「なになに、『先日、我がギルドの隊商が行方不明になる事件があり、それについて独自に調査隊を派遣し、調査した結果、我々の対処できる範疇を超えていると判断したため、数々の有能な冒険者を要する冒険者ギルドに、今後の調査を依頼する事とした』って、要は金ケチって流しの連中使ったが、しくじったからこっちに押し付けようってハラかよ。しかも、俺らがしくじったら、この街の冒険者ギルドの面目丸つぶれ、って奴だ。鬱陶しい仕事だぜ、全く」
部屋に戻った後、依頼書を読み上げながら、エイリーンが毒付く。
「流れ者に鬱陶しい仕事押しつけるのは、まぁギルドの常套手段だろ。まして、此処のギルドの連中は、それほど実践敬啓があるとも思えないしな。で、この件についての「おやっさん」の見解が利きたいんだが」
同封されていた資料に目を通しながら、シャウリィが尋ねる。
「見解が聞きたいとさ。たまにはきっちり働けよな、穀潰し」
憎憎しげにエイリーンが呟くと、どこからともなくしわがれた老人の声が聞こえてきた。
『失礼な奴じゃの。一体ワシのどこが穀潰しじゃ。全く、誰のおかげで病気ひとつせずに過ごせているとおもっとるんじゃ』
その声と共に、ずるり、とエイリーンの右手首あたりから、黒い何かが這い出してきた。『それ』の太さは、大体五ミリほどで、その体はてらてらと光っていて、女の唇のような艶めかしさを感じさせる。
エイリーンの体から這い出してきたものは、『傀儡虫』と呼ばれる、きわめて高い知性を持つ、寄生虫の一種であった。
彼らは、宿主から栄養をもらう代わりに、他の寄生虫や病気から宿主を守り、その高い知性でもって宿主にアドバイスを与えたりする。
古代の魔術師たちが護身用に生み出したといわれているが、絶対数が少ないため、その生態は謎に包まれている。
「お前がいる所為、俺の身長が伸びないんだよ。俺の身長に回るはずだった栄養返せよ、このタコ」
『ええい、些細なことを気にするでないわ、このサル! 大体、それに見合った対価は支払ってやっておるじゃろうが。身長くらいでガタガタ抜かすでないわ』
「まぁまぁ落ち着いて。で、今回の件についてどう思う?」
不毛な言い争いを止めるべく、シャウリィが口を挟む。この
『まぁ、話を聞く限りは、賊に襲われたと考えるよりは、物の怪の類に襲われた、と考えたほうがいいじゃろうて。そんな人がめったに通らぬ古い街道よりは、新しい街道を張っていたほうが見入りもいいじゃろうし、それに、ギルドの製品を売りさばくには、手間も暇もかかるからのぅ』
「じゃ、そっちの路線で攻めていくことにするとして、今日はちと早いが、とりあえず寝るぞ。俺は眠い」
結論がでたところで、強引にエイリーンが話を打ち切った。
『本当によく寝るサルじゃの。寝る子は育つというが、お前は身体の方も、おつむの方もちぃとも成長せんのぅ』
「はぁ?それはてめぇの所為だろうが。このボケ!」
『お前のおつむが弱いのは、ワシの所為ではないぞぇ』
「喧嘩している暇があったら、明日に向けてさっさと体を休めたほうがいいと、俺は思うんだが…」
内心呆れながら、シャウリィが再び口を挟む。
『それもそうじゃの。全くお前さんのいう通りじゃ。こやつに釣られて、年甲斐もなく、熱くなってしもうたわい。しかしまぁ、お前さんの半分でもいいから、このサルにも冷静さと知性があればのぅ…』
「黙って聴いてれば、さっきからナニ勝手な事抜かしてやがるんだ、この穀潰し。しまいにゃ引っこ抜くぞ、このボケ!」
「あー! 何でもいいから二人ともさっさと寝ろ! いくら俺でもしまいに切れるぞ!」
再び起こりそうな舌戦に、ついにシャウリィの堪忍袋の緒が切れる。普段滅多に感情を露わにしない分、その迫力は凄まじいものがある。
