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第39話

     ○


 わたしは昔からイヤなことがあると笑う癖のある子だった。

 優しくてちょっと頑固なお姉さん。みんながわたしに求めているのはそれだ。その立場を守りながら、困っている子を見ると手を差しのばせる範囲で伸ばしてきた。

 でもそれは本当のわたしとはかけ離れていた。わたしは優しいんじゃなくて甘いだけで、頑固に見えて根本的には流されやすくて、お姉さんでもなんでもなかった。

 本当のわたしはいつも周りを気にしているだけの臆病者だ。

 わたしが演じてるのは理想のわたしだった。理想と現実の乖離がストレスになっていた。

 誰かに言いたかった。本当は寂しいんだって。本当は泣きたいんだって。本当は甘えたいんだって。でも、それは言えなかった。

 それでも中学までは家で親に甘えられた。内緒だけど、たまにお母さんとお風呂に入ることもあったくらいだ。お父さんも休日はわたしが行きたいところに連れて行ってくれた。

 そんな優しい時間が終わったのは高校生になってすぐだった。

 お父さんの借金が見つかった。どうやら街で会ったホステスに入れあげてるらしい。

 それを知ったお母さんは当然怒った。だけどお父さんも仕事の付き合いも兼ねていると反論する。お母さんは呆れていたけど、収入のほとんどをお父さんに頼っていたから強く言えなかった。

 お母さんが働き出すと二人の仲は益々悪くなり、顔を合わせれば喧嘩をするようになった。でも喧嘩しているうちはまだいい。次第に二人は話さなくなり、家から会話が消えた。

 唯一自分らしくいられた家を失ったわたしは、逃げるようにガソリンスタンドでアルバイトを始めた。バイト代で原付を買った時は自由を手にしたみたいで嬉しかった記憶がある。ジョルノに乗って街に遊びに行く日々が続いた。

 昔から年齢より大人っぽいと言われていたから高校生が入れないところでも誤魔化して入れた。ネットカフェの店員と仲良くなって泊まらせてもらったこともある。

 お金もあったからプチブラの化粧品やちょっとしたブランド品も買ったりした。

 みんなが知らない世界を知るとわたしを少しずつ自信を取り戻していった。高校も二年になるとあたしに憧れる後輩も出てきたくらいだ。

 嬉しかった。だけどそれはまた本当のわたしを閉じ込めてしまう。でもその頃のわたしは色々諦めていて、もうこのまま苦しみながら生きていくしかないとも思っていた。

 そんな時、年齢を隠してこっそり立ち寄ったクラブで加世子と出会った。

 東京に行ったはずの加世子だったけど、寂しがり屋の性格もあって頻繁に地元へと帰ってきていた。

 加世子はわたしよりさらに進んでいた。今の彼氏は三人目だし、経験人数はその倍だった。彼氏に買ってもらったと言っていたブランド品のバッグはあたしが半年バイトしてようやく買えるような高級品だ。

 加世子を見てあたしは自分がただの背伸びをした田舎娘だということをはっきりと理解した。

 悔しかったし恥ずかしかった。でもそれ以上に怖くなった。

 昔の加世子はこんな子じゃなかった。もっと控えめで、人見知りだったはずだ。それが東京に行って変わってしまった。

 場所が変えたんだろうか? いや、きっと違う。加世子は寂しかったんだ。ずっと田舎育ちで、ずっとわたし達と一緒にいた。子供の頃からずっとだ。

 それを全部手放してしまったから、どうにかして空いた穴を埋めようと藻掻いたんだ。

 気持ちは痛いほど分かった。わたしがそうだから。お父さんもお母さんも冷め切っていて、友達にはしっかりしたところを見せないといけない。

 それが苦しくて、つらくて、だからわたしはとにかく手を伸ばした。

 似たもの同士のわたし達はすぐに新しい逃げ場を見つけた。

 最初は大麻だった。

 加世子が友達から買ってきてくれて、わたしが多めにお金を払った。

 吸うと気持ちが落ち着いた。バイトの先輩にもらったタバコと似ているけど、感覚は段違いだ。妙な満足感が全身を支配した。

 大麻は依存症にはならないらしい。後遺症もないらしい。加世子はそう言ってたけど、あとで調べたらどっちも嘘だった。まあ、売る人がこれは体に悪いものだよとは言わないだろう。

