ジャッキーも、エクレア・ファミリーの部下も、マリーさんも、一瞬だけ呆然とした。
「……は?」
ドスの利いた声でマリーさんが僕に詰め寄っても、僕は退かない。
こんな人を相手に退いたなら、僕はきっとマフィアになんてなっちゃいけない。
「さっきのウェイターさんが持ってきたコーヒーは、本当にぬるかったんですか。いつもと少し違うだけで、あんな態度をとるほど短気な人なら、もし部下の方が仕事を失敗したならどんな罰を下すんですか」
「失敗した部下なんかいねーし。帰って来たらあーしがショケーしてっから☆」
静かな問いに返ってくるのは、さも当然の如き横暴なふるまいだ。
「けどさ、エクレア・ファミリーのヨーシャないところがかっけーっつって、参加したがる奴がいるんだわ! おかげで部下には困んねーの!」
「部下を……部下を何だと思ってるんですか」
「何って、道具だけど? ティラミス・ファミリーみてーに昔のやり方とかなんとか言ってる方がクソダセーってんだよ、きゃははは!」
腹を抱えて笑うマリーさんの姿が、もう僕には我慢ならなかった。
ティラミス・ファミリーを率いるユスティナは、いつだって部下を第一に考えてる。
グレゴリーさんだって、皆が自分以外の皆を大事に思ってる。
僕を歓迎してくれたマフィアの皆も、面倒を見てくれたニコラスさんも、新入りのジャッキーですら仲間を大事にしているんだ。
一方で、マリーさんはどうだ。
この人はただ、マフィアのボスになっただけ。
誰にも認められていないのを知っていながら、圧政を敷いているだけの人だ。
僕はマフィアとして、ひとりの人間として、この人の言い分を許しちゃいけない。
「力で全部をねじ伏せようとするなんて、小心者のすることだ! ボスの座を蹴落とされないかって怯えて、虚勢をやる人間の卑劣な手段だ!」
本当のボスなんかじゃない。ボスになっていい人間じゃない。
「あなたは――あなたは、ボスの器なんかじゃない!」
だから僕は、自分でも信じられないほどの声で怒鳴った。
そしてそれが、とうとうマリーさんの逆鱗に触れたのは明白だ。
「ぐあっ!」
テーブルに叩きつけられた僕に、後ろから冷たい刃があてがわれた。
「あー、うっぜ。チョーシのんなっつったっしょ、クソガキ」
頭を掻きながら唾を吐くマリーさんのスキルの正体が、やっと分かった。
「そいや説明してなかったね、あーしのスキル。名前は【
この人が使うスキルは、錬成系のスキル。
しかも彼女の残虐性を表すような、巨大な漆黒の大鎌だ。
「並みの武具も防具も通用しない、魔法スキルの攻撃もはじき返す、最強の鋼でできた鎌。このSランクのスキルで、サイコーにアガるショケーを見せてやるじゃん☆」
能力だけを聞くとSランクというのは信じられないけど、これだけ鋭く大きな鎌を錬成できるのなら、上位ランクであるのも頷ける。
少なくとも、わずかでも僕が動けば首が飛ぶと確信できるほど、切れ味は鋭い。
「この、アニキに手を出すんじゃねえべ……ひゃあっ!」
「安心しとけし、あんたも一緒にぶっ殺してやっから☆」
ジャッキーが僕の拘束を解こうとしてくれたけど、彼女も僕と同じように、床に縫い付けられてしまった。
影人間を出すより、きっと刃が彼女をかき切る方が早い。
「こんな街中で騒ぎを起こすなんて、正気か!?」
「は? 関係ねえっしょ?」
だとしても、人が全くいないわけじゃないのに殺人までしてのけるのは異常だ。
マリーさんは乗り気だろうけど、ファミリーの部下はまったくそうじゃない。
「……ボス、ここで人を殺すのは危険です。どうですか、ダニエル?」