そのシャウリィの様子を見て、「おやっさん」は 『じ、じゃぁ、ワシはもう寝るぞぇ』
という科白を言うや否や、素早くエイリーンの中へと引っ込んでしまい、エイリーンも顔を引き攣らせながら、『お、俺もそうするわ。じゃ!』と言いながら素早くベッドの中へと潜り込んだ。
その様子を見ながら、シャウリィは心底疲れたという感じで、大きなため息を一つ吐いた。
翌日、まだ夜も明けきらぬうちに街を出立し、古い街道へと向かった。
街道を二時間ほど歩いた後、目的の場所へと辿り着く。
「資料として同封されてた地図によると、ここが古い街道への入り口になる訳だが…」
地図を片手に歩いていたシャウリィが、地図上で二つの街道の分岐点とされている場所で立ち止まる。指し示した場所には道はなく、ただ鬱蒼と木々が生い茂っているばかりだ。
「ご丁寧に、迷い込まないように結界が張ってあるな。て、事は物の怪の仕業だな、やっぱし。それにしても立派な結界張ってやがる」
その茂みを目の当たりにして、ポリポリと頬を掻きながらエイリーンが呟いた。
街道に結界が張ってあるということは、その道が危険だということだ。資料を見る限り、古い街道は森を縦貫する格好になっていて、森をぐるりと迂回する今の道よりは、格段に早いルートとなっている。その道を棄ててまで、わざわざ不便な道を作ったということは、相当に厄介なものが住み着いた、あるいは相当に厄介な呪いがかけられたということなのだろう。
「まぁ、別にそれを何とかしろ、という依頼ではないからな。原因を見極めたら、さっさと逃げ帰ればいい」
「ま、それもそうだ。んじゃ、ちょっと待っててくれ」
そうシャウリィに言うと、エイリーンはごそごそと木々を調べ始める。そして、ある木の前でその動作を止めると、口の中で何やらぶつぶつと呟き始めた。
その呟きが終わると同時に、その木の根本辺りに、人一人がやっと通れるほどの小さな穴が、ぽっかりと口を開けていた。
「開いたぜ」
とエイリーンが言った。
「随分と小さいな」
と、シャウリィが答える。
「俺ら二人が通るだけなんだから、これ位で十分だろ」
「まぁ、それもそうだな」
確かに、徒歩で二人だけなら、昔の道と同じ幅に結界を解く必要はない。大きな穴を開けようとすると、それだけ精神力を余計に使うことになるからだ
「じゃ、いくぜ」
そう言って、結界の中へと入り込む。中は思った以上に荒れており、敷き詰められた石は崩れて、その間からは草が生い茂っている。
『ひどい場所じゃのぅ』
いつの間にか、エイリーンの首の辺りから傀儡虫が姿を見せていた。その言葉は道の状態に対してではなく、この場を満たしている澱んだ気に対して発せられたものだった。
「ああ、空気が腐ってやがる。俺だったら、絶対こんな場所は通りたくねぇ」
顔を顰めながら、エイリーンが呟いた。エルフは、魔法の力を、匂いとして知覚する事が出来る。善い魔法なら香しい花のような匂いとして、悪い魔法なら腐った肉の様な匂いとして感じるのだ。
「それで、俺たちの探し物の場所はわかりそうか?」
シャウリィが訊ねた。
『匂いを辿って行こうと思うんじゃが、これだけ空気が澱んでいては、少々時間がかかるのぅ』
そう言うと、一度エイリーンの中へと引っ込み、今度は左手からその姿を現した。するするとその体を伸ばし、風にそよぐ葦のように体を揺らす。
『妙じゃの。匂いが途中で街道から外れて、別の方向へ進んでおる。しかもかなり遠くへな』
『ここじゃな。ここから奥へと入り込んでおる』