 悪いことだってのは分かってる。加世子の知り合いでは捕まって学校を退学になったグループもいるらしい。

 だけどわたしは大丈夫だろうと思った。いつも使い切ってたし、やってたとは言っても加世子が帰ってくる月に一回ほどだ。

 吸うのはいつもあの廃工場でだ。わたしと加世子だけの秘密の場所だった。誰も来ないし、安全だ。バス停からも近いから加世子も気軽に来られた。

 加世子は大麻にハマっていた。東京じゃ暇があれば吸ってるらしい。彼氏と一緒に吸うと楽しいと言っていた。

 わたしは少し心配だったけど、自分もやってるからあまり強くは言えなかった。

 事態が悪化したのは高三になってからだ。加世子が今の彼氏と付き合い出すと、わたしはついて行けなくなった。

 加世子が覚醒剤に手を出したからだ。

 さすがのわたしもこれは無理だった。大麻とは比べものにならない。大麻を調べた時に知ってたけど、やったら終わりだ。もうやめられない。行き着く先は逮捕か死だ。

 加世子がやってるところを見てその気持ちはさらに強くなった。本人は気持ちが良いと言ってるけど、キョロキョロしていて落ち着きがない。笑い出したかと思うと落ち込んでる。涼しいのに汗をダラダラとかいていた。

