孝輝が事故に遭ってから、ずっと心がざわついている。
今日は凪沙と世羅に誘われて放課後の教室に残っていたが、二人の会話が頭に入ってこない。ふと、世羅が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「湊君、大丈夫? さっきから黙り込んだままだけど……」
「……ああ、ごめん。ちょっと考え事をしてた」
無理に笑ってみせたが、世羅の目は鋭かった。まるで俺の心の中をすべて見透かしているようで、居心地が悪い。そんな俺を見て、凪沙が少し不安げに口を開いた。
「……孝輝君のこと?」
「うん、まあ……やっぱり、あの事故がただの偶然だなんて思えなくてさ」
頷きながらそう返すと、世羅が少し首を傾げる。
「何か、気になることがあるの?」
俺は躊躇した。正直、凪沙や世羅を巻き込みたくなかったが……もう一人で抱えきれない気がして、思い切って話し始めた。
「孝輝の自転車、事故後に警察が調べたらしいんだけど、ブレーキワイヤーが切れていたんだって。昨日、紗菜さんから連絡があった」
「え……? じゃあ、やっぱり孝輝君が病室で言っていたことは本当だったんだ……」
凪沙が不安げな声で呟くと、世羅が眉をひそめた。
「孝輝君が言っていたことって?」
俺は少し迷ったが、正直に話すことに決めた。ここで隠し事をしても仕方がない。
「孝輝が病室で『ブレーキが効かなかった』って言っていたんだって。俺はその場にいなかったけど、凪沙が直接聞いていたんだ」
俺がそう言うと、世羅は一呼吸置いてから口を開いた。
「それって……誰かが意図的に切ったってこと?」
世羅が慎重に尋ねてきたので、俺は肩をすくめた。
「わからない。でも……普通に考えて、自然に切れるもんじゃないよ」
俺の言葉に、凪沙がぽつりと呟いた。
「じゃあ、やっぱり……誰かがやったってことだよね」
「そう思いたくないけどさ」
俺は目を伏せながら答える。頭の中では、やはり最近の高嶺の不可解な動きが引っかかっていた。彼女が孝輝に何かしていたなんて証拠はない。けれど、遠藤や陶山と何やらコソコソ話している姿を見るたび、嫌な予感が胸を締めつけた。
「──孝輝の事故も、高嶺鈴が絡んでいる可能性がある」
俺の口から出た言葉は重く、教室の空気をさらに沈ませた。やがて、世羅が眉をひそめながらも尋ねてきた。
「確証はあるの?」
「……正直、ない。でも、これまで彼女がしてきたことを考えると、疑わざるを得ないんだよ」
凪沙が俯いたまま、小さな声で言った。
「……もし、本当に高嶺さんが孝輝君を傷つけたんだとしたら……許せないよ」
その言葉に、世羅も小さく頷き黙り込んだ。
ふと窓の外を見ると、すでに夕闇が広がっていた。俺たちは沈黙したまま席を立ち、それぞれ荷物をまとめ始めた。そんな時、ふと教室の外で何かの物音がした。
「……何の音?」
世羅が小さく呟く。俺と凪沙も顔を見合わせ、廊下の方に目を向けた。足音が微かに遠ざかっていくのが聞こえる。
「今、絶対誰かいたよね……」
世羅が不安げに俺の腕を掴む。俺は鞄を机の上に置くと、廊下に一歩踏み出した。誰もいないはずの廊下に、一瞬、冷たい風が吹き抜けた気がした。
「誰かいるのか?」
声を上げても、返事はない。だが、確かに何者かの気配がした。
「……気のせいだったのかな?」
凪沙が小さくそう呟いたが、俺の心はざわざわと落ち着かなかった。