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第1話 寒い朝はコンポタオートミールで。

 夏が終わり、朝の風が随分と冷たくなった――キッチンの窓を開けながら、僕、和戸わと たつみはパステルブルーの空と金色に輝く雲を見上げ、朝の空気を吸い込むようにゆっくりと深呼吸をした。

 まだ夜が明けて間もなく、空の移り変わりが美しい。キッチンスツールに座り、珈琲豆を挽きながらそれを見上げるのが僕の日課だった。


「相変わらず、朝が早いね。和戸くんは」


 冷えた頬にぴっとりとぬくい感覚がし、僕は声の主に視線を向ける。まだ眠たげな大男が、甘えるように背後から抱き着きながら肩に腕を回し頬を寄せていた。チリ、チリと頬に髭があたりくすぐったい。僕は溜息を一つ吐くと珈琲豆を挽く手を止め、甘える大男の後頭部をポンと柔く撫でた。


「壮太さん、重いです。しっかり起きて」

「和戸くんの珈琲を飲まないと起きれない」

「なら、邪魔しないで」

「朝から冷たいよぉ」


 ぐずぐずと愚図る様を世間様に見せてやりたい。

自分の背に張り付く大男、この家の主である鵬鵡ほうむ 壮太そうた は世間様では完璧な男と名高い。

 188センチの長身にスラリと伸びた長い脚、逆三角形の背中は海外のモデルのようだ。遠い血筋に異国の血が混ざっているとかいないとかで、髪も瞳の色も美しいヘーゼルブラウンで高い鼻筋で彫が深い。息を飲むほどに整った男、それが鵬鵡 壮太であるが、ここで僕にひっつき虫をしているのは寝起きの髭も寝ぐせもそのままの28歳児である。

 これもまぁ、ある意味毎朝の事だ。オンとオフをしっかりと切り替えているという点では良いのかもしれないがギャップが酷い。本当に酷い。28歳の大男に絡まれる身にもなってほしい。

 まだ背後で、冷たい冷たいと愚図る28歳児の拗ねた頬に唇を寄せて、手にしていたコーヒーミルをんっと手渡した。


「豆、もうちょっとだから挽いておいてください。朝食を用意しますから」


 あやすように、ボサボサだが手触りの良い髪を撫でてやれば情けない顔をしていた彼の顔が花でも咲いたかのように明るく輝く。気が付けば、窓の外もすっかりと安定した青空になっていた。

 僕はようやっと背中からひっつき虫を引き上がし、スツールから腰を上げる。鼻歌交じりに作業台で珈琲豆を挽く姿は、悔しいがカッコイイ。僕はそれを横目でみながら白いホーロー製の片手鍋を取り出しコンロに置く。隣には水をたっぷり入れたケトルを設置し、火をかけた。ボッと小さな爆破音が鳴るのは、この家のコンロが随分と年季の入ったものだからだ。

 新しいキッチンにしようか?と家主が言うが使い始めたら何と無く愛着がわいてしまって、リホーム出来ずにいる。IH式のシステムキッチンへの憧れはあるが、ガスコンロの良さも捨てがたいのだ。

――話が反れた。

 豆を挽き終わったらしい彼が、いそいそとコーヒードリッパーも用意している。淹れてくれるんですか?と声を掛ければ、目が覚めて来たらしい彼がキスしてくれたからと嬉しげに答える。

 頬へのキスで随分と安上がりな人だと笑いそうになったのを堪えながら、では僕は引き続き朝食の用意を続けましょうと、ウォルナットの一枚板で作られたアンティークの飾り棚に置かれたガラス製のキャニスターと、その隣に置かれた籐の小さな籠を取り、彼が珈琲を用意している横に置いた。


「コンポタ!」


 嬉しそうな声に苦笑する。出会って初めて朝を共にした日に作ってあげてからというもの、この男はすっかりとこの安上がりなオートミールにハマってしまったようだ。

 分かりましたと返事をすれば、嬉しそうに鼻歌を歌う。インスタントスープを使った簡単な味付けは普段高級なものを食べなれた男の舌には新鮮だったようで、寒い朝は大体コレをねだられる。朝の空気を肌で感じ、そろそろおねだりが始まるだろうと思ってはいたが、案の定、籠の中のインスタントスープに目敏く反応した。

 シュンシュンと小さく鳴り始めたケトルの合図を受け、彼と場所を変わるように冷蔵庫へと移動する。卵を二つ、ベーコンと、それから作り置きしておいたキャロットラペにレタス、ヨーグルトも食べるだろう。

 次々と冷蔵庫から取り出していれば、部屋の中はコーヒーの芳醇な香りで満たされていた。


「いい豆だね」

「えぇ、秋が始まったので甘いコクと苦みが楽しめるものにしてみました」


 口に含めばメイプルシロップのような甘みを感じ、鼻を抜けるアロマと苦みはダークチョコレートのような珈琲豆を買ってみたのだが、当たりのようだ。部屋の中に立ち込める良い香りに踊り出しそうな心地になりながら彼とまた入れ替わるようにコンロの前へと立った。

