『煙の
『上弦の
そんな街の様子を、廃墟と化したビルの、剥き出しの鉄骨の上に一人座り込みながら 、ぼんやりと裕一朗は見つめていた。彼は、街を一望できるこの場所が好きだった
数十年前、この地を『大海嘯』と呼ばれる災厄が襲った。街は壊滅状態となり、復興は不可能かと思われた。
しかし、恩赦と引き替えに、思想犯などの囚人を街の復興要員としてあてがった為、『大海嘯』から僅か10年で、『上弦の
過酷な労働で、街の復興にあてがわれた囚人達は、殆どが死んだが、僅かに生き残った者達が、『上弦の
それが『煙の
今は、様々な店や人種が入り交じる、混沌とした街と化していた。
「こんな処にいたのか。夕飯、さめちまうぞ」
背後から声がした。ゆっくり振り返ると、そこには居候先の主であるセイが立っていた。
「もうそんな時間か。分かった、いま行く」
そう言って裕一朗は立ち上がり、ゆっくりとセイの方に向かって歩き出す。
「しかしお前、よくこんな危ないところに座っていられるな」
剥き出しの鉄骨の上を、ゆっくりと、自分の方へと歩いてくる裕一朗に向かって、セイが言葉をかける。セイの風貌は、人種が入り交じっているこの街でも一風変わっていて、ひょろりとした長身に、背中の辺りまで伸ばした血のような色をした赤毛と、青い目に、無精髭を生やし、丸眼鏡をかけていた。
「気に入ってるんだよ。ここにいると落ち着くんだ」
セイの元へ辿り着くと、裕一朗が答えた。
「気に入ってても、ここから落ちたら命はないぞ」
「一度は死んだようなもんだから、別に今更命が惜しいとは思わない」
そう言いながら、ガリガリと裕一朗は頭を引っ掻いた。首筋まで伸びた黒い髪が、その指から零れてゆく。瞳の色も、髪の毛と同じ黒色だ。
「で、晩ご飯は何?」
「チキンカレーとハーブサラダに、デザートはお前の好きなプリンだ」
「お、豪勢だねぇ」
「お前、最近結構な数の掘り出し物、拾ってきてくれたからな。ご褒美だ」
「ご褒美プリン、って奴か。普段金にケチ臭いセイがご褒美くれるなんてねぇ。明日雨降らなきゃ良いけど」
「失礼な奴だな、お前は」
笑いながらセイが言う。
「悪い悪い、じゃ、帰ろうぜ」
ズボンの埃を払いながら、裕一朗が答えた。
廃ビルから出ると、もう陽は殆ど沈みかけていて、代わりに綺麗な上弦の
「『煙の
綺麗に掛かった上弦の
「天にあるものは皆平等さ」
セイが答えた。
「なるほどね」
ちらりと『上弦の
「さ、帰ろうか。コンロにカレーかけっぱなしにしてあるから、焦げてるかも」
ぽつりとセイが呟く。
「かけっぱなしで来るなよ」
裕一朗が抗議の声を上げる。
「煮込んだ方が良い味が出るんだ」
「そりゃそうだけどさ」
そう言いながら、二人は速歩から徐々にスピードを上げてゆき、しまいには、軽いランニング位のスピードになった。
軽く息を弾ませながら、二人同時に家へと辿り着く。
家の庇の上には、精密機械及び生体部品買い取り販売『連源堂』と書かれた古びた看板が掛かっている。
がちゃがちゃと、セイが家の鍵を開ける。扉を開けると同時に、ぷん、と何とも言えない美味しそうな匂いが漂ってきた。
「どうやら、焦げてはいないみたいだな」
ガラクタが堆く積もった中を抜けながら、安心した口調でセイが言った。
「晩飯抜きはごめん被りたかったからな。焦げてないようで良かったぜ」
そう言って、セイに続いて裕一朗は靴を脱ぎ、部屋へと上がり込む。
「腹減ったー。早くメシ喰おうぜ」
そう言いながら、ちゃぶ台を出してセットする。ちゃぶ台をセットすると、次は自分とセイの分の座布団を用意する。その後で、テレビのリモコンを探し出し、テレビを付けた。適当にチャンネルを回して、目に付いたニュースのチャンネルで固定する。
「ほれ、出来たぞ」
そう言って、セイがチキンカレーとサラダを持ってきた。
「お、うまそう」
「サラダから先に食えよ。お前いっつも野菜残すからな」
セイから小言をもらい、カレーはセイの方へと引き摺られてゆく。
「はいはい」
多少ぶーたれた口調で、裕一朗が返事をすると、スプーンをフォークに持ち替えて、サラダを食べ始める。
