その日以来、俺と世羅は放課後になると一緒に勉強するようになった。最初は緊張していたものの、徐々に彼女と放課後を過ごすのが当たり前になり、今ではすっかり打ち解けている。
そんなある日のこと。俺と世羅は、ファミレスで勉強をすることになった。
というのも、これまでは学校の図書室で勉強をしていたのだが……他の生徒たちが頻繁に話しかけてくるため集中できないという世羅の悩みを聞き、俺はその提案に乗ったのだ。
そう、世羅は同級生だけではなく、上級生や下級生にも人気がある。だから、図書室では俺と勉強していたにもかかわらず話しかけられて大変だったようだ。
俺がトイレに行くために席を外した時なんかは、場所を弁えず告白をしてくる男子生徒もいたらしい。世羅は心底辟易した様子で愚痴をこぼしていたが、こちらとしては内心複雑な思いだった。
(まあ、世羅と一緒に勉強していると他の男子生徒から妬まれるだろうし……ちょうど良かったかもしれないな)
高嶺によって着せられた冤罪を晴らしたことで何とか名誉を回復できたものの、やはり学校一の美少女と一緒にテスト勉強をするというのは周りから妬み嫉みを買ってしまう可能性があるのだ。
だから、俺としても学校外で勉強した方が何かと都合がいいのである。
ただ、中には「あいつは成績が悪いから、きっと慈悲深い椎名さんが勉強を教えてあげているのだろう」と勝手に解釈している生徒もいたようだが。
まあ……実際、世羅は過去に成績が芳しくない同級生たちに勉強を教えていたこともあったようなので、勘違いするのも無理はないか。
そんなわけで、今日は初めて二人でファミレスに行くことになったのだが……。
(なんか、緊張するな……)
世羅と一緒にファミレスに来たはいいが、今までこういった場所に誰かと一緒に入った経験などなかったため落ち着かない。
そんな俺に対して、世羅は慣れた様子でメニュー表を眺めている。
(やっぱり、普段から友達と一緒にこういう場所で過ごしているんだろうな)
それなのに、自分なんかと勉強をしていていいのだろうか。もしかしたら、友人との交流の妨げになっているのではないか。
などと堂々巡りの考えがぐるぐると頭の中を巡ってしまう。
(……駄目だ。どうしてもネガティブな方向に考えてしまう)
陰キャ特有の卑屈さが今日も顔を出しているのを感じつつ、俺は一旦その思考を打ち切ることにした。
せっかく片思いの相手と仲良くなれる機会ができたのだから、こんなことで台無しにしてはもったいない。
(とにかく……今はこの時間を大切にするべきだな。せっかく高校時代に戻ってこられたんだし)
そんな風に自分にしては珍しいと思うくらいのポジティブシンキングに切り替えると、「無難にハンバーグセットにしておくか」と注文する料理を決めたのだった。
すると、世羅が話しかけてきた。
「私はパスタにするよ。湊君は決まった?」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が大きく跳ねた。……いかん、いかん。赤くなってはいけないと自分に言い聞かせ、さりげなく顔の下半分を手で覆う。
俺と世羅は、いつの間にかお互いのことを下の名前で呼び合うようになっていた。「せっかく友達になれたんだから、湊君も私のことを下の名前で呼んでくれないかな?」と、肩を近づけて可愛らしくおねだりされたら、断れるはずもない。
「ああ、うん……俺はハンバーグセットにするよ」
俺はあの時のことを思い出してまた赤面しそうになるのを何とか制御し、注文を伝える。
「じゃあ、店員さんを呼ぼうか。何だか楽しみだね」
世羅は無邪気な笑みを浮かべてメニュー表を見つめている。俺の目がおかしいのか、そんな彼女がとても輝いて見える。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
世羅の笑顔に見惚れていると、注文を取りに来た店員さんに声をかけられハッとする。
注文を終え、料理が来るのを待っている間。俺は店内をちらりと見た。
平日のせいか、客はまばらだ。これくらいなら、うるさくて勉強に集中できないということもないだろう。
「わあ……!」
運ばれてきた料理を見て、世羅が歓声を上げる。
「すごく美味しそう! あっ……でも、まだ湊君の料理が来てないよね」
世羅は、少しそわそわした様子でこちらを窺っている。きっと、お腹が空いているのだろう。
「俺のことは気にせず、先に食べなよ。世羅さんに気を遣わせるのは申し訳ないからさ」
(やっぱり、さん付けとはいえ下の名前で呼ぶのは慣れないな……)
俺が誤魔化しついでに早口で言うと、世羅は少し不満そうな表情を見せた。
「……せっかくだから、一緒に食べたいんだけどな」
「え?」
「駄目かな……?」
潤んだ目でお願いされてしまい、俺は狼狽えながらも「う、うん……」と何とか返事をする。
「それと……さん付けは他人行儀で嫌だなぁ。呼び捨てでいいのに……」
世羅は付け加えるようにそう呟いた。
ちゃん付けだとそれはそれで失礼な気がするし、ここはやはりさん付けが無難だろうと俺なりに気を遣ったつもりなのだが……世羅は別の捉え方をしてしまったようだ。
しかし、よく考えてみれば彼女も俺のことを君付けで呼んでいる。なんだか理不尽だなと思いつつも、仕方なく承諾することにした。
「あ、えーと……うん、わかった。……せ、世羅」
眉尻を下げて懇願してくる世羅に根負けして呼び捨てにすると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう!」
そんな会話をしていると、やがて俺が頼んだ料理が運ばれてきた。
世羅は「いただきます!」と言うと、早速パスタをフォークに巻き付けて口へと運ぶ。
「うーん……美味しい!」
世羅は目を輝かせると、幸せそうな顔で何度も頷いた。
そんな彼女を眺めながら、俺はポケットからスマホを取り出し母親にメッセージを送る。
『今日は友達と一緒に夕飯を食べてくるよ』
『あら? 珍しいじゃない。あんたが友達とご飯なんて』
『そうかな?』
そう返信すると、俺は気恥ずかしさを誤魔化すように水を飲む。
『もしかして、女の子?』
「ぶふっ! けほっ、ごほっ!!」
突然の変化球に噴き出した上、変なところに水が入って軽くむせてしまった。
咳き込みながらもスマホの画面を見ると、母から続けてメッセージが来ていることに気づく。
『図星だったみたいね』
どこかイラッとするスタンプと共にそのようなメッセージが表示されており、俺は思わず天を仰いだのだった。