 ゾッとした。なにより怖かったのは加世子がわたしにも勧めてくることだ。

 お金がないから大麻で良いと断っていたけど、ことあるごとにおすすめされた。クスリに手を出すと大麻なんかじゃ満足できないよが加世子の口癖だった。

 わたしを子供扱いするのはむかついたけど、なんとか誤魔化し続けた。

 加世子は一緒にやってくれないことに不満がってた。

 それでも断り続けていると、次第にとんでもないことを言い出した。

 わたしにクスリを持っていてほしいとお願いしてきた。イヤだった。持ってるのが見つかれば捕まる。だけど加世子はわたしにクスリを押しつけた。

 加世子は加世子でなにかを怖がっていた。警察につけられているとか、ヤクザに追われてるとか言うこともあった。

 最初はそうなのかと思っていたけど、今思えば違う。あれは幻覚を見てたんだ。

 脅える加世子を助けるためにはクスリを受け取るしかなかった。

 それからことあるごとに加世子はわたしにクスリを保管させた。わたしは部屋にある鍵付きの引き出しに入れておいたけど、いつ親にバレるかと不安で仕方なかった。

 ストレスから遠ざかるために逃げ込んできたのに、今じゃ逃げ場がストレスそのものになっていた。

 昔と違い、加世子のこともあまり好きじゃなくなった。それでも秘密を共有するわたし達は離れられなかった。

 もし大麻をやってるなんてみんなが知ったらわたしのことを軽蔑するだろう。うーみぃに至っては怒り狂うはずだ。

 一人になるのはイヤだった。今度一人になったら、わたしはもう耐えられなくなる。

 同時に早く一人になりたかった。嘘をつきづけたせいで心がおかしくなっている。呑気に笑う友達の顔を見るたびにわたしはもう普通じゃないんだと胸が痛んだ。

 夜に一人で部屋になると叫び出したくなる。だからわたしは外に出た。どこでもいい。道の駅で寝たこともあったし、コンビニのイートインで寝ることも多い。

 そこでバイク好きの男達と出会って家に泊めてもらったこともある。付き合いたいと言われたこともあったけど、加世子のせいで男のことが怖くなって断ってた。

 孤独だった。一人は痛くて、でも気楽だ。一人がいいけど、一人はイヤだった。

 わたしのことを誰も知らない東京に行きたい。でも本当はみんなと別れたくない。

 わたしの中で生まれた矛盾は不安と一緒に大きくなっていく。それでもわたしはみんなの前では気丈に振る舞った。

 夏休みになると加世子は頻繁に帰ってくるようになっていた。もう誰が見ても分かるほどのジャンキーだ。完全な中毒者だった。

 でもそれならわざわざこっちに帰ってこないで東京ですればいい。いつも行ってるクラブや彼氏と住んでるアパートでする方が危なくない。

 クスリを持ってるんだ。街を歩いている時に声をかけられて不審に思われたら終わりだ。

 なのに加世子はそのリスクも考えずに、何度も何度もこっちにやってきてはわたしにクスリの保管を頼んだ。

 少しずつ増えていくクスリを見ながら、わたしは不安に思い、それは的中した。

 加世子はクスリを盗んでいた。彼氏が仕入れて売るものを内緒で拝借して、それをわたしに預けていたんだ。

 自分が持っていたら彼氏に疑われた時、すぐに取り返される。怒られるだろうし、フラれるかもしれない。でもそれがイヤなんじゃない。クスリがないことがイヤなんだ。

 ストックがないと不安で不安で仕方がないんだ。

 だけど何度も何度も盗んでいればいずれ見つかる。

 そしてその日はやってきた。

 八月三日。加世子の盗みがバレそうになってこっちに逃げてきたらしい。疑われて帰ってこないとなったらもう確実だ。

 塾に入る前、電話でそのことを知らされたわたしはすぐにレオちゃんに手帳を渡した。

 焦った。その日は雨だったから原付じゃなかった。その足で前に知り合ったバイク仲間のところに行き、用事があって少し借りたいと言うと大きなスクーターを貸してくれた。

 家に帰り、保管しておいたクスリを持って 廃工場に急ぐと加世子が待っていた。

 加世子のスマホには脅迫めいた彼氏からのメッセージが次々と入ってくる。電話もひっきりなしにかかってきた。

 当然だ。彼も彼で命に関わる事態なんだから。必死になるのは当たり前だった。

 状況が分かってないのは加世子の方だ。ここまで来てまだなんとかなると思っている。

 自分がなにをやってるか分かってない。そんなことよりとにかくクスリだった。

 加世子はもう完全に壊れていた。

 そんな加世子がわたしに怒り始めた。クスリを全部持ってきたのに、足りないと言う。わたしが使ったんだと言い張った。

 使わない。この姿を見て使うわけがない。大麻ですらもうほとんどやってないくらいだ。

 そもそもいくら酔ったところでなにも変わらないんだ。苦しかった。だからタバコもお酒もやった。大麻もだ。

 でも問題はなにも解決しない。どこまで逃げても現実は一ミリも変わってくれないんだ。

 わたしは言った。加世子にもうやめようと。だけど加世子は聞かなかった。

 それよりわたしを責めた。全部をわたしのせいにしようとしてるみたいだ。

 そして加世子はこう提案した。彼氏の知り合いが東京で風俗店を経営している。そこで一緒に働いて使った分のお金を返そうと。

 若い方が稼げる。十代の内ならいくらでも稼げるからと。

 加世子は最後にこう付け加えた。

「だってあたしら友達じゃん」

 許せなかった。こいつはわたしを利用してるだけだ。それがはっきりと分かった。

 友達だと思っていたけど、そこにいるのはおかしくなって死にかけているただの哀れな少女だった。

 こんな奴にわたしの人生を滅茶苦茶にされてたまるか。

 そんな店で働いたら終わりだ。クスリを理由にいつまでも強請られる。辞めたくても辞められない。永遠に悪い大人達のいいなりだ。

 そんなの絶対にイヤだった。

 わたしには未来がある。わたしにはまだやりたいことがたくさんあるんだ。

 それをこいつに奪われていいわけがない。

 友達を利用する奴なんかに――

 わたしは笑顔で頷いた。わたし達は友達だから加世子と一緒にどこまでも行くと言った。

 加世子は喜んだ。これでなんとかなると安心していた。

 辺りが随分暗くなってきた時、わたしは提案した。加世子は左利きだ。右腕に注射を打っている。偏ってると痛かったり、傷が気にならないかと。

 加世子は気になると言った。そこでわたしがしてあげると告げると加世子は喜んだ。

 クスリのことは調べてある。致死量がいくらかは容易に分かった。加世子の場合耐性があるだろうから、それを考慮して多めに用意した。

 注射を打つ時、加世子は私を信じて目を閉じた。開けてよく確認すれば明らかに多いことが分かるのにそれをしなかった。

 そんなことより早くクスリが欲しかったんだろう。

 だからわたしは加世子の望むとおりにしてあげた。

 加世子は死んだ。

 苦しんで死んだ、と思う。よく覚えてない。気づくと加世子は死んでいた。

 わたしはぼんやりしながら外に出た。見つかったら困るからなんとかドアを閉めてスクーターに向かう。

 その途中で足が縺れて転んでしまった。

 雨に濡れ、泥まみれになりながらわたしはわたしに言い聞かせた。

 わたしは悪くない。遅かれ早かれこうなってただろう。

 加世子の使う量はどんどん増えていた。増やさないと気分がよくなれないと言っていた。ならどのみち我慢できずに致死量を自分で打っていたに違いない。

 だからわたしは悪くない。ただ、わたしは悪くないけど見つかればべつだ。加世子の死体が警察に見つかれば殺人だと判断する可能性がある。

 そうなったらわたしも危ない。加世子との通信記録が残ってる。加世子のスマホは処分するつもりだけど、死体が見つかれば必ずデータセンターで照会するだろう。

 そしたらもう終わりだ。死体が見つかった時点でわたしは終わる。

 あんな奴のために終わってたまるか。

 そのあとわたしは疑われないように街に戻り、スクーターを返して塾に戻った。

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