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03.眷属リュシーと隻眼の狼

「すみません、ちょっと退いてください。大人しく退かないとご主人に何されるかわかりませんよ」

 横たわるジークの上空を旋回しながらリュシーがそう声をかけると、いつのまにか群がっていた狼たちが不満げに顔を上げる。そのうちのひときわ大きな隻眼の狼が、あからさまに不機嫌そうな声で答えた。

「……リュシーか」

「お久しぶりです」

「なんだ、こいつアンリの獲物なのか?」

「はい。察しが良くて助かります。正しくはお客様と言うか、依頼人? らしいですけど」

 小さな羽音が消えると共に、地面に降り立った足はすぐさま人のそれとなり、目にかかる青い髪をふるりと揺らしながら、リュシーは相手の前へと歩いていく。

 傍へとたどり着いた時、銀色の狼はリュシーと同様人型の男――狼の耳と、ふさふさとした尻尾は残っていたが――に姿を変えていた。

 男の左目には斜めに走る傷があり、そちらは常に閉じられていた。無造作に伸ばされた銀灰色の髪に、切れ長の鋭い目付き。百九十を越える上背に無駄のない筋肉を纏った体躯は立っているだけで威圧的ですらあったが、

「スイッチ、まだ入れてませんよね」

 すでに何度も顔を合わせたことのあるリュシーにとって、それは取るに足らないことだった。

「スイッチ?」

「あ、いや、スイッチ……は、もともと入ってるのか」

 意識のないジークの前に立ちはだかるようにして佇む男越しに、仄かに漂ってくる甘い香りは気のせいではないようだ。リュシーは誘われるように踏み出すと、男の脇をすり抜けジークの傍らへと膝をついた。

「ああ、これは……」

 意識のないジークの顔や体を、覆い隠していた黒い布ははだけられていた。そうしてさらされた頬に――唇に、うっかり手を伸ばしそうになり、リュシーは小さく頭を振った。ジークが今どんな状態にあるのかは、リュシーにだって察しがつく。

「ふん、何か面倒な事情がありそうだな。久々に面白そうなものを拾ったと思ったら……」

「そうですね。ご主人が目をつける前なら、なるようになるで済んだんでしょうけど」

「ち……あいつのおもちゃに手は出せねぇな」

「賢明です」

 リュシーがうなずくと、男は小さく舌打ちを重ね、諦めたようにひらりと片手をあげた。すると周囲を囲むようにして様子を窺っていた狼たちが、渋々ながらも森の奥へと散っていった。

「ていうか、よくがっつかずにいられましたね。俺よりずっと鼻が効くあんたたちには、この匂い、きついくらいじゃないんですか」

「そうだな。あと五分遅かったらどうなってたかわかんねえな」

 男は顎に手をあて、平然と答えたが、ジークを眺める目つきはまだどこかギラついていた。

 リュシーは近くに落ちていた封書を拾い上げると、続けてジーク自身を抱き上げた。どちらかと言うと細身のリュシーだったが、身長からすれば標準か、むしろ少し軽いかという程度のジークを抱えるくらいのことはできる。完全に意識がないせいで多少重く感じるものの、何度か軽く抱え直すと、改めて隻眼の男を振り返った。

「間に合って良かったです。さすがに真っ最中に踏み込むのは俺も気がひけますから」

「その時は混ざればいいだろ」

「複数プレイは苦手なんで」

 半ば他人事のように返せば、男は一瞬の間ののち、くく、と喉奥でおかしげに笑った。

「なるほど、ヤるなら一対一でってことか。そういう誘い方もあるんだな」

「あんたのその前向きすぎる思考は嫌いじゃないですけどね」

 言い終わるが先か、リュシーは僅かに目を伏せた。その背中に、ふっと青い翼が具現化する。ばさりと広げられたそれが力強く羽ばたくと、足元の木の葉や枯れ草が一気に舞い上がった。

「貸しいちだからな」

「伝えときます」

 視線も向けずに言い残して、リュシーは飛び立った。

 みるみる小さくなっていくその姿を見送りながら、隻眼の男が呆れたように呟いた。

「いや、お前に言ったんだよ」

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