しばらく道なりに進んだ後、傀儡虫がまた口を開いた。彼が言った場所は、入り口と同じく鬱蒼と木々が生い茂っており、とても間違えて迷い込みそうに無い場所だった。
『どうやら、何者かが意図的に道を捻じ曲げたようじゃの。微かにまだ魔法の匂いが残っておる』
「開けそうか?」
「ああ、まだ微かに開けたときの『力』も残ってるからな。それを利用してこじ開けてみる」
そう言いながら、エイリーンがその茂みに近寄ろうとしたとき、微かに弓弦を引き絞る音が聞こえた。
「何だぁ?」
反射的に、後ろ腰に佩いた短剣を引き抜き、ヒュンという風切り音とともに、飛んできた矢を払う。見事に矢は両断され、彼の足元に落ちた。
彼の持つその短剣は、ククリと呼ばれる、山岳民族が好んで使う幅広の短剣で、装飾等は一切されておらず、実用重視の無骨なものだ。
「同胞のよしみで警告してあげたのよ。悪いことは言わないから、すぐに引き返しなさい」
彼らのいるところの反対側の茂みから、女の声が聞こえてきた。茂みが自然に左右に開き、その間から、その声の主が姿を現した。
声の主は、エイリーンと同じエルフだった。均整の取れた美しい肢体の持ち主で、胸がエルフとは思えないほど豊満なことを除けば、典型的なエルフ女性だ。
ただ、エイリーンと違いその肌は褐色で、綺麗に編み上げられた髪と、ややツリ目がちのその瞳の色は、シャウリィと同じぐらいに黒い。
「ダークエルフ…」
シャウリィが驚愕の声を上げる。
「乳でか…」
別の意味で、エイリーンは驚愕の声を上げた。
「…、驚くところ間違えてるぞ、エイリーン…」
軽いめまいを覚えつつ、シャウリィは相方に突っ込みを入れる。
エイリーンたちは一般的に『ライトエルフ』と呼ばれ、伝説によると、風の精と昼を支配する神々が交わって彼ら生まれ、土の精と夜の神々が交わって生まれたが『ダークエルフ』なのだという。
そして、彼らダークエルフも他のエルフ同様、その長寿ゆえ子に恵まれる機会が極端に少ないうえに、件の神の狂信的な信者によって迫害され、その数は激減していた。
「……、そこの子よりも、貴方の方が話がわかりそうね、人間の子。悪いことは言わないから、すぐに引き返しなさい」
エイリーンの発言に呆れながらも、その巨乳ダークエルフは再度警告の言葉を繰り返した。
「警告はありがたいが、引き返すことは出来ねぇんだな、これが」
ククリを鞘に収めながら、エイリーンが答える。
「何故?」
「この先で起こった事を、この目で見て報告しなきゃならないんでね。お仕事だよ、お仕事」
「仕事って……、まさか、貴方人間に雇われているの?」
今度は彼女が驚愕の声を上げた。通常、エルフは滅多と人の元を訪れることは無く、ましてや人から仕事を請け負うエルフなぞ、彼女は聞いたことが無かったからだ。
『まぁ、いろいろと事情があるんじゃよ。忠告は非常にありがたいんじゃが、どうしてもこの先進まねばならんのじゃよ』
「か、傀儡虫…。そんなもの飼ってるなんて、貴方一体何者なの?」
「好きで飼ってるわけじゃないんだけど」
『まぁ、たまたまじゃよ。わしが仮宿にしていた鮭を、こやつが吊り上げて食ってしもうての。仕方が無いからこやつに憑いておる。ワシとしても、もそっと頭のいい奴に憑きたかったんじゃがのぅ』
「何だとこの…」
また口喧嘩を始めそうになるのを、シャウリィが手で制した。
「危険なのは承知している。忠告は本当にありがたいが、ここで引き返すわけにはいかない」
「…、分かったわ。そこまで言うのなら、もう止めない。でも、そこからいくのは危険よ。安全な行き方を教えてあげるわ。貴方たちが気になっている相手の正体もね。ついてきて」
そう言って、自分が来た方へと踵を返した。促されるままに、彼女の後へとついていく。
