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第13話

 お昼ご飯を食べ終えたあたし達はコバセンとバイバイして図書室に戻った。

 あたし達四人以外誰もいない場所にいると落ち着く。

 ホッとして気づいた。あたしが心安まる場所はもう、この三人といる時間しかないんだ。

 これから先、家族といる時も、恋人といる時も完全な平静ではいられない。どれだけ忘れようと思っても加世子のことを微かに覚えてる。

 ずっと、事件か人生が終わるまで。

 ゾッとした。だけどすぐに沈んだ気分を振り払う。これも一人きりだったらできてないだろう。落ちるところまで落ちてしまったはずだ。

 よかった。みんながいて。みんながいるからあたしはまだどうにか正気を保っていられる。あたしはまだあたしのままでいられる。

 あたしは近くにいた琴美に抱きついた。

「わっ!」

 琴美が驚き、その声を聞いてうーみぃと菜子ちゃんもハッとする。

 琴美は不思議そうにあたしを見下ろした。

「びっくりしたぁ。……なに? 愛花どうかしたの?」

「…………いや、なんかちょっと寂しくなったから」

「…………まあ、分かるよ。その気持ちもさ」

 琴美は優しく微笑んだ。それを見てあたしは少し安心する。

「琴美~」

「あー、はいはい。暑いからさっさと離れて」

 怒った琴美に頭を押されてあたしは引き下がった。

「も~、けちぃ~」

「よくそのテンションでいられるよねぇ。ある意味尊敬するよ」

 琴美は呆れていたけど、あたしだって実は精一杯だった。できることなら全てを忘れてはしゃぎたい。

 全部なかったことにして普通に戻りたかった。

 だけど現実はそれを許さない。いくら目を逸らしてもそこにある。

 空いている椅子に鞄を置くとうーみぃが真剣な顔で言った。

「やはり気になるな……」

「なにが?」と菜子ちゃんが尋ねた。

「加世子が本当に覚醒剤で死んだかだ。もし勘違いだったらなんとかなる可能性は高いんだが……」

 なんとかなる。それを聞いてあたしは喜んだ。

「本当?」

「まあな。だがその場合は死因が判明しないといけないが。そもそも私達が追い詰められているのは加世子が覚醒剤が原因で死んだと思っているからだ。そうでなかったらビクビクする必要はない。偶然を装って発見し、通報すればいいだけだ。死因が病気なら通報したことを褒められはしても責められることはないだろう」

 たしかにそうだ。少し希望が見えた気がして嬉しくなる。

 だけど琴美は否定的だった。

「どうかなあ。たしかに病死だったらありがたいけど、注射器が落ちてて腕にはその痕でしょ? もうほとんど確実だよね」

「……そうだな。でもそうでない可能性を追求するのも大事だってことだ」

「どうやって? まさか注射器にちょっと残ってたのを打ってみるとか言わないよね?」

 琴美の予想にあたしと菜子ちゃんは戦慄した。

 イヤだ。それだけは絶対にイヤ。

 もし加世子が死ぬ前だったら流れに任せてしてしまったかもしれない。あたしはそんなに意思が強い人間じゃないし、断ることが苦手だから。

 でも今は違う。だって捕まるとかじゃないんだ。死んじゃう。そんなの絶対したくない。

 うーみぃはやれやれとかぶりを振った。

「当たり前だ。そんな危ない真似はできない。私が言ってるのは検査キットのことだ」

 あたしは意味が分からず「検査キット?」と繰り返した。うーみぃは頷く。

「ああ。覚醒剤反応が分かるキットだ。調べたところネットでも買えて安価で手に入る。それを使って加世子がシロかクロかを確かめるんだ。もしシロなら希望が見えてくる」

 もしうーみぃの言ってることが本当なら助かるかもしれない。

 あたしと菜子ちゃんは嬉しくなった。だけど琴美がまた口を挟む。

「そうかもしれないけど、それ誰が買うの?」

「問題はそこだ」

 あたしにはなにが問題か分からなかった。思わず手をあげる。

「はいはい! あたし買うよ。いくらか知らないけど、助かるなら出すから」

「そういう問題じゃない」と琴美とうーみぃが口を揃えた。

「……へ? そうなの?」

 二人は嘆息する。琴美が腕を組んであたしに説明した。

「検査キットなんてネットくらいでしか買えないんだよ? ネットで買ったら絶対に履歴が残るでしょ? もし加世子がシロならいいけど、クロだった場合は最悪だよ。警察に加世子が見つかったら絶対わたし達を調べる。当然最近変なものを買ってないとかもね。そこで検査キットを買ったのが見つかってごらん。もう明らかに事件の関係者だって言ってるようなもんじゃない」