 すぐ横にお揃いのマグカップに注がれた珈琲をサーブされ、まずは一口。目が覚める口当たりにほぅっと息が漏れた。隣で彼がクスクスと笑うのがむず痒い。


「……ミルク、淹れておいてください」

「はぁい」

「それから、貴方は着替えてきて」

「えー……見てたらだめかい?」

「ダメです」


 冷たい、意地悪と28歳児はブツブツいいながら一口飲んで返却した僕のマグカップにミルクを注ぎ、僕好みのカフェオレに仕上げてから彼は自室へと着替えに行く。なんだかんだ言う事を聞く素直な姿に今度は此方が笑ってしまう。

 しょぼくれる背中を見送ったあと、もう一口だけカフェオレになったマグの中身を飲み込んで、よしっと気合を入れる。

 まずは用意した鍋に水を300ml、それからキャニスターを開けオートミールを60g、藤の籠から取り出したカップスープを二袋、全部いれて火にかける。コトコト優しく煮込みながら、とろみがでるまで掻き混ぜて簡単オートミールリゾットは出来上がり。

 それからもう一つのコンロでベーコンをじっくり焼いて、カリカリに。キッチンペーパーを敷いたお皿に取り出して、余分な脂を取っておく。同じフライパンで、たっぷり出た脂を利用して彼が珈琲を用意してくれている間にボールに割り入れた卵を二つ、そっとフライパンへと流し入れる。

 弱火でじっくり。白身がブクッと膨れるまで丁寧に加熱して、膨れたらすぐに中火にして白身の縁がカリッと狐色になるまで慎重にフライパンを見つめた。キッチンはいつの間にか香ばしいベーコンの香りになっている。食欲がそそられて、胃がクゥッと小さく音を立てた。

 火を止めて、黄身が崩れてしまわないように優しくお皿に乗せる。カリカリベーコンと、キャロットラペにレタスを添える。それから深めの皿に出来上がったコーンポタージュ味のオートミールリゾットを装い、砕いたナッツをトッピング。つづいて薄い青色が綺麗なデザートボウルにヨーグルトとグラノーラを入れて、木製のトレイに乗せたら食卓へ。

 ビーチウッドの赤みが強いブラウンのラウンドテーブルは良く磨かれて綺麗な光沢を帯びている。真ん中には一輪挿しとカトラリーボックス。トレイの横には真っ白なテーブルナプキンを置いた。

 テーブルと同じ素材で作られたプチポワンの、男二人が座るには少しばかり愛らしい淡いグリーンの椅子が二脚、着席を待っている。朝食のセッティングを終え、先に席につき優雅にカフェオレを飲んでいるとすっかりと目の覚めた壮太さんが食卓へと現れた。


「美味しそうだね」


 ブラウンにストライプの入ったスリーピースを着こなした彼が、ジャケットをジャケットホルダーに掛けてから着席する。ぼさぼさだった髪はくせ毛を生かしてセットされ、チクチクしていた髭はなくなっている。完璧な男がそこにいる――はずなのだが、テーブルを見ている眼差しはやはり子どものようだった。


「しっかり食べてくださいね。今日も一日、長いですから」


 そう伝えれば、もちろんだよと爽やかに壮太さんは微笑んだ。

それから僕達は頂きますと丁寧に挨拶をし、高そうなアンティークのテーブルで、チープなオートミールリゾットを食べた。安上がりな味だけど、寒い朝にはじんわりと体を温めてくれて心地よい。

 あぁ、美味しいなぁ。やっぱり秋の始まりはコレだね!とあっと言う間に平らげていく彼に僕は自然と頬が緩んでいく。


「えぇ、そうですね。僕と貴方の始まりの味だもの」


 幸せに緩んだ口がポツリとつい本音を溢す。だって、あまりにも彼が嬉しそうに食べるものだから。

 そんな僕の顔をマジマジとみた壮太さんは、ぽやぽやの28歳児だった顔を急にいやらしくして、綺麗な唇の口角をにんまりと上げる。あぁ、しまった。変なスイッチを押したかもしれない。


「そんな可愛い顔をされたら、仕事に行きたくなくなってしまうな」


 朝なのに、夜みたいな声をだした彼に僕は気が付かないフリをして、咳払いを一つすると馬鹿なことを言わないでとマグカップに口をつける。それでも赤くなってしまった僕の顔は隠しきれなくて、あぁもう余計なことを口走ったと視線を背けるので精一杯で。


 結局、食事をしているのに飢えた狼みたいな顔をする壮太さんの眼差しは、僕が全てを平らげるまでチクチクとしつこく絡んだままだった。


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