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第3話

樹が根から水を吸い上げる、轟々という音が聞こえてくる。エイリーンとシャウリィは、彼女の中を通って、もう一つの『精樹』へと向かっていた。

 「なんかさ、ちっさい頃思い出すよな。こう、樹の幹に耳つけてさ」

 「ああ。この音を聴くとなんか落ち着くって言って、しょちゅうやってたな」

 「あの頃は、まだ精霊も見えないし、声も聞こえなかったけど、それでもどんなものでも、ああ、生きてるんだな、って言うのはなんとなくわかったな」

 そんな他愛もない話をしながら、進んでゆく。

 「…。そろそろだな、明かりが見えてきた」

 薄暗い中を進んでいくと、その前方に明かりが見えてきた。最初は点ほどの明るさだったそれは、近付くにつれどんどんと大きさを増してゆく。

 「行くぜ」

 そういって、シャウリィに注意を促す。シャウリィは了解したことを、無言で頷くことで伝える。

 その様子を見て、エイリーンは大きく息を一つ吸うと、一気に光の中へと飛び込んでいった。

 光の中を潜り抜けて外に出た瞬間、その場のあまりの澱んだ気に、エイリーンは軽い吐き気を覚えた。

 「……、街道の比じゃねぇな、こりゃ」

 そこは、先ほどいた広場と同じような感じだが、空は鉛色に濁り空気は澱み、足元はぬかるんで異臭を放っている。

 「どうやら、『精樹』の仕業と見て間違いないようだな」

 そう言いながら、シャウリィが指差した先には、彼らの目的のものがあった。指物ギルドのものと思しき荷馬車が四台、無残な姿を晒していた。

 「うへぇ、これホントに行方不明になったの一月前かよ?信じらんねぇな…」

 『この場所は、異様に土気が強いようじゃからのぅ。腐敗するスピードも恐ろしく速くなっとるんじゃろぅ』

 「それにしてもエゲツねぇなコレ」

 そういって、軽く荷馬車にけりを入れると、ほとんど音も立てずに崩れ落ちる。

 「死体が見当たらないな」

 資料と一緒に渡された、記録用の宝石でこの状況を撮影しつつ、シャウリィが言った。

 「こんだけ腐敗のスピードが速いんだ。もう隊商のは残ってないだろうな。隊商のより新しい冒険者の死体だってこの有様だ」

 そういって、傍らに転がっていた、何かに殴られてひしゃげた金属の胴鎧を指し示す。その中には衣服の一部しか残されていない。

 「さて、どう報告したものか。『腐敗の呪いらしきものがかけられた場所に迷い込んで、そこで呪いにやられた』でいいか?」

 「まぁ、そんな感じでいいだろ。さて、取るもんとったし、さっさとずらか…」

 そこまで言ったとき、凄まじい悪寒を感じて反射的に振り返った。

 それは、離れたところにある、立ち枯れた巨大な樹から発せられていた。どうやら、この場所をこのように変えたものが目覚めてしまったらしい。

 『…、どうやってここへ来た?ルルイドネの差し金か』

 樹の中から男の声がした。そして、次の瞬間には樹の中から出てきて、緑色の髪をした男の姿として実体化する。実体化したといっても、ルルイドネのように全体を樹から実体化させるのではく、上半身だけだ。

