「……ぐ、こんちきしょうが……!」
とある路地裏で、うめく男がひとり。
よろよろとどうにか壁にもたれかかり、立ち上がる男のまわりには、山ほどの割れた瓶と黄色い液体と革製の鞄が散らばる。
彼の指に嵌められた黄色の指輪は、ティラミス・ファミリーの証。
しかも彼はというと、ファミリーでも名うての男、ニコラス・オッドボールだ。
ファミリーの幹部グレゴリーの部下で、エドワードやジャッキーの面倒を見ていた彼は、この日、とある仕事を任されて街のはずれの路地裏に来ていた。
しかし、金のソフトモヒカンが目立つニコラスを待っていたのは、取引相手ではない。
「テメェら、ポーションの取引現場を襲うなんて正気か!?」
ニコラスを待ち受けていたのは、青いスーツに身を包んだ屈強な男達。
そして金銀の装飾品をじゃらじゃらと身にまとわせる、金髪の少女だ。
「トーゼンじゃん! あんたらぶっ殺して、ボスのところに首でも届けてやりゃあ、ビビッて密造するのもやめるっしょ☆」
舌を突き出してウインクする、イマドキの若者前回のスタイルに、ニコラスは苛立つ。
こんな輩が、ファミリーの仕事を邪魔するなどあってはならない。
「くそったれ……イカレ『首切り女王』がよ! スキル【
咆哮と共に、彼の筋肉質な両腕を赤いオーラが包み込む。
ランクBのスキルだが、腕力を上昇させるこの異能は、使い手の技量とアイデア次第ではランク以上の力を持つ。
このスキルを最大限に使って戦えるからこそ、ニコラスの名は他のマフィアやゴロツキにまで知れ渡っているのだ。
「ティラミス・ファミリー特攻隊長、このニコラス・オッドボールは簡単にはやられねえぞ! かかってきやがれ、ザコがァ!」
だが、今回ばかりは相手が悪かった。
顔から笑顔が消えた少女のスキルは、ランクにしてS。
しかもその性格は、ニコラスよりもずっと好戦的で、残虐極まりない。
「あーしをザコ呼ばわりとかありえんし……その首、斬り落としてやるよ!」
少女が自らのスキルを発動した時――ニコラスは死を覚悟した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――エクレア・ファミリーとティラミス・ファミリーが衝突した!?」
僕がショッキングな報せを受けたのは、小雨の降る昼下がり。
表の仕事を終えてすぐの僕とジャッキーは、なんだか険しい顔をしたグレゴリーさんや、ファミリーの皆と鉢合わせた。
どうしたんだろうかと問いかけてみたら、さっきの言葉が返ってきたんだ。
「な、なんでだべ!? まさかアルマさんを襲った奴らがエクレア・ファミリーだったから、その仕返しに来たべや!?」
目を丸くするジャッキーの前で、グレゴリーさんが首を横に振る。
「いいや、違う。理由はもっと難儀なところにある。ティラミス・ファミリーの新しい仕事、闇ポーションの錬成と売買は知っているな?」
「はい、ファミリーの皆から聞きました。【
「そうだ。勉強熱心な子供には、後でご褒美をやろう」
さらりと言ってのけたけど、なんだかグレゴリーさんらしくないセリフだ。
どこか、人に教わった言葉をそのまま当てはめたような違和感がある。
「……グレゴリーさんなりのジョークですか?」
「部下からのアドバイスだ。次からは無視する」
きっと僕やジャッキーとの付き合い方を、皆から指摘されたに違いない。
やっぱりこの人、かわいい人なんじゃないかな。
なんて正直に言うと、彼の光る目玉に射抜かれそうな気がして、僕は何も言わなかった。
「正式な資格を取った錬金術師のポーションは割高で、並の冒険者にとっては高級品だ。かといって薬草や傷薬の効能も知れている……そこで、冒険者ギルドが介入できない闇市場で、格安のポーションを売りさばくというわけだ」
グレゴリーさんの言う通り、この世界でのポーションはすごい効能がある分、高額品だ。どれだけ安くても銀貨数十枚、中には金貨を積まないと買えないようなものもある。
