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第35話

 今日はそれぞれ準備があるので勉強会は四時に切り上げた。

 その足でコンビニに寄り、みんなで花火を選んだ。

 そう言えば去年もみんなで一緒にやったな。あの時は加世子も一緒だった。わざわざ浴衣まで着て、川原でやったんだ。あたしが石で滑って川に落ちたらみんな笑ってた。

 本当は肘を打って痛かったけど、心配かけないように我慢して笑ったのを覚えてる。

 あの頃からなにも変わってない。みんなが作った流れを断ち切らないように振る舞ってる。空気を読んで、場を乱さない。流れから離れないことを意識し続けた。

 たとえそれがあたしを殺す流れだとしても逆らえない。一人の時は気持ちが大きくなっていても、人前に来ると化けの皮が剥がれてしまう。

 頭の中でいくら自分に言い聞かせても、現実の集団の中では弱者だ。

 だけどもういよいよあとがなくなった。

 いくらあたしが弱くても、馬鹿でも、ダメでも、死ぬのだけはどうにかして回避しないといけない。

 でもどうしたらいいの?

「じゃあみんな、夜にまた」

 うーみぃはもう既に覚悟を決めたという顔だ。

 琴美と菜子ちゃんも同様に頷く。

「うん」

「またね」

 あたしはぎこちなく笑って「またね……」と掠れた声を出すのが精一杯だった。

 それから琴美とうーみぃはそれぞれ原付とロードバイクで県道をのぼっていき、菜子ちゃんは自転車を押しながらゆっくりと横道に逸れていった。

 あの三人、別れてはいるけどまたどこかで集合するかもしれない。そんなことしなくても三人だけのLINEグループとかがあれば簡単に話し合える。

 あたしをどうするつもりだろう。

 殺すならいつなんだろう。集合してすぐ? いや、それはない。もしそうなら三人で二人の死体を運ばないといけない。女の子が一人で死体を担ぎ、三〇分以上も歩けるわけがない。

 だとすればやっぱり加世子を山に運んで、穴を掘ってる時だ。掘り始めか最中か、掘り終わってからかは分からない。だけど三人いれば穴は掘れるだろうから、いつ殺してもそのまま死体を二つ並べるだけだ。

 どうやってあたしを殺すつもりだろう?

 背後からシャベルで殴り倒す? 力のない琴美や菜子ちゃんじゃ一撃で人を殺すなんてことはまず無理だろうけど、剣道が得意なうーみぃならそう難しくないだろう。

 それとも加世子みたいにクスリを致死量まで打たれるかもしれない。それなら気絶させるだけで十分だ。

 どちらにせよ、やるなら加世子を運び終わってから埋めるまでの間だ。

 その間だけは絶対に背後を取らせないようにしよう。仮に三人の誰かが焦って襲ってきたらナイフで撃退すればいい。怯んでる間に逃げるんだ。夜の森で人を追いかけるのなんてまず不可能だから逃げ切れる。