 『人間……? 人間がどうしてここにいる! ルルイドネめ、それほどまでに私が疎ましいのか!』

 シャウリィの姿を認めると、檄高して叫びだした。

「ちょっと待て、落ち着け! 俺たちは、只そこで朽ち果ててる連中を探しに来ただけだ。もう用は済んだからここから……」

『黙れ! 誰がここから生かして返すものか! 自分たちが常に正しく、常に一番だと思い込んでいる下劣な生き物が!』

 聞く耳持たずという風に、シャウリィの言葉を途中で遮って叫ぶと、樹に巻きついていた蔦を動かし、鞭のようにしならせて襲い掛かってきた。

 「シャウリィ!」

 そう叫ぶが早いか、咄嗟にシャウリィを突き飛ばし、代わりに鋭い一撃をその身に受ける。

 金属の鎧すらひしゃげさせるその一撃をまともに受け、その華奢な体は無残な肉隗に成り果てる、筈であった。

 「……、痛ってぇなコンチクショウ、死んだらどうすんだよ、このボケ!」

 顔を顰めながらエイリーンが悪態をつく。右肩から左の脇腹にかけて服がざっくりと切り裂かれたが、その後には血はおろか、打撲の跡すら見られない。ただ、何か幾何学的な模様がうっすらと肌に浮かんでいるが、それもやがて消えてしまう。

 『刺青……、『見えざる刺青』だと!』

 「おうよ、全身に入れてるからな。お前のへっぽこな一撃なんざ効かねぇんだよ、このボケ」

 『見えざる刺青』とは、体にではなくその魂に刺青を施すことを言う。まず特殊な針と染料を用いて体に刺青を施し、その後に呪歌を用いて、魂へと転化させた刺青のことを指す。

 刺青を彫るときの肉体的な苦痛はもちろん、転化させるときの消耗も相当なもので、圧倒的な長寿を誇るエルフですら、転化させるときの魂の消耗に耐えられず、死んでしまうこともある。