ちなみに、国内の通貨のレートを大雑把に説明すると、こんな感じ。
・金貨1枚=銀貨5枚
・銀貨1枚=銅貨10枚
・金銀銅の大貨幣1枚=小貨幣10枚
レートがシンプルなのはありがたい。僕は計算が得意じゃないしね。
「そんなビジネス、ずっと続けられるんですか?」
「最終的な規模は縮小するだろうが、長期的な活動も視野に入れている。どれだけギルドや法則が締め付けようとも、冒険者が安価を求める欲には勝てんからな」
ふう、とため息をついて、グレゴリーさんは近くの椅子にどかっと座りこんだ。
ティナもティラミス・ファミリーの多くのトラブルに対処しているだろうけど、グレゴリーさんはきっと、その何倍もの問題と向き合わないといけない。
ただでさえ心労が重なる中、こんな事件は聞きたくもなかっただろうね。
「もちろん、粗悪なポーションを作りはしない。しかし、あのエクレア・ファミリーのふざけた若造共は、ポーションのていを成していれば何でもいいと、劣化品を売り始めたのだ」
「そ、それの何がダメなんだべ? 稼げりゃいいべ?」
「安価を売りにしているアイテムは、安物ばかりになると、質がどんどん落ちていくんだ」
ぽかんとするジャッキーに、僕が説明する。
「ちょっとでも高いものを誰も買わなくなる。だから、中身はどうでもいいから、とにかく安くする……そうなれば、最後に待ってるのはポーションっぽい何かだよ」
「へ、へへえ……?」
「そうだね、例えばとても安いけど効果がないポーションを、ジャッキーは買うかな?」
「うーん……だったら、おいらはちょっと良い傷薬を買うべ」
「そういうことさ。いくら安いといっても、効能をある程度維持しておかないと、最後には市場から人が離れちゃう。売る側としては、とっても困るんだよ」
ジャッキーの感性は、まったく大衆の感性と同じだと言ってもいい。
いくら高級品のポーションが安く買えるといっても、効果がないと誰も求めやしない。
でも、そんな状況になれば売り手は質の向上を狙えないし、結果として素材の費用がかさみ、利益が出なくなる。
かといって、この世界での値段の上昇は市場の撤退を意味する。
こうなればもう、闇ポーション界隈には二度と戻ってこられないだろうね。
「なるほどなあ! アニキは物知りだべ!」
「説明ありがとう、エドワード先生」
ぽん、と手を叩くジャッキーと、嫌みっぽい笑みを浮かべるグレゴリーさん。
真逆の対応を見せられると、リアクションに困るなあ。
「とにかく、俺達はかなりの利益を出せると踏んでいた。いきなりエクレア・ファミリーが同じようにポーションを売り、取引現場に現れて、うちの部下に襲いかかるまではな」
「なんというか、とても乱暴な相手なんですね」
「ゴロツキの集まりに、品を求めるのは酷な話だ」
それにしても、会話よりも先に手が出るなんてのは、マフィアというよりストリート・ギャングみたいだ。
とてもティラミス・ファミリーみたいな礼儀は想像できない。
「偶然、巡回していた警邏隊が介入したおかげでティラミス・ファミリーには逮捕者は出なかった。だが、負傷者を出した以上、報復しなければ敵は増長するばかりだ。こちらの中にも、なぜ奴らを倒さないのかと疑問視する奴が出るだろう」
眼帯をさすりながら、グレゴリーさんが言った。
「それで、今朝から皆がピリピリしてたんだ……」
僕の言う「ピリピリしている人」には、もちろん彼も含まれている。
いつもなら達観している彼が、どこか苛立っているように見えたんだ。
「俺としても、タダで済ませるつもりはない。ニコラスがやられたからな」
その理由は、想像以上のものだった。
表の仕事で面倒を見てくれた、グレゴリーさんの部下のニコラス・オッドボールさん。
彼がエクレア・ファミリーの手にかけられたと聞いて、僕も息をのんだ。