 その時はもう交番へ行こう。交番までの道を張られてたら警察に電話すればいい。

 その場合三人は加世子の殺人と死体遺棄、さらにあたしへの殺人未遂になるだろうから、ずっと刑務所から出てこられないかもしれない。

 だけど仕方ない。そうしないとあたしが殺されるんだ。

 あたしは俯いて震えながらゆっくりと自転車を押して帰っていた。

 しばらくして異変に気づく。なにかが後ろにいる。ゆっくりとあたしを追いかけていた。

 ゾッとした。もしかして今襲われるんじゃ? まだ明るいけど人通りはない。

 殺さないとしても襲ったりさらったりすることは可能だ。あたしは震える手でスマホを取りだし、インカメラを作動させた。

 そこには黒いミニバンが写っていた。あたしに合わせ、ゆっくり、ゆっくりと動いている。

 背筋が凍る思いをしながら気づいた。あの三人以外にも共犯がいるんだ。あたしの様子がおかしいことに気づいて、三人の誰かが連絡したんだろう。

 冷静に考えればクスリが絡む事件だ。大人が関与していてもおかしくない。

 逃げないと殺される。車のドアが開いた瞬間走るんだ。いや、その前に自転車に乗ろう。でもそれだとスマホが持てない。

 さっさと逃げればいいのに、選択肢が増えると動けなくなってしまう。

 そうこうしているうちに車は加速し、あたしの隣を併走した。

 ゆっくりと助手席の窓が下がっていく。

 あたしは今にも叫び出しそうなほどの恐怖を感じながら、なんとか横を見た。

 車を運転していたのは板野さんだった。

「やあ。一人?」

 声をかけられると同時にあたしは車から一歩遠ざかった。同時に車が止まる。

 うーみぃだ。うーみぃが板野さんに頼んだんだ。後ろには誰が乗ってるんだろう? もしバットとか持った人がいたら終わりだ。

 恐ろしくて声が出せないあたしを見て、板野さんは疑問符を浮かべた。

「どうしたの? 体調悪いとか?」

 あたしはなんとか力を振り絞り、「…………いえ、べつに…………」と呟いた。

 もう一歩横に逃げると、板野さんは車を少し前に動かし、進路を塞ぐようにして止めた。

 そして運転席から出てくる。

「ごめん。今いいかな?」

 あたしはなにも言ってないのに、板野さんはどんどん近づいてくる。前にも見たけど鍛えていた。あの腕に捕まったらあたしなんてイチコロだ。

 殺される。そうじゃなくても痛めつけられるかもしれない。

 どう考えても逃げるべきだった。なのに恐怖で足が全く動かない。

 板野さんは蛇に睨まれたカエルのようなあたしを見下ろし、そっと手を伸ばした。

 手が肩に触れると反射的にビクッと動く。それでも板野さんは手をどかさなかった。

「あのさ。誰に頼まれたの?」

 誰に? どういう意味だろう? 

 ……あ。もしかしてあたしが警察に協力してると思ってるんだろうか? おとり捜査ってやつだ。

 板野さんは辺りを見渡した。明らかに警戒している。

 当然だ。おとり捜査なら警官が近くにいる可能性が高い。勘違いしてくれてるなら殺されないですむかもしれない。

 あたしはとっさに嘘をついた。

「……………言えません」

 板野さんは面倒そうに頬を掻く。

「まあ、そうだろうね……。おおそよの予想はつくけどさ」

 板野さんはため息をつくとあたしの肩から手をどかした。そして近くにあった自販機に小銭を入れて缶コーヒーとカフェオレを買った。

「どうぞ」

 あたしは差し出されたカフェオレを見て混乱した。

 えっと、今出てきたから毒は入ってないよね? 

「……どうも」

 雰囲気で受け取ってしまい、後悔する。これで話を聞くしかなくなった。

 そうだ。話しているうちに車から仲間が出てくるかもしれない。そう思って開いていた窓から中を覗いたけど、誰かがいる気配はなかった。

 不思議に思っていると板野さんは近くにあったブロックに座り、コーヒーの蓋を開ける。

「いやあ、困ったもんだ。だから俺はやめようって言ったのに」

 訳の分からない愚痴を言いながらコーヒーをゴクリと飲む。

 どういう意味だろう? 板野さんは計画には反対だったってこと?

 もう訳が分からなかった。

 あたしが混乱して黙っていると、板野さんは苦笑いして見上げる。

「女将さんに頼まれたんだろ?」

「………………え? えっと……」

「隠さないでもいいよ」

 隠すもなにもない。女将さん? それってうーみぃのお母さんのこと? あたしは女将さんになにを頼まれたんだろう?

 混乱を通り越してキョドっていると、板野さんは面白そうに笑う。

「森から聞いたよ。君が海ちゃんのことを調べてるって」

 森ってモリ先輩か。喋らないでって言ったのに。

 あ。でもそれはうーみぃにはとしか言ってなかった。でも普通分かるでしょ?

 板野さんは諦めたように肩をすくめた。

「どうせ俺は嘘をつけない。昔からそうなんだ。親にも彼女にもすぐバレる。俺は、いや男って嘘をつき慣れてないのかもしれないな」

「…………はあ」

「正直に言うよ」

 板野さんは立ち上がった。

 言ってくれるんだ。あたしを殺そうとしてるってことを。

「俺と海ちゃんは……、その、付き合ってるんだ」

「………………………………へ?」

 あたしはしばらく茫然とした。

 この人はなにがどうなってこんなことを言い出すんだろう?

 うーみぃが板野さんと付き合ってる? それって板野さんがうーみぃの彼氏ってこと?

 うーみぃに彼氏がいた……。あたしなんてできたことすらないのに…………。

 あたしの中で恐怖が縮み、疑問と敗北感が膨らんでいった。

 あたしがポカンとしていると、板野さんは照れながら首を傾げた。

「……あれ? そのことで女将さんから調べるように頼まれたんじゃないの?」

「……ち、違いますけど」

「え? 本当? でも森に聞いてただろ? 三日に海ちゃんがどこに行ってたか」

「それは……はい……」

 今度は板野さんが混乱していた。

 そのうちにあたしは話を整理する。

 まずうーみぃは板野さんと付き合ってる。で、多分それをお母さんにも隠してる。理由は分からないけど、あたし達はまだ女子高生だ。色々あるんだろう。

 そこにあたしがやってきて、モリ先輩にうーみぃのことを尋ねた。

 あとからそのことを知った板野さんはあたしが女将さんに依頼されて聞き込んでたと勘違いしたってことか。あれ? 

