「……厄介なことになったな」
アジトに戻って事情を説明した僕らの前で、グレゴリーさんが深いため息をつく。
息を切らせて帰ってきた僕とジャッキーの姿を見るなり、アジト中の仲間がリビングに駆けつけてきた。
表情は様々でも、僕らを心配してくれているみたいだった。
彼らに迷惑をかけたのもそうだけど、僕はグレゴリーさんのため息を申し訳なく感じた。
「ごめんなさい、グレゴリーさん。僕達が捕まらなければ……」
僕が謝ると、彼は首を横に振った。
「貴様らを責めるつもりはない。むしろ、生きてここまで返ってきたことを褒めてやる」
「だけどよお、ここまでナメられたら黙っちゃいられねえよ!」
グレゴリーさんの後ろや僕らの周りで、怒りを伴った声が飛び交う。
「そうだ、そうだ! エクレア・ファミリーなんてチンピラに好き勝手させてたら、俺達の名がすたるってもんだぜ!」
「第一、こっちはエドとジャッキー嬢ちゃんに、ニコラスさんまでやられてるのよ!」
「あたしらの力、見せつけてやろうじゃないの!」
男女関係なく、中にはナイフや手斧を掲げて憤る者もいる。
仲間がやられて、仕事を奪われそうになってるんだから当然か。
でも、僕らが危機に陥ったことについて怒ってくれるのは――言っちゃいけないんだけれども、嬉しい気持ちもあった。
「グレゴリーさん、どうしますか?」
「この機を見た第三勢力の介入もあり得る以上、こちらからはなるべく動ないようにするというのがティナの結論だった。だが、一線を越えたなら応じろとも言われた」
ぼりぼりと頭を掻きつつ、グレゴリーさんは言った。
彼もまた、決して静観の立場を貫くだけの人ではないみたいだ。
「準備だけはしておけ。次、何かあったなら……この街から奴らを消し去る」
「「やるぞオラァーっ!」」
目の前に敵がいるかのように、ぎろりと虚空を睨んだ彼の声に、仲間達が一斉に沸いた。
マフィア同士の抗争。映画の中でしか見たことのない騒動に、心臓が高鳴る。
興奮じゃなく、むしろ不安や緊張で心臓が張り裂けそうなんだ。
「抗争なんて久しぶりね、ワクワクしちゃう!」
「エドワード、お前らも腹を括っとけよ!」
「え、あ、はい……」
すっかり乗り気で各々の作業に戻ってゆく仲間達。
彼らの心底楽しそうな表情とは裏腹に、僕はどうしても複雑な気持ちを心の中に留めきれなかった。
「アニキ、本当に抗争なんて起きちまうべ? もしそうなったら、人をぶん殴れても、ぶっ殺せる自信なんておいらにはねェべよ~っ!」
「そうならないように祈るしかないね。あるいは……」
ジャッキーに肩を叩かれた僕は、まだリビングを離れないグレゴリーさんを見つめた。
「あなたが抱いている疑問が解ければ、抗争にまで至らないかもしれません」
僕の言葉を聞いて、彼は眼帯を外した。
橙色に光る【
「……俺の心を読むのか? 貴様のようなガキが?」
「読んでもいいのなら……読みます」
グレゴリーさんの橙色の目を見つめながら、僕は言った。
「抗争はしたくない。だけど必要ならやらなきゃいけない。そもそも、エクレア・ファミリーがこんな強硬手段にでるはずがない……どうでしょうか」
少しばかりの沈黙の後、グレゴリーさんは軽く笑った。
「……フン、生意気なガキだ。話をしてやるから、そこに座れ」
言われるがまま、僕らはテーブルを挟んでグレゴリーさんの向かい側に座った。
ティナが嫌うからとか言って、彼は普段は葉巻を吸わないようにしていると、ファミリーの皆から聞いた。
けど、グレゴリーさんは今、葉巻に火をつけている。
何か思うところがあるのか、たっぷりと煙を吸ってから、彼は口を開いた。
「エクレア・ファミリーは、10年以上前からカポールにいるマフィアだ。歴史だけで言うなら俺達よりも長いし、ボスのモンテスキュー一家は礼儀をわきまえていた」
「モンテスキュー……その血筋が、代々エクレア・ファミリーのボスを?」
「そうだ。特に先代ボスのエミールは立派な男だ。事業に失敗し、一度は崩れかけたファミリーを建て直した。メンバーをほとんど一から集め直して、今のファミリーを再結成した。奴のカリスマに憧れて加入した男を、俺もかなりの数、知っている」
言われてみれば確かに、エクレア・ファミリーの構成員は若者が多かったけど、先導してるのは彼らではなく中年の男性達だった。
「でも、今は……」
「今は、ではない。エミールが死んでからだ」
葉巻の先端がちりちりと小さくなる。
グレゴリーさんに味を楽しんでいる様子はなく、その目はどこか寂しそうだ。
「……エミールが死んだという報せが入って間もないうちに、あの小娘がボスの座に立った。先代ボスを慕うものをことごとく処刑し、若造を取り入れた」
やっぱり。先代ボスに従っていた人も、今はマリーさんに服従を誓わされているんだ。
あるいは彼女にではなく、先代が作り上げたファミリーに。
いうなれば、人質のようなものかな。
「だが、聞けば奴にカリスマはなく、ほとんど恐怖政治による統一らしいな」
「どうしてそんな凶行に走ったんでしょうか?」
「……あの女は、マフィアとしての質を父親と比べられることもあっただろう。それで、自分にもボスが務まると勘違いして殺したはいいが……というところだと推測している」
グレゴリーさんは、ふう、と吐き出す煙で輪っかを作った。
それを見つめる僕の目には、彼ではなく、マリーさんの怒り狂った顔が映っていた。
『あーしの方がボスに相応しいっての!』
ボスになれば何かが変わると思っていたのか。
自分が思っていた現実を認められず、暴力を振るって支配したのか。
もしかすると、どちらでもない理由があるのかもしれない。
(マリーさんのあの時の表情……ただの嫉妬だけじゃないみたいにも見えたけど……)
いずれにせよ、引き起こした騒動の結果は決まっているんだ。
「とにかく、ファミリー同士の衝突は明確になった。貴様らも覚悟はしておけ」
葉巻の火をテーブルにこすりつけて消し、リビングを去るグレゴリーさんは、いつになく苛立っているようだった。
そんな彼に、僕はとても声をかけられなかった。
ティラミス・ファミリーにすら敬意をもって接されるボス。
彼を殺して、横暴の限りを尽くす首切り女王のマリーさん。
このふたつについてどう思うかなんて、とても聞けるわけがないじゃないか。
(……嫌な予感がする。何かとんでもないことが、起きるような……!)
だけど、恐ろしい不安感だけは、僕の胸の中にあった。
ジャッキーが肩をゆするのにも気づかないまま、これから起こりうる最悪の事態を、僕は回避できる手段はないかと思案を巡らせていた。
――ただ、僕のような十歳の子供にできることはないと思い知らされた。
僕の予想は、三日後に最悪の形で的中した。
エクレア・ファミリーが――ティラミス・ファミリーに『決闘』を申し込んできたんだ。