 『困ったぞい。入ってきたところが封鎖されてしもうたわ』

 何時の間にやら、傀儡虫がでてきて耳元で囁いた。

 「上等じゃねぇか。俺たちを黙って逃がさなかったことを、後悔させてやる」

 『小僧が……。随分と大きな口を叩くものだ。お前は見逃してやろうかと思ったが、気が変わった。その人間と共に、ここで朽ち果てるがいいわ』

 その言葉が終わるや否や、今度は蔦の変わりに、地面から大量の灰色の泥人形が湧き出てきた。

 「朽ち果てるのは、テメェのほうだ」

 そういうが早いか、ククリを抜き放ち、目を閉じてぶつぶつと呪文を唱え始める。どんなに精霊力のバランスが崩れていても、地・水・火・風の精霊は必ずその場に存在する。

 ゆっくりと精神を研ぎ澄ませ、必要とする精霊を注意深く探し出す。そして、ようやっと風の精霊を見つけ出し、こう命令した。

 ―風よ、腐った土くれ達をあるべき肥沃な土へ戻せ―

 その命令を受けて、彼の背後から一陣の風が巻き起こり、泥人形めがけて凄まじい勢いで翔けてゆく。

 その風に巻き込まれた泥人形たちは、一瞬にして乾いた黒い土くれへと変化していく。

 だが、その土くれも地面に落ちるや否や、また元の濁った灰色の土へと変化し、そこからまた新たな泥人形が誕生してくる。

 「キリがねぇな」

 「お前の力よりも、奴の力のほうが上、ということか」

 いつの間にか、エイリーンの傍らに戻ってきたシャウリィがぼやいた。突き飛ばされた所為で、鎧は泥だらけになっている。

 「ああ、腐っても『精樹』だ。精霊を制御する力はあっちのほうが上、魔法勝負じゃ俺に勝ち目はねぇ」

 風の精霊に指示を出しつつ、エイリーンが答える。その顔には、わずかに焦りの表情が浮かんでいる。

 『さっきまでの大口はどうした、小僧? もうお終いか』

 自分の絶対的優位を確信した『精樹』が嘲笑う様な口調で言った。

 「エイリーン。10秒でいい、このぬかるみとあの泥人形を、完全に消すことが出来るか?」

 焦るエイリーンに、そっとシャウリィが声をかける

 「その程度なら、出来ねぇことはないが。お前、まさかと思うが…」

 「そのまさか、だよ。このままじゃ、俺たちはいずれ殺される」

 「…、本気かよ。それはあまりにも…」

 「それしか手がないだろう。まぁ、任せろ」

 そう言いながら、素早く身につけていた鎧を脱ぎ始めた。

 『何の相談だ。逃げる算段か?』

 「貴様を倒す為の相談さ」

 鎧を脱ぎ捨て、左腰に吊り下げた大剣も地面に打ち捨て、服とレイピアのみの身軽な格好になったシャウリィが言葉を返した。

 「あっちの世界に旅立つ前に、いいモン見せてやるよ。目ん玉ひん剥いてよぉぉくみとけよ!」

 そう叫ぶと、額に巻いていたバンダナを一気に引き剥がした。その額にあるものを見て、『精樹』の顔から嘲笑が消え、代わりに驚愕の表情が浮かぶ。

 『し、四霊紋だと…。小僧、なぜ貴様にそんなものが』

 通常、精霊使いが、他者を攻撃するなどの命令を、強制的に聞かせることが出来る精霊は、一種類だけだ。だが、稀に何種類かの精霊を、強制的に使役できる能力を生まれつき持ったものが存在する。それらの術者の額には、必ずあるきまった文様が浮かんでいる。

 二種類の精霊を使役できる能力を持ったものの額には、『二葉紋』と呼ばれる、点を中心に上下に伸びた双葉のような文様。三種類の精霊を使役できる能力を持ったものの額には、『三葉紋』と呼ばれる、点を中心に三つ葉のような文様。そして、四種類すべての精霊を使役できる能力を持ったものの額には、『四霊紋』と呼ばれる、点を中心に四つの花びらを持つ花のような文様。

 エイリーンの額には、この花のような四霊紋が浮かんでいたのだ。

 ー火よ、風と共に腐った土くれどもを灰燼と化せー

 その言葉と共に、一陣の風が頬を撫ぜ、次に炎の熱気が頬を掠めていった。

 その風に巻き込まれた泥人形たちは、一瞬にして乾いた黒い土くれへと変化し、その土は炎に焼かれて、その地面と共に砂へと変化してゆく。

 「今だ、行け!」

 その言葉と共に、その先にある立ち枯れた樹へ向かって、レイピアを抜き放ったシャウリィが駆け出す。               

 もうすでに湿り始めた地面を蹴り、凄まじい勢いで樹へと迫ってゆく。

 そして、樹の幹を蹴り上げてジャンプし、実体化している精霊に向かって、レイピアを突き立てようとするのと、精霊が、せめてシャウリィだけでも道連れに、腕を突き出したのと、ほぼ同時だった。だがその腕は、シャウリィの胸を貫くことなく砕け散る

 『たかが人間風情に……、この私が、倒されるとは……』

 レイピアに貫かれて、口と腕から、ごぼごぼと、どす黒い樹液を溢れさせながら、精霊は呻いた。

 腕はシャウリィの胸を貫くことは出来なかったが、その服を破り胸を引っ掻く事には成功していた。そして、その胸には傷の変わりに、エイリーンと同じ幾何学的な文様が浮かんでいた。

 『人間風情が、よく耐えられたものだな…』

 そう言いながら、シャウリィの右手首を残っている方の手で、ぎりぎりと締め上げる

『は、そうか。そう言う事か。あの小僧のために入れたのか……。あの小僧を護るために……』

「貴様、俺の心を……」

『くっくっく、全く人間という奴は浅ましいな……。それほどまでして、あの小僧のそばに居たいのか。醜いものだな……。お前が心の奥の奥に仕舞い込んでいる、この欲望を知ったなら、あの小僧はどう思うだろうなぁ……。自分を……、女の……、ように組み……敷いて、思うがままに蹂躙したいという、この浅ましい欲望を……』

 そこまで言うと、ガクリと頭を垂れて絶命する。

 「ああ、そうさ…。俺は浅ましい、醜い人間だ」

 死体からレイピアを引き抜きながら、ぽつりとシャウリィが呟いた。



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