開店から数時間経って、正午を過ぎた頃。店内は段々と混み始めてきた。
ふと世羅の方を盗み見ると、彼女は忙しそうにくるくると動いている。最初は初めてのアルバイトに四苦八苦していたようだけれど、物覚えがいいのかすぐに仕事の手際が良くなっていった。
凪沙は……と彼女の方を見れば、真面目に作業をこなしていたが緊張のあまりか動作がややぎこちない。客から何か頼まれるたびに、肩をビクッと跳ね上がらせていた。
孝輝はというと、普段から店を手伝っているからなのか慣れた様子だ。
そんな時間がどれくらい続いただろうか。時間の感覚が麻痺してしまうほど慌ただしい時間が過ぎていき、ふと店先から賑やかな笑い声が聞こえてきた。
若者のグループだろうか。軽薄そうな面々がテーブル席に座り談笑を始める。そんな彼らに注文を聞くべくホールに出ようとすると、世羅が「私が行くから、湊君はレジの方をお願い」と言ってきた。
俺は「わかった」と返事をすると、レジの対応に取り掛かることにした。
しばらくすると、食事を終えた客がぞろぞろとレジに押し寄せてくる。
そのまま淡々とレジ作業をこなしていると、ふと会計をしないまま店を出て行こうとする子連れの家族の姿が目に入った。俺はすかさず「お客様、お待ちください!」と声をかける。
だが、その家族は振り返らず店を出て行ってしまった。
まずいと感じた俺は慌てて近くにいた孝輝に「レジを代わってくれ」と声をかけると、その家族を追って外に出た。
人混みをかき分けながら彼らを探すと、ようやくその家族の姿を見つけることができた。
「すみません!」
俺はそう声をかけながら駆け寄る。だが、聞こえていないのか彼らはそのまま歩き続ける。
「あの! お会計を……!」
俺はなんとかして引き留めようと一家の主人と思しき男性の肩を掴んだ。
すると、彼はこちらを振り向いた。悪質な食い逃げ犯だったらどうしようと内心危惧していたのだが、意外にもきょとんとした表情で目を丸くしている。
これは、もしかしたら本当に払い忘れていたというパターンだろうか……?
「え……? なんですか?」
「いえ、その……お会計がまだなのですが……」
「お会計……? あれ? お前が払ったんじゃなかったの?」
男性は妻らしき女性に尋ねる。すると、彼女も目を丸くしながら「え? 知らないわよ。あんたが払ったんじゃなかったの?」と答えた。
俺は困惑しながらも、改めて彼らに伝えた。
「大変申し上げにくいのですが、どちらの方からもお代を頂いていないのですが……」
それを聞いた男性は、何かに気づいたように手を叩いた。
「あー、そうか! てっきり、妻が払ったものと思っていたんだけど違ったみたいだ。お手数おかけしました。今からお金を払いに戻ります!」
そう言うと男性はぺこりと頭を下げ、妻子を引き連れて店の方へと踵を返す。俺はため息を吐くと、やや項垂れながら彼らの後を付いていく。
店に戻ると、既に孝輝がレジに並んでいた客を捌いてくれたようで、店内は落ち着きを取り戻していた。
俺は先ほどの家族の会計を済ませると、厨房へと戻った。すると、皆の様子がおかしいことに気付く。
「何かあったのか……?」
俺が尋ねると、孝輝は苦笑しながらも口を開く。
「いや……それがさ。さっき、ちょっとお客さんとトラブルになっちゃって」
理由を聞けば、世羅が料理を運ぶ際に転んでしまい、客の服を汚してしまったとのことだった。
「それで……どうなったんだ?」
恐る恐る尋ねると、孝輝は困ったように頬をかいた。
「いや……その客がめちゃくちゃ怒ってさ。とりあえず、代金はタダにしてクリーニング代を支払うことで事なきを得たけど……」
孝輝の話を聞きつつ、世羅のほうを一瞥する。彼女は見るからに落ち込んでいる様子だった。
「ご、ごめんなさい……なんだか迷惑をかけちゃったみたいで……」
項垂れる世羅を、孝輝が「気にすんなって」と励ます。
そんな二人を見ながら、凪沙が何やら難しい顔をしていた。不思議に思っていると、やがて彼女は声のトーンを落としながら話しかけてきた。
「私、ちょうどその現場を見ていたんだけど……多分、世羅ちゃんに非はないと思うんだ」
「え? どういうこと……?」
聞き返すと、凪沙は神妙な顔で話を続けた。
「トラブルになったお客さんは三人組だったんだけど……その中の一人が、世羅ちゃんが転ぶようにわざと足を引っ掛けていたように見えたの」
その言葉に、俺は衝撃を受ける。
「それ、本当……?」
疑問に思いながらも尋ねると、凪沙は重々しく頷いた。
次の瞬間、脳裏に先ほど店に入ってきた若者グループの存在がよぎる。
もしかすると、彼らだろうか。人を見た目で判断してはいけないと思いつつも、確信めいたものを感じてしまう。
(……あの親子連れを追いかけるのは、孝輝に任せたほうが良かったかもしれないな)
そうすれば、きっと理不尽なクレーマーから彼女を守ることができただろう。
それに……何故だかわからないが、嫌な予感がするのだ。あの時──店に残るという選択をしなかったことで、後悔することになりそうな……そんな気がした。