やがて一旦ニュースが終わり、コマーシャルへと移行する。
『輝く未来を求めて。貴方も移住してみませんか?『上弦の
「何が貴方の移住を待ってますだ。『煙の
心底むかついたと言った口調で、裕一朗が息巻く。
「事情を知らない連中の啓蒙の為だから、綺麗事を並べるのは当たり前だ。お、サラダ全部喰ったな」
裕一朗がサラダを食べ終わったのを確認して、カレーの皿を差しだす。
「お、メインディッシュだ。いただきまーす」
そう言って、チキンカレーを食べ始める。骨付き肉を使っている所為で、かき込むことは出来なかったが、骨の分だけエキスが良く染み出ていて旨かった。
「ふぅ、ごっそさん」
最後の一口を食べ終わった後、そう言って、自分の食器を持って流し台へと行く。
「冷蔵庫にプリン入ってるから、持ってきてくれ」
「わかった」
セイの声に答えながら、冷蔵庫を開けると、 そこには大きめのマグカップに作られたプリンが三つ入っていた。
「プリン、三個あるけど」
「二個お前が食べて良いぞ」
「ホント! ラッキー 」
大喜びでプリンを三つ抱えると、足で冷蔵庫を閉め、一旦プリンをテーブルに置くと、食器棚からスプーンを二つ取り出した。そして、よっこいしょというかけ声と共に、三つのプリンを持ち上げた。
「セイの分、ここ置いておくからな」
ちゃぶ台の上に、スプーンと共にマグカップ入りのプリンを置く。
「ああ、すまんな」
サラダとカレーを交互に食べながら、セイが礼を言う。
「あー、プリンうめぇ」
抱え込むようにしてプリンをかき込みながら、裕一朗が歓喜の声を上げる。
「あまりがっつくな、静かに食べろ。プリンは逃げやしないから」
がっつく裕一朗を
「中央部に設置された『
「『翠麗塔』のプラグか。手に入れればスゲェ金になるだろうな。」
プリンを食べながら、いささか興奮気味に、裕一朗が言った。
「まぁ、まず委員会内で処分するだろうから、残念ながらこっちには回ってこないぞ」
サラダを食べ終わり、カレーに専念しながらセイが答えた。
『翠麗塔』とは『上弦の
「そろそろ寿命が来た、と言う訳か」
「寿命?」
裕一朗が聞いた。
「ああ、プラグは生体ユニットで、5~10年単位で取り替えられる。交換は極秘で、古いプラグは何処ともなく処分される」
「ヘェ、よく知ってるんだな」
「ここに流れてくる前は、技術者をやっていたからな。プラグに関する知識も多少は持ってる。ここほどの規模じゃないが、2、3回交換に立ち会ったこともある」
「なな、プラグってどんな形してるんだ?」
「大抵は、動物の脳を使っている。だから脳の形を思い浮かべればいい。だが、これだけの規模だ。人間の体ぐらい使っているかも知れないな」
「人間って、クローンか?」
「恐らくプラグ用に育成したクローンだろうな。国際法には引っかかるだろうが、これだけの規模の都市だ。中央政府への強力なコネもあるだろうから、中央政府は、多少の違法性には目をつぶるだろう」
「何だかんだ言って、金の力って奴はスゴイねぇ」
二個目のプリンに取りかかる前に、裕一朗が嫌みたっぷりにいった。
「大人なんてそんなもんさ。俺は金も権力も何も持たない、しがない部品売りだが、いまの生活にまぁ満足してるさ」
チキンカレーを頬張りながら、ぽつりとセイが呟く。
セイと一緒に暮らすようになって三年経つが、それでも自分は、セイのことを半分も理解できていないのだろうと裕一朗は思った。本来なら、こんな処でくすぶっているような人間ではないはずだ。
『連源堂』だって始めたのは五年程だと、近所の古株のジャンクパーツ屋の爺さんから聞くまで、もっとずっと前から営業しているものだと思っていた。
まぁ、例え出自がどうであれ、今は居候として『連源堂』に居させて貰っている身だ。
居候先の主人の機嫌を損ねて、追い出されるようなヘマだけは、避けなくてはならない。
だから極力、セイの過去に関する話は意識的に避けてきた。
でも今日のように、時たま自分の過去を話してくれるときがある。
そうやって、裕一朗はセイという人間の一ピース一ピースを埋めていっているのだ。
「ごっそさん。風呂沸いてる?」
