目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

29.誤算

「ほら、世羅ちゃんってあの事件がきっかけで学校を辞めて以来、ずっと塞ぎ込んでいたでしょ? 引きこもっていたというか……。」


「えっと……ああ、うん……」


 俺の九年分の記憶は、まだ完全に補完されていない。だから、正直なところさっぱり話が飲み込めなかった。

 思わず、「何のこと?」と尋ねてしまいたくなるが、変に勘ぐられると厄介なことになりかねないので適当に相槌を打っておく。凪沙の話によれば、世羅の休職理由は精神的なものらしい。


「一年前、お父さんの会社の手伝いをすることになったって聞いた時は私も安心していたんだけど……。でも、三ヶ月くらい前から体調を崩しちゃったみたいで……」


 凪沙の話を聞く限り、世羅の精神状態はかなり悪いようだ。そうなったのは、凪沙曰くある事件が原因らしいが……。


「……やっぱり、トラウマになっているんだろうね。でも、無理もないよ。あんな風にSNSで誹謗中傷されたら、誰だって病むよ」


 凪沙は沈痛な面持ちで呟く。俺は、表向きは彼女と同じように眉尻を下げて見せつつも内心では戸惑っていた。

 どうやら、世羅はSNSで悪質な誹謗中傷を受けてしまったらしい。次の瞬間、ふと頭にある出来事が思い浮かぶ。

 それは、俺達が孝輝の両親が経営するレストランでアルバイトを始めた日のことだ。あの時、世羅は客とトラブルになっていた。


(もしかして……あいつらの仕業か……?)


 あの日、店を訪れた軽薄そうな若者グループ。表面上は、世羅が料理を運ぶ際に転んで彼らの中の一人の服を汚してしまったことになっていた。


 だが、実際は違った。寧ろ、向こうがわざと足を引っ掛けて彼女を転ばせていたのだ。過去にタイムリープした時、凪沙が目撃していたと話していたから間違いないだろう。

 詳細はわからないが……凪沙の話から察するに、おそらく世羅は奴らにSNSで晒されてしまったのだろう。そして、事実無根の噂を流され誹謗中傷をされた挙句、学校まで特定されてしまった。その結果、すっかり人間不信になり部屋に閉じこもるようになってしまったのだろう。

 世羅の精神状態が回復しないのは、そういった過去の出来事が原因に違いない。そう結論づけると、俺はぎゅっと拳を握りしめた。


(あの時、俺が店の外に出なれば世羅を助けることができたのに……)


 そう、あの時俺は代金を支払わないまま出て行こうとする子連れの客を追いかけるために店を出た。

 そこで、店に残ることを選択していれば──世羅は、俺の見ていない所で傷つくことはなかったはずだ。そう考えた途端、後悔の念に襲われた。


「それで、世羅ちゃんがね……その、湊君にはこれ以上心配かけたくないって……。本当は、今回のことも湊君には言わないでほしいって口止めされていたんだけどね」


「え……?」


 思わず耳を疑った。なんでも、世羅は心配をかけたくないからと俺に自分の近況を教えないでほしいと凪沙に頼んでいたらしい。

 それを聞いて、彼女があえて俺に嫌われようと行動していたことを悟った。

 昨日、通話をした時に世羅が冷たかったのはそのせいだ。きっと、別れた理由もそれに違いない。


「そっか……」


 自然とため息が漏れる。そんな俺の様子を、凪沙は悲しげな眼差しで見ていた。


「湊君、大丈夫……?」


「ああ、うん……平気だよ」


 そう答えつつ、頭の中では別のことを考えていた。


(世羅は、まだ俺のことを好きでいてくれているんだろうか……)


 そんな疑問を抱いたものの、凪沙にそれを尋ねることは躊躇われた。


「私、やっぱり世羅ちゃんを助けたい。大切な友達だから。でも……私だけじゃ駄目なんだ。お願い、湊君。世羅ちゃんを助けてあげて」


 そう言って、凪沙は頭を下げてきた。


「……わかった。俺に任せて」


 精一杯虚勢を張ってそう答えたものの、内心は不安でいっぱいだった。


「ありがとう」


 凪沙はそう言うと、僅かに微笑んだ。けれど、すぐにその表情は曇ってしまう。


「……この九年間、みんな散々だったよね。私、時々思うんだ。みんなで高校生の時に戻ってやり直せたらいいのにって。……結局、孝輝君も音信不通になったまま未だに居場所がわからないし」


「え?」


 独り言のように語られた言葉に、俺は思わず動揺した。

 一体どういうことだ。つまり、孝輝の未来はタイムリープ前と何も変わっていないということか……?

 戸惑う俺に、凪沙は追い打ちをかけるように話を続けた。


「私も、学校でいじめに遭ってから人生めちゃくちゃだよ。過去に戻れるものなら戻りたい」


 そう言いながら自嘲気味に笑う彼女の表情は、どこか壊れてしまっているように見えた。


(何だって……? 凪沙は、過去に学校でいじめに遭っていたのか……?)


「湊君、私が学校でいじめに遭っている時によく庇ってくれていたよね。なのに、結局退学しちゃってごめんね」


 耳を疑う言葉が連発しすぎて、上手く頭が回らない。世羅がSNSで誹謗中傷を受けて引きこもりになってしまっただけでなく、凪沙もいじめに遭い苦しんでいたとは想像もしていなかった。孝輝に至っては、タイムリープ前と同じように行方知れずだ。


(これって……もしかして、タイムリープする前よりみんなの状況が悪化しているのか……?)


 そう考えた途端、背筋が凍りついた。


「凪沙……その……」


 何か言わなければ。そう思ったものの、言葉が上手く出てこない。

「あ、ごめんね! もうこんな時間だ。私、そろそろ帰るね」


 不意に、凪沙はそう言いながら席を立つ。


「それじゃあ……世羅ちゃんのこと、お願いね」


 去り際にそう告げてきた凪沙に対して、俺は「うん……」と小さく頷くことしかできなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?