋には、ジークが横になっていた大きめのベッドと、その横に、数段の引き出しのついたサイドテーブルが置いてあった。その上には、リュシーが先ほど運んで来た水差しとグラスが乗っている。
他にあるものと言えば、リュシーが出て行った出入り口近くの壁際に、整然と積まれたいくつかの木箱と、その上に乗せられた大小様々な麻袋――。
それを何気なく目で辿っていると、うち一つが見慣れた帆布の
自分が使っている物よりも幾分きれいに見えるけれど、使い古されてくったりとした様相は変わりなく、何より蓋の端にはしっかりと〝
(そういえば、あの手紙……)
そこからふと思い出したことがあり、ジークはおもむろにベッドを下りた。
ずれかけたストールを直しながら、自分の荷物の傍に行き、袋を開ける。しかし、そうして中を探ってみても、目的のものは見つからなかった。
「あれ……?」
そこでようやく、視界の端に入った窓から――遮光カーテンの隙間から、明るい陽光が差し込んでいることに気が付いた。
いつのまにか夜が明けている。
「え……え?」
ジークは窓際まで歩み寄ると、勢いよくカーテンを開けた。
「……っ」
眼前を真っ白く塗りつぶすかのようなまぶしさに、思わず顔の前へと手をかざす。
少しずつ目が慣れてくると、そこにはまるで見覚えのない景色が広がっていた。
「え……、ていうか俺……、いつ……どうやって、ここに……?」
呟くと、背筋を冷たい汗が伝った。
ジークは改めて記憶を辿った。昨日の、特に森に入ってからのことを必死に思い出そうとした。
けれども、辛うじて引き上げられたのは、あの不思議な声を聞いたこと――そしてそれに自分が答えてしまったこと、それから身体に異変が起きて、やがて立っているのもやっとになり、
「あ、あの時……俺――」
そしてすがるように取り出した、あの封書のことだけだった。
記憶はそこでぷっつりと途切れていた。
当然だ。その直後には、ジークは意識を手放してしまっていたのだから。