プリンを食べ終わった後、口をティッシュで拭きながら、セイに確認する。
「ああ、沸いてるぞ。先に入っておけ、後から行く」
「あいよ」
そう返事をすると、引き出しから下着を取り出し、風呂場へと向かう。
風呂場は一面コンクリートで出来ていて、換気用の窓と、FRPで出来たやや小振りな浴槽が置いてあった。
桶で湯を掬いそれを頭から被ると、手探りでシャンプーのボトルを手に取り、適量を手に押し出す。それを手で泡立てて、髪の毛へと擦り付ける。勢いよく髪の毛を洗い、桶でその泡を洗い流すための湯を汲み、それを頭へとかけた。 三回ほどかけると満足したのか、髪の毛を後ろへと掻き上げた。
次にタオルを手に取って顔を拭くと、そのタオルを水に濡らし、ボトルからボディソープを押し出す。タオルで泡立てると、ガシャガシャと勢いよく背中を洗い始めた。
「入るぞ」
そう言いながら、風呂の引き戸を開け、セイが入ってきた。
セイの体は、逆三角形の均整の取れた良い体をしている。裕一朗は、そんなセイの体を羨ましく思っていた。
「いいよな、セイは。背も高くて体つきもいいし」
「あまり背が高いのも考え物だぞ。よく鴨居に頭をぶつけるしな」
浴槽に身を沈めながら、セイが答えた。2メートルを少し超えたセイにとって、純和風の『連源堂』は住みにくいだろう。
「もっと他にいい物件がなかったのかよ」
首周りを洗いながら、セイに聞く。
「ここが気に入ったんだよ。一人なら六畳と四畳半の二間で足りるし、台所もそこそこ大きくて家賃が手頃で、風呂とトイレ別で、店の陳列棚が大きいとこといったら、ここしかなかったんだ」
ばしゃばしゃと顔を洗いながら、セイが答えた。
「借りたときには、居候が増えるとは思ってもいなかったからな」
「悪かったな、居候が増えてさ」
「居候が増えたのは俺の所為だ。お前がむくれることはない。本当にいらないのなら、あそこでお前を見捨てて帰ったさ」
「なぁ、何で俺を拾ってきたんた?」
体にお湯を流しながら、裕一朗が尋ねた。
三年前、堆く積もれたゴミの隙間に挟まっている裕一朗を、セイが拾ったのだ。
裕一朗は、断片的な記憶しか持ち合わせていなかった。
その裕一朗に、ゴミ漁りを教えたのはセイだった。ゴミの中にも千差万別で、本当に使えないタダのゴミから、希少価値の高い精密機器の見分け方までセイは教えてやった。
裕一朗はと言うと、一度教えられると、砂の上に零した水の如く、どんどんその知識を吸収していった。
そして、たった三年でこの辺りでは名の知れた『漁り屋』に成長していた。
「そうだなぁ……。一人暮らしが寂しかったから、なんぞペットでも欲しかったんだろうなぁ」
「俺はペット扱いかよ」
体を洗い終えた裕一朗が、体を洗うために、風呂から上がりかけたセイに向かって、皮肉たっぷりにいった
「まぁ、今は一応人間扱いしてやってるから、機嫌を直せ。それはそうとお前、リンスはしたか?」
「するわけないだろ。あんな髪の毛がスルスルするもん」
「やれ! お前の髪は女もうらやむ美髪なんだぞ。将来女を口説くいい道具になる」
ガッシと、身長と体重の差であっさりと裕一朗をホールドすると、リンスのボトルを手に取りポンプを押す。
「うげぇー! やめてくれぇ」
ジタバタと必死に抗ってみるものの、体格差で到底かなうはずがない。ただ黙って、リンスなどという液体を、自分の髪に塗られることだけは避けたかった。
「よいしょっと、ふぅ、これで綺麗になった」
いやがる裕一朗に見事なリンスを施せたことで、セイは何かをやり遂げたかのような、満面の笑みを浮かべていた。
「いやぁ、やっぱり黒髪はさらさらが一番だな」
「鬱陶しいだけだっつーの」
ぶつくさと、文句をたれながら、入れ違いで湯船へと入る。
「今日は何かいい拾い物でもあったか?」
髪を洗いながらセイが聞いた。
「数年前の四脚戦車のメインボードが4枚ってとこだ」
湯船に浮かびながら、裕一朗が答えた。
「まずまずだな」
そう言った後、見事な赤毛を洗い上げると、リンスを髪に塗り込み、それをピンで器用に頭の上でまとめ上げた
ボディソープをタオルにつけ、それを泡立てて体を洗い始める。
「そう言えばセイってさー」