「随分と入り組んでるな」
彼女の後について行きながら、エイリーンが呟く。彼が言う「入り組んでいる」と言うのは道ではなく、結界の事だ。
「ええ。相当力のあるものでないと、入ることはもちろん、見つけることすら出来ないようにしてあるのよ」
エイリーンの疑問に彼女が答える。
「着いたわよ」
その言葉と共に、さっと視界が開けた。
そこは巨大な広場だった。そして、その広場の中央に位置する所には、一本の巨大な樹が生えていた。
「ルルイドネ、でてきて頂戴」
彼女が樹に語りかけた。すると、すぅっと樹の中から、緑色の長い髪をした女が抜け出てきて、枝に腰掛けた。
『珍しいわね、リリュス。貴方が誰かをここに連れてくるなんて。しかも随分と変わった取り合わせだこと』
そう言って、エイリーンを見、次にシャウリィを見て、最後にエイリーンの左手の辺りを見た。
『エルフの子に人の子、傀儡虫なんて組み合わせは、もうこの先どれだけ生きても、目にすることは無いでしょう。では、この森へ来た訳を教えていただきましょうか』
「実は…」
と、エイリーンがここへきた理由を話す。ルルイドネという名の精霊は、目を閉じてじっと話に耳を傾け、彼の話が終わっても暫く目を閉じて、何かを考えているようだった。
『何故、お金などというものがいるのですか? 森にいれば、森がすべてを与えてくれるでしょうに』
長い沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。何故エイリーンがそんなものが必要なのか、理解できないといった口調で。
「ああ、確かに森の中にいれば、森がすべてを与えてくれるだろう。無理してこんなヤバイことしなくてもいいし、シャウリィも迫害されなくてすむ。でも、それじゃダメなんだ。森って言う居心地のいいゆりかごから抜け出て、もっともっと広いところで、いろんな奴と渡り合って、強くたい」
『何故、強くなりたいのです?』
その問いに、エイリーンは一瞬口ごもったが、意を決して言葉を続ける。
「……、護りたい人が護れなかった。あんときは俺もガキだったし、過去のことうだうだ考えても仕方ねぇけど、いつも思うんだよ。『俺があの時、もっと強かったら』って。俺はもう、そんな思いしたくねぇんだよ」
『…、分かりました。では、私は貴方が強くなるための手助けをしましょう。私の中を通ってゆきなさい』
ルルイドネはそう言うと、自分のいる樹を指差した。
『気をつけなさい。貴方たちが対峙するであろうものは、元は私と同じ『精樹』でした。ある理由によって、憎悪に歪み人を食うものに成り下がった、哀れな存在なのです』
彼女の中を通り抜けようとするエイリーン達に、彼女はそう声をかけた。
「やばくなったら、すぐに逃げてくるから安心してくれ。引き際は心得てるつもりだ」
彼女の言葉に、そうエイリーンは返した。
「…、あの子達、無事に戻ってこられるかしら?」
彼らを見送った後、リリュスが呟いた。
『あの子達は、確固たる信念を持って生きているわ。信念を持っているものは、なかなか死なないわよ。それに、あのエルフの子。エイリーンといったかしら、あの子はタダのエルフじゃないわ』
「どういうこと?」
『戻ってきたらわかるわ。それにきっと、あの子達なら『彼』を救ってくれる』
そういって。ルルイドネは空を見上げた。
『ここにもやっと、新しい風が吹くときが来たのよ』
「そうだと言いのだけれど」
ルルイドネと同じように、リリュスもまた空を見上げた。
空の色は、抜けるような青色から、いつの間にか鉛色に変化していた。まるで、これから起こるであろう悲劇を予感するかのように。