「ニコラスさんが!? 最近見ないと思ってたんです……!」
あの気さくな人がひどい目に遭ったと思うと、僕も思わず拳を握り締めてしまった。
立ち上がったグレゴリーさんの顔も、どこか重苦しく見える。
「死んではいないが、しばらく仕事には出せない。他の人員を選定していたが、エクレア・ファミリーが俺達を調べている以上、スキルが知られている奴は使えない――」
けど、彼の表情はあっさりと変わった。
「――そこで、貴様らに白羽の矢が立ったわけだ」
僕らを、じっと見つめた瞬間から。
真意はともかく、彼が何を考えているのかは、幸いにもティナよりは読みやすかった。
だから僕は、とんでもない仕事を割り振られようとしているのを察してしまった。
「新しい仕事、というわけですか?」
「そうだ。難しい話ではない、ポーションの素材を指定されたところで回収して、アジトまで戻ってくるだけでいい」
「……つまり、僕達に闇ポーションの素材集めをしろと? しかも、エクレア・ファミリーにいつ襲われるかも知らない状況で?」
いっそ「くだらないたわ言を」と一蹴されたかった。
けど、代わりにグレゴリーさんは――絶対に良い意味ではない、悪魔すら彷彿とさせる笑顔を見せてくれた。
「ああ、呑み込みが早くて助かるな」
果たして、僕の予感は大当たりした。
加入して間もないファミリーの新入りは、これから死地に駆り出されるんだ。
「やだーっ! そんな怖い仕事、できるわけないべーっ!」
ジャッキーの叫び声を聞いて、グレゴリーさんが一層笑う。
「おやおや、これは予想外だな。賭場に殴りこみ、歌姫を護衛した経験もある勇敢なちびっ子マフィアが、お使いを怖がるとはな? あのエドワード少年の子分がこれか?」
「こんなおっかねえ仕事となんか、比べらんねえべよー!」
ジャッキーがこんなリアクションをするのも無理はない。
なんせ彼女の強気な態度は、僕と一緒にいる+悪事を見て「どうにかしなくちゃ」と思った時限定、冷やし中華よりも期間限定なものだ。
賭場を開いていた連中に対しては、ファミリーのために何かしたいと思っていた。
アルマさんの件では、ストーカーに対して強い怒りを抱いてた。
今回はそのどちらでもなければ――どちらよりもずっと危険なんだから。
「あー、グレゴリーさん。まさか、さっき言ってた……」
「ククク、言っただろう? ご褒美をやるとな」
「り、理不尽だべ!」
「理不尽は新人マフィアにつきまとう。よく覚えておけ」
心底楽しそうに笑うグレゴリーさんは、僕らが仕事を嫌がることそのものを楽しんでいるみたいだ。
やっぱり、この人は色んな意味でとんでもない人だよ。
「それに、俺は成功するとも思っていない奴に仕事は任せん。お前達を選んだのは、並の大人以上の度胸とスキルを買っているからだ」
「前にも同じことを、言ってませんでしたか?」
「さてな。だが、本当に嫌だというなら他に回そう。もっと楽な仕事を与えてやるが、それがいいのであれば今のうちに言え」
もっとも、こう言われちゃあ、僕としても引き下がれない。
彼女はもっといい暮らしがしたい、自分のファミリーが欲しいと常々語っていたし、兄貴分としてその夢をかなえてあげたい。
ここで僕が仕事を断れば、きっともう、同じような仕事は回されない。
そうなれば、彼女の夢も、僕の夢も遠ざかってしまうんだ。
――まったく、選択肢なんて最初から一つじゃないか。
しかも僕が、ジャッキーを勇気づけるところから始まるんだ。
「……ジャッキー、今よりずっと豪華な暮らしがしたいかい?」
「そりゃあ、おいらの夢だべ!」
ぶんぶんと頭を縦に振るジャッキーを見て、僕は微笑んだ。
「じゃあ受けるとしよう。ご褒美をたっぷりくれるって、信じてるからね」
「うー……アニキが言うなら、おいらも子分だ、従うべよ!」
よかった。
ジャッキーにとって、仕事でとんでもなく恐ろしい目に遭うよりも、将来豪遊できる喜びの方が勝ってくれたみたいだ。
「フン、やはり俺の目に狂いはなかったな。度胸のある、イカレた小僧だ」
グレゴリーさんはというと、少し驚いたような目のまま、僕らに一枚の地図を渡した。
「明日の真昼、カポール南部にあるよろず屋の『メーター商店』に行ってもらう。表向きは家具家財や日用品を取り扱う店だが、裏では違法に錬金術の素材を取り揃えている。そこで、指定されたアイテムを調達してこい……簡単だろう?」
「闇ポーションの素材を、商人が子供に売ってくれるんですか?」
「何のための指輪だ。それを見せれば、俺達に縁のある商人は誰もが言うことを聞くぞ」
「エクレア・ファミリーと遭遇した時は?」
「逃げろ。そこまで奴らが縄張りを広めたという情報を持って帰ってくれば上出来だ。連中を倒せるほどの期待はしていないからな……他に質問は?」
グレゴリーさんの問いかけに、意味はもうないと思っていいはずだ。
仕事自体は非常にシンプルだから、あとは僕らが迅速にお使いをこなすだけだもの。
だから僕は、首を横に振った。
「ならいい。さっきも言ったが、期待しているぞ」
「ありがとうございます。最悪、素材だけでも持って帰ります」
とにかく、グレゴリーさんを失望させないように頑張らないと。
そう思ってぐっと頷きあう僕らに、彼は背を向けて歩き出した。
「……おい」
――と思っていたんだけど、ふいにくるりと僕とジャッキーを見つめた。
いつもと違う、なんだか憂いに満ちた片目だ。
「――いざとなったら大声を出せ。手を出せば怖い人が来ると言って俺達をダシに使え。身分を偽ってもいいし、相手に取り入ったふりをしてもいい。指輪も素材も投げ捨ててしまえ」
――意訳:いのちをだいじに。
――さらに意訳:仕事だから仕方ないけど、死んでほしくない。
僕の頭の翻訳機は、彼のセリフをこう理解した。
「仕事を任せた俺が言えたものじゃないが、命はもう少し大事にしろ。そうでないと、俺がティナに叱られるからな……まったく、調子が狂う……」
銀髪をぼりぼりと掻きながら、なんとも言えない表情のままグレゴリーさんは、今度こそ廊下の奥に消えていった。
残されたのは、きょとんとするジャッキーと、真意に気づいた僕だけ。
「……アニキ、グレゴリーさんは何を言ってんだべ?」
彼の気持ちをジャッキーに伝えると、きっとこの子は調子に乗りすぎちゃうだろうな。
幹部から拳骨をくらわないように、ちょっぴり砕けた言い方で教えてあげよう。
「やっぱり、あの人は皆が思ってるほど怖い人じゃないってことだよ」
伝わったのか伝わってないのか、ジャッキーはタコみたいな口になっちゃった。
でも、きっとこれでいいと確信して、僕は彼女の手を引いてアジトを出た。