「そうです、セザールの言う通りです。ここまで騒ぎ立てれば、自警団も集まってくるでしょう。威圧しただけでも十分だと思いますし、素材を奪って退きましょう」
セザール、ダニエルと名乗るふたりの幹部らしい男が、マリーさんを止めた。
「……メーレーすんな」
「ここで殺しをすれば、前回の襲撃以上に警戒されます! 先代のボス、あなたの御父上ならきっと、こんな横暴なことは……ぎゃああ!」
苛立つ彼女をそれでも強引に止めようとしたセザールの手に、鎌を離したマリーさんが、テーブルに落ちているフォークを突き刺した。
「あいつの話なんかしてんじゃねーよっ!」
悲鳴を上げる彼を蹴飛ばし、マリーさんが狂ったような目でぎろりと彼を睨む。
彼女の言うあいつとは、きっと先代ボスのこと。
彼女の父親が、ボスなのか。
「あいつがいつまでもティラミス・ファミリーにビビッて、日和ってたからエクレア・ファミリーはナメられてんだろ! 散々ディスられてるってのにヘラヘラしてる、サイテーの玉無しヤローより、強気に喧嘩を売るあーしの方がボスに
よほどコンプレックスに思ってるのか、マリーさんは怒りに身を任せていて、完全に平静を失ってる。
それこそ、僕らの方なんてちっとも見ちゃいない。
だから、僕の服の胸ポケットから、小瓶が転がり落ちたのも見えていないようだった。
(ポーションの入った小瓶……拘束された時に、鞄から出てきた……これだ!)
床板やテーブルを狼に変えるのは時間がかかるけど、この小瓶ならすぐに狼にできる。
しかも僕を支配していた鎌は、マリーさんの手から離れているじゃないか。
――やるなら、今しかない。
「【狼の
ほとんど反射的に、僕は小瓶に触れた。
すると、瓶は液体が入ったまま狼になり、僕の意志に従ってマリーに飛びかかった。
「きゃっ!?」
僕のスキルがどんなものかまでは知らない彼女にとって、小瓶の狼の奇襲は効果てきめんだったようで、たちまちその場に倒れ込んだ。
しかも小瓶は激突と同時に割れて、彼女の顔にポーションまでぶちまけたんだ。
マリーさんが尻もちをついた瞬間、僕らを支配していた鎌が消え去った。
「こ、拘束具が壊れたべ!?」
「ジャッキー、影人間の壁だ! 視界を塞いで、その間に狼に乗って逃げるよ!」
「は、はいっ! 【
僕が今度こそ、テーブルと床板を一頭ずつの狼に変える。
それと同時に、ジャッキーが作り出した影人間が、たちまち敵の視界を遮った。
「にゃろ、ふざけたマネしやがって!」
マリーさんが喚くよりも先に、僕とジャッキーは木製の狼に乗ってテラスを飛び出す。
「ぼさっとしてんなし、追えっつーの! 逃がしたらゼーインブチ殺すぞ!」
狂ったような叫び声がだんだん遠くなり、聞こえなくなる。
通りを抜けて、人通りが多くなってきてもまだ、僕らは足を止める気になれなかった。
驚く人々の間をすり抜けて駆け抜けていく狼がどれほど目立っていても、ファミリーに迷惑がかかるかもしれないとしても、僕らは止まれなかった。
少しでも立ち止まると、マリーさんが鬼の形相で追いかけてくるような気がしたんだ。
「あいつらの姿は見えなくなったべ……けど、あのマリアンヌっていかれ女、おいら達のアジトにまでやってきそうな勢いだべさ!」
否定しきれないのが、心底恐ろしい。
「とにかく今は、グレゴリーさんに報告しよう!」
通行人が僕らに向ける視線を潜り抜けながら、向かう先はファミリーのアジト。
ポーションの素材が入った袋は持った。エクレア・ファミリーの侵略も知った。
「下手をすると――抗争になるかもしれない!」
問題は、もっと恐ろしい事態が起きるかもしれないことだ。
嫌な予感を胸に抱きながら、僕は狼をひた走らせた。