Side 凪沙
(……湊君に褒められちゃった)
凪沙は先ほどのやり取りを思い出しながら、にへらと頬を緩ませる。
(それに、この制服も「似合ってる」って……)
凪沙は手鏡に映る自分の姿を見て、さらに笑みを深めた。
湊と初めて出会ったのは、中学生になったばかりの頃のことだ。その日は朝から不運なことが続き、極めつけには家に眼鏡を忘れてきてしまった。
視力が悪い凪沙にとって、眼鏡のない生活はまさしく拷問に近い。
とはいえ、遅刻してしまうため今更取りに帰るわけにもいかず、仕方なく学校までの道のりを涙目になりながら歩いていたときだった。
視界がぼやけているせいか、転んでしまったのである。
あまりの恥ずかしさに泣きたくなったが、その時はつい先ほどまで不運続きだったこともあって自暴自棄になっていた。だから、「もうどうにでもなれ」と思っていたのだが……そうこうしているうちに誰かに手を差し伸べられ、さらに心配するような言葉までかけられた。その時、声をかけてくれたのが湊だったのである。
「大丈夫? よかったら、これ使って」
そう言って湊が手渡してきたのは、絆創膏だった。
よく見てみれば、膝からは血が出ている。制服のスカートにも汚れがついていた。
(なんて、親切な人なんだろう)
目の前の少年の優しさに触れた凪沙は、それ以来、もっとこの人のことを知りたいと密かに願うようになった。それが、湊に片思いをするようになったきっかけだった。
湊とは中学が別だったため、なかなか会う機会がなかった。
けれど、幸運にも湊と同じ高校に入学し、そのうえ同じクラスになることができた。
その時は本当に嬉しかったし、さらに幸運なことに席替えで彼の近くになれたときは、思わずガッツポーズをしてしまったほどだ。
湊はあの時のことを覚えていないようだったが……凪沙はそれでも構わなかったし、この上ない幸せだった。
そんな湊と、一緒にアルバイトをできる日が来るなんて。ここまでの流れが全て神様のお陰かと思ってしまうほどである。
「……ねえ、凪沙。何だか、だらしない表情になってるよ?」
世羅に少し引き気味に耳打ちされ、凪沙は慌てて表情を引き締めた。どうやら、相当浮かれてしまっていたらしい。
「それにしても……コンタクトにして来るなんて、初っ端から湊君へのアピールがすごいね。案外やり手だったんだ」
ジトッと見つめてくる世羅に、凪沙は微苦笑する。
「そ、そんな……世羅ちゃんこそ、私より一歩先を行っているっていうか……」
そう返しつつも、凪沙は先日の出来事を思い出す。
孝輝の両親が経営するレストランでアルバイトをすることが決まった翌日のこと。
凪沙は、突然世羅から「一緒に帰らない?」と誘われた。自分は彼女にとっては憎い恋敵なのに……と訝しみつつも、断る理由もなかったため駅までの道のりを世羅と共に歩いて帰ることになった。
そして、駅前まで到着したところでふと歩みを止めた世羅が一言。
「……ねえ、凪沙。あなたも湊君のことが好きなんだよね?」
「え……?」
突然の質問に驚き、思わず聞き返してしまう。
この間、凪沙は湊にその場の流れでうっかり告白してしまった後、「気まずくなるのが嫌だから、
恋人に昇格するチャンスがあれば、いつでも繰り上がるつもりではあったのだ。
だから、凪沙は「今は」という部分を特に強調して伝えたのだが……湊がその意味を理解していたかは微妙なところだ。
……まあ、彼は「友人関係」という部分しか聞いていなかったようなので、おそらく気づいていないだろう。
そんな湊の鈍感さに落胆しつつ、凪沙は「う、うん……」と答えた。
「それなら、正々堂々勝負しない?」
予想外の言葉に、凪沙は困惑を隠しきれない。
だが、すぐに気を取り直すと力強く頷き返す。
「どっちが選ばれても、恨みっこなしね。でも、もし湊君が私たち以外の別の誰かを選んだら……その時は、二人で慰め合おうか」
世羅はそう言うと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。以前のようなわだかまりは、もうどこにも残っていない。
その笑顔に、凪沙は何だか救われた気がした。