湯船に浮かびながら、裕一朗がセイに聞く
「なんだ」
「何で髪の毛伸ばしてんの? 鬱陶しくないか、そんなに長くして」
「まぁ、一言で言えば、矜持、だな」
「矜持?」
「昔のことだ」
そう言ってセイが会話を打ち切った。
『昔のこと』とセイが言うときは、何か触れられたくない時の態度だ。
「ふうん」
腑に落ちないという風な返事をして、ブクブクと裕一朗はその体を浴槽の中へと埋めてゆく。
一方のセイは体を洗い清めると、次は髪の手入れに取りかかった。湯船に桶を入れ、見事な赤毛に湯をかける。
4~5回かけてやっと満足したのか、最後に髪の毛をピンで留めると、また湯船の中に入ると、ザバァ、と勢いよく湯が溢れ出す。
「あー、お湯が勿体ない」
裕一朗が情けない声を出す。
「安心しろ、ガスはゴミ山からのメタンガスだし、水道は井戸だから使い放題だ」
「そう言えばそうだったっけ」
「苦労したぞ」
生活費を少しでも切りつめるべく、2週間程前にゴミ山から直接メタンガスを引き入れて貰えるように、大家に頼んでいたのだ。水は元から井戸を引いていたので使い放題だ。
「そっか、じゃあもう真冬に暖房切れて、寒い思いしなくてもいいんだ」
「お前には色々苦労をかけたな」
まるで夫婦のような会話だ。
「じゃ、俺先に上がるわ」
そう言って、浴槽をよじ登り、風呂を後にする
「冷蔵庫にラムネが入ってるから、飲んで良いぞ」
頭にタオルを乗っけながら、裕一朗の背中に向かって叫ぶ。
「ういー」
そう返事をして下着を身につけ、セイの用意したパジャマの下だけ履いて、台所へと向かう。
冷蔵庫を開けると、セイのビールの横にラムネの壜が置かれていた。
ラムネを手に取り、シンクへと持って行く。プシュっと蓋を押すと、ビー玉が下へと落ち中身が勢いよく溢れ出す。
泡が落ち着くのを待って、居間へと移動する。
居間のちゃぶ台の上に、ラムネを置き、ぼんやりとテレビを見ながら、ラムネを飲む。
「ラムネ置いてある場所、分かったみたいだな」
頭にタオルを被ったセイが言った。片手には、ビールとパジャマを持っている。
「ああ」
テレビを見ながら裕一朗が答えた。
「それよりもお前、風呂から上がったら上着着ろよ。風邪引くぞ」
そう言って、頭の上にパジャマの上着をのせる。
「分かったよ。でも風呂上がりは暑いんだよ。特に今日は運動もしたからな」
嫌み混じりにそう言いながら、上着を着ていると、プシュとプルタブを開ける音が聞こえた。そして間髪入れずに中身が喉元を通り過ぎて行く音が聞こえる。
「あー、風呂の後はやっぱりこれだな」
満面の笑みを浮かべながら、セイが言った。
「よく飲むな、そんな苦い物」
「裕一朗も大人になったら、この味が分かるようになるさ」
「子供で悪かったな」
「いやいや、お前は一丁前に稼いでるし、立派な大人の仲間入りしてるさ。サキムの爺さんが悔しがってたぞ。お前を拾っておけばよかった、てな」
「ふうん。あの金にうるさい爺さんが、食い扶持一人増やしてもいいってか」
サキムというのは。この一帯を牛耳っているパーツ屋で、抱えている『漁り屋』の数も最も多い、いわば『煙の
「でもまぁ、それ以外はまだ子供だわな。焦らずじっくり行けば、もっと腕の良い漁り屋になれる。そうすれば、この街を出ていけるかも知れない」
「セイは俺にこの街を出て行って欲しいのか?」
ラムネを飲み干した後、セイに聞いた。
「お前は何時までもここに燻っている人間じゃない。もっと知識を付けたら、街を出て行くといい。何なら、俺も一緒につきあうがな」
「セイも一緒に?」
ラムネを飲み干した後、裕一朗が尋ねた。
「ああ、あんまり、同じ処に留まるのは好きじゃないからな」
そう言って、ぐっと残りのビールを煽る。
「セイには悪いけど、俺まだこの街出ていく気にならないよ。この街気に入ってるし」
「そか。まぁ、気が向いたらでいい 」
「うん」
「そろそろ寝るぞ。布団引いてくれ」
「あいよ」
そう返事をして、裕一朗はちゃぶ台を片付けて布団を引く。
「電気消すぞ」
「ウン、お休み」
裕一朗が言った。
「おやすみ」
セイが電気を消しながら言った。