ふと気づけば、俺は一人でベンチに座っていた。
(この場所は……)
思わず、息を呑んだ。
間違いない。高校時代、放課後によく読書やスケッチに励んでいた校舎裏のベンチだ。
何故こんなところにいるのか全くわからなかったが、それをじっくり考えるような余裕はすぐになくなった。
目の前に、友人と楽しそうに話している世羅がいたからだ。それも、記憶の中にずっとあった高校生の頃の姿のままで。
見間違いかと思い何度も目を擦ったが、彼女は確かにそこにいる。
(ああ、そうか。これはきっと夢だ)
納得するのは早かった。何故なら、憧れの人と再会できるなんて夢以外ではありえないからだ。
椎名世羅──彼女は日本人の父とスウェーデン人の母を持つ北欧ハーフで、成績は常に学年トップ。
その上、社長令嬢という絵に描いたようなハイスペックぶりで、男子生徒なら一度は「こんな娘が恋人だったら」と思う理想の女子だ。
(やっぱり、可愛いなぁ……)
腰より長い美しいシルバーブロンドの髪に、きらきら光る翠緑の瞳。雪のように白い肌。スラリと長い手足。まるで天使のようだと形容される彼女の容姿は、まさに非の打ち所がない。
二次元の世界から飛び出してきたかのような幻想的な美少女である世羅を前に、俺は思わず見惚れてしまう。
そのままぼーっと眺めていると、突然後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、数少ない友人である
「よっ! もしかして、椎名さんをモデルに絵を描いていたのか?」
「……お前かよ。何の用だ?」
「おいおい、そんな邪険にするなよ。せっかくこの俺が片思いに悩む親友のお前を慰めに来てやったってのにさ」
そう言って孝輝は肩を竦める。こいつは昔からこういう奴で、いつも俺をからかいに来るのだ。
「別に慰めて欲しくなんかない」
「またまたぁー、強がんなって!」
孝輝はバシッと俺の背中を叩く。
「痛っ! 何すんだよ!」
「ははっ、悪い悪い」
全く悪びれずに笑う孝輝を見て、俺はため息をついた。
「それで? なんでこんなところでコソコソ絵を描いていたんだ? 絵のモデルになってほしいなら、直接彼女に声かけりゃ良いのに」
「いや、それは無理だって。そもそも、俺なんかがあんな高嶺の花に声をかけたら迷惑だろ?」
「そんなことないと思うけどなぁ……」
「それに、ほら……今、俺は悪い意味で有名人だしさ……迂闊に話しかけて、椎名さんまで変な目で見られたら申し訳ないし」
……そう、この頃の俺は高嶺に痴漢呼ばわりされた挙句、根も葉もない噂を流されていたのだ。
そのせいか、クラスでも肩身が狭く、鬱屈した日々が続いていた。そんな時、偶然図書室で本を読んでいる世羅を見かけた。
そして、その儚げで美しい横顔に思わず目を奪われたのだ。それ以来、俺はずっと彼女をモデルに絵を描きたいと思い続けてきた。
だが、当然ながら気軽に話しかけられるような親しい間柄ではない。だから、悪いとは思いつつもこうして隠れてスケッチさせてもらっていたのだ。
「……きっと迷惑だろうから、あんまり追求しないでくれると助かる」
そうボソボソ呟く俺に、孝輝はおかしそうに笑い声を上げた。
「相変わらずの卑屈っぷりだな。そんなんじゃ、一生かかっても椎名さんに話しかけるなんて無理だぞ!」
「うるさいな……」
俺はムッとして言い返したが、確かに孝輝の言う通りかもしれない。このままでは一生彼女に話しかけることなどできないだろう。
「それとさ……あの噂のことだけど。気にするなって言うのは無理かもしれないけど……少なくとも、俺は湊の無実を信じてるよ。だから、あまり卑屈になるなよ」
「孝輝……」
「俺も、お前の名誉を回復するために力を貸すからさ。だから、協力できそうなことがあったら遠慮なく言ってくれよな!」
「ありがとう、もし力を借りる時はお願いするよ」
素直に礼を告げると、孝輝はニカッと笑った。
その屈託のない笑顔を見ていると、なんだか勇気が湧いてくる。
(そういえば、こんな会話したなぁ)
俺がクラスメイトたちから軽蔑され避けられるようになっても、孝輝だけは味方でいてくれた。
傷心の俺を遊びに誘ってくれたり、俺は悪くないと言ってくれたりして庇ってくれた。
(でも、この後孝輝は……)
そう、彼は夏休みに入る前に事故に遭ってしまうのだ。
聞いた話によると、自転車のブレーキが故障していたのが原因で、車と衝突してしまったらしい。
幸い命に別状はなかったらしいが、大怪我を負い、しばらく入院しなければいけなくなってしまった。
──だが、結局孝輝が学校に戻ってくることはなかった。そのまま退学してしまったのである。
その後は音信不通となり、結局彼の安否を知ることはできなかった。
「あのさ、孝輝。最近、自転車乗ってる?」
ふと気になって尋ねた俺に対し、彼は不思議そうに首を傾げた。
「自転車? まあ、普通に乗ってるけど……何でそんなこと聞くんだ?」
「ブレーキはちゃんと効くか? 点検してる?」
「ん? ちゃんと効くから大丈夫だけど」
孝輝は呆れたように肩を竦める。
「そっか……それならいいんだけど。ほら、最近自転車の事故とか多いだろ? 孝輝もよく自転車に乗っているって言っていたから、心配になってさ」
「心配しすぎじゃないか? さてと……じゃあ、俺そろそろ行くわ。これから、委員会の集まりがあるんだよ」
そう言うと、孝輝は俺の肩をポンッと叩き、走り去っていった。
(まあ、夢の中で「事故に気をつけろ」って忠告しても意味がないんだけど)
そんなことを考えながら、俺はベンチから立ち上がる。
(そろそろ教室に戻るか)
しかし、夢にしてはやけにリアルだ。
廊下ですれ違う生徒たち。窓の外に見えるグラウンド。それら全てが夢とは思えないほど鮮明だった。
まるで、高校時代にタイムリープしてしまったかのようだ。
……いや、まさかな。