「じゃあ三日はうーみぃと一緒にいたんですか?」

「え?」

 板野さんはしまったという顔になる。そしてイヤイヤながら頷いた。

「まあ、そうだけど……」

「ずっとですか?」

「休み時間の間はね。朧月の寮があるんだけど、二人でそこにいたよ」

 板野さんが嘘をついているとは思えないし、つく理由も思いつかなかった。

 つまりうーみぃにはアリバイがあったんだ。だけど板野さんとのことは内緒だから言えなかった。

 親友全員から裏切られて殺されると思い込んでいたあたしの心が少しだけ軽くなった。

「そう……なんですか…………」

「うん。まあね」

「……あ、え? 部屋ではなにをしてたんですか?」

「そ、それを聞くの? 困ったな……。……まあ色々だよ」

「色々……」

 色々ってなんだろう……?

 予想外の展開に頭がまだついて来ない。だけどある程度理解したあと、急に顔が熱くなった。

 そんなあたしを見て板野さんは苦笑する。

「勘違いしないでほしいんだけど、俺はべつにロリコンじゃないんだ。いや、本当にさ。正式に付き合うのは海ちゃんが卒業してからにしようって言ったんだよ? でも、意外と積極的で……。他の女の子と楽しそうに喋ってたのがダメだったらしくて。……その、本当に好きなら証明をしろと言われまして…………」

 あたしに責められると思ったのか、それとも女将さんへの言い訳をしてるのかは知らないけど、板野さんはすごく女々しく見えた。

 正直あたしの知らないうーみぃの話は聞きたくなかった。

 それを察したのか板野さんは真剣さを取り繕う。

「あのさ。俺達本気なんだ。だからこのことは海ちゃんが卒業するまで黙っててもらえない? 卒業したら俺も女将さんにお願いするつもりだからさ」

「……まあ、いいですけど…………」

 なんだかまたドキドキする。本気ってことは結婚するってこと? それだったらすごい。おめでとうだ。

 あたしはハッとした。

 なんでうーみぃがあれだけ真剣に加世子のことを隠したいかはっきりしたからだ。

 板野さんとの未来を壊されたくないんだ。だからあれだけ頑張れる。

 板野さんだってうーみぃがクスリで死んだ子と仲がよかったって知れば離れていってしまうかもしれない。うーみぃが必死だったのはその怖さもあったんだろう。

 板野さんは心の底からホッとしていた。

 うーみぃのお母さんは娘以上に厳しい。最悪クビも覚悟してたのかもしれない。

「じゃあ、お願いね。あ。あとこのことは他のみんなにも内緒で。田舎だからね。どこから漏れるか分かったもんじゃないし」

「は、はい。大丈夫です」

 あたしが頷くと板野さんは車に戻った。

「ありがとう。また朧月においでよ。ご馳走してあげるからさ」

 あたしが笑って会釈すると、板野さんは小さく手を振り、車を発進させた。

 車が小さくなるのを見つめているとため息が出る。

 あたしはあたしのことがイヤになった。

 親友を殺人犯呼ばわりして、挙げ句の果てに殺されると脅えていたんだ。

 最悪だ。もしこのことをうーみぃが知ったらどう思うだろうか。

 幻滅するだろうか? 怒るだろうか? ……いや、きっと爆笑されるに違いない。

 あたしは恥ずかしくなって熱くなった顔を手で覆った。

 お母さんの言うとおりだ。知らないことを考えたってろくな答えは出ない。

 顔から手をはなすとまた口から息が漏れた。今度は安堵の息だ。

 うーみぃは犯人じゃない。これを知れたことは大きい。仮に琴美と菜子ちゃんが共犯でも、うーみぃを倒すのは至難の業だ。

 少なくとも今夜殺される可能性はかなり減った。警戒している限りは大丈夫だろう。

 よかった。そう思うと肩から力が抜ける。しっかりしないとその場でへたり込んでしまいそうだ。

 あたしはなんとか自転車に体重を預け、そして顔を上げた。

 まだだ。まだ終わってない。本当に安心できるのは全てが終わったあとだけなんだ。

 それまでは緊張感を保たないといけない。

 だけど力なく歩き出すとべつのことが頭をよぎった。

 そっか……。うーみぃにはもう彼氏がいるんだ…………。そっか…………。

 彼氏ができたら紹介するって約束したのに、結局隠されてしまった。

 あたしはまた、べつの意味で寂しくなった。


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