「…………あ。そうか……」

 あたしは落胆した。たしかにリスクが高すぎる。

 それでも一度見つけた希望は捨てたくなかった。

「……で、でも、本当に覚醒剤で人って死ぬのかな?」

 あたしが疑問を口にするとうーみぃが訝しんだ。

「私の記憶が間違ってると言うのか?」

「そうじゃないけど…………」

「分かった。なら調べよう。そこのパソコンなら履歴を消せばよっぽどのことがない限り大丈夫だろう」

 うーみぃはむっとして図書室に置いてある古いパソコンを指さした。

 起動するのにしばらく待つと、ゆっくりとした動きでマウスカーソルが動いていく。

 うーみぃはブラウザを起動させて『覚醒剤 致死量』と打ち込む。

 すると答えはすぐに出た。うーみぃが読み上げる。

「警察のサイトによると致死量は0・5グラムから1グラムとなってるな」

「……え? たったそれだけ?」

 昨日見た注射器は細かったけど、それくらいなら十分入る大きさだ。

「みたいだな」うーみぃは頷く。「重症化すると高熱、けいれん、昏睡状態となり、最後は脳からの出血で死ぬそうだ……」

 それはつまり、加世子も脳から血を流して死んだかもしれないってことだ。

 体が熱くなって、震えが止まらなくなって、意識が消えていって、最後は脳から血を流して死んじゃう。それを想像すると怖くなって全身がまた震えた。

「……な、なんでそんな怖いものするの? ちょっと量間違ったら死んじゃうのに……」

「そんなこと私が知るわけないだろう? ……だが、おそらくやめられないんだろうな。でなければ誰も破滅なんてしないだろう」

 握った拳から伝わるうーみぃの嫌悪感は凄まじかった。もし加世子が生きていたら殴ってたかもしれない。

 でもあたしは嫌悪より恐怖の方が大きい。死ぬかもしれない毒を自分から体に入れるなんて怖すぎる。どれだけ気持ちが良くても死ぬのはいやだ。

 それからうーみぃは履歴を消してパソコンの電源を落とした。念のためにとマウスとキーボードの指紋まで拭き取る念の入れようだ。

「……これで分かったな。あれは扱いを間違えれば人を殺せるものだってことだ」

 あたしは力なく頷くことしかできなかった。

 やっぱり加世子はクスリで死んじゃったんだ。馬鹿だなぁ。間違えたら死ぬって知らなかったんだろうか? でも知らないのも当然か。あたしだって今知ったんだから。知ってたらなにがあってもやらないはずだ。

 あたしは虚しくなってため息をついた。すると今度は菜子ちゃんが手をあげる。

「あ、あの、キットのことだけどね? 誰か別の人に買ってもらうのはどう?」

 それを聞いて琴美が呆れる。

「だからさ。そんなのを買ってなんて頼んだらやったことありますって言ってるようなものじゃない」

「そ、そうじゃなくて……。だから、その……利用するっていうか…………」

 歯切れが悪くなる菜子ちゃんを見てうーみぃがハッとする。

「なるほど。その手があったか」

 あたしはまったく話についていけなかった。

「なに? どうするの?」

「簡単なことだ。要は事件が起きても怪しまれない人物に買わせればいい」

 琴美が「だからそれは無理だって」と眉をひそめた。

「それがあながち無理でもない。その人物が買ったことすら知らなければいいんだから」

 あたしはさっぱり意味が分からなかった。ただただ首を傾げるだけしかできない。

 うーみぃは少し声を明るくさせる。

「要はうちの客を利用するんだ。やり方はこうだ。うちの旅館のロビーにはインターネットが使えるパソコンが置いてある。それを使って架空のアカウントを制作し、ネットショップで検査キットを注文する。届け先はうちにして、お客さんが部屋で受け取るということにすればいい。あとは届いたキットを客に届けると言って私が受け取れば問題ない。帳簿から配達日に止まる客の名前を借りれば怪しまれることもないはずだ。まあ詳しく調べれば分かるだろうが、警察もそこまではしないだろう。うちに届けられる荷物はたくさんあるから特定の荷物のことなんて配達員も覚えてないはずだ」

 わかりにくいけど、つまりはお客さんの注文だということにするってことかな? たしかにそれなら警察も気づけないだろうけど。

 だけど黒い。あまりにも黒いようーみぃ。でもそれくらいうーみぃも本気なんだ。いつも来てくれてありがたいって言ってるお客さんを利用するくらいには。

 うーみぃの案を聞いて琴美が考え込む。

「それだとキットが朧月に運ばれるってことだよね? 万が一そこから足がついたらどうするの? 名前を使ったお客さんに連絡を取ればそんなの買ってないって言われるよ?」

「簡単に取れない相手にすればいい。例えば外国人客とかだ。事件が発覚した時には日本にいない人物なら問題はない。それに薬物犯罪が多い国の客なら加世子の事件とではなく別件として捜査するだろう。どちらにせよ日本の警察に海外まで捜査する力はないさ。そもそも検査キット自体は悪いものでもなんでもないのだからこの心配も杞憂だと思うが」

「……なるほど。たしかにそれならキットは手に入るかもね。まあ、わたしとしてはあんまり意味のない努力だと思うけど。やっぱりあれはクスリだよ。でないと首なんて引っ掻かないと思うし」

 そうだった。加世子の首には傷があったんだ。きっと苦しんで掻いたんだろう。でも他の病気でもそうする可能性はある。急に息ができなくなったりするとかだ。

 琴美は諦めてたけどうーみぃは引かなかった。

「少しでもみんなが助かる可能性があるなら賭けるべきだ。……それにもしクロなら対応するしかなくなるからな」

 対応する。最初その意味は分からなかった。でも少し考えたらすぐに答えが出る。

 それはつまり、加世子をどこに隠すかってことだ。

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