「――もう3日も経つけど、変な奴なんてちっとも見つからないべ~っ!」
木製の椅子に腰かけて、ジャッキーが騒いだ。
僕達はアルマさんが通うバー『獅子の瞳』に案内されて、テーブルを囲んでた。
上品で落ち着いた雰囲気のお店には、僕達のようなおこちゃまは少し珍しく見えるかも。
「まさか、視線すら感じないとは思わなかったね」
さて、彼女の言う通り、この3日間は本当に何も起きなかった。
怪しい相手がいないか警戒しながらアルマさんの傍にいたのが悪かったのか。
服装を街の子供のそれに変えても指輪を外さなかったのがいけないのか。
諦めてくれたのなら、それが最善なんだけど。
「何も起きないのが、一番いいことだよ。もしかすると、相手が諦めて来なくなっただけかもしれないしね」
「アニキ、そりゃあ甘い考えだべ!」
僕より5歳年上のジャッキーは、人生の先輩としての経験を語り出した。
「おいらはよく大通りで大人のれでぃの話を盗み聞きするんだけれんども、男ってのはしつけぇ生き物なんだべ!」
鼻の穴を広げて力説するジャッキーを見てると、からかいたくなるね。
「ふーん。じゃあ、僕もしつこくて困るような人、なのかな?」
「へぇっ!? ち、違うべ、アニキは特別だから、えっと……」
熱弁しても僕の一言でしどろもどろになるんじゃあ、先輩を語るのは難しいよ。
ファミリーの皆がジャッキーをいじるのが楽しいって言ってた理由が、少し分かるかも。
「ふふ、冗談だよ」
僕が笑うと、ジャッキーが頬を膨らませる。
「い、いくらアニキでも、やなからかい方だべ! おいらの方がずっと年上なんだからぁ!」
「ほら、ジャッキー! アルマさんが歌う番だよ!」
肩をいからせる彼女をなだめながら、僕は話を逸らすようにステージを指さした。
煌めく円形のステージに、店の奥から出てきたアルマさんが立つ。
そしてシャンパンゴールドの衣装と深緑色の髪を靡かせながら、透き通る声で歌い始めた。
たったそれだけで、店の雰囲気ががらりと変わった。
酒を注ぐ音も、お客さん同士の会話も消え、『獅子の瞳』のすべてがアルマさんの声の虜になってる。
彼女がスキルを持っているとは聞いてないけど、この美声はスキル以上だ。
こんなお店に入ったことはないけど、この歌声が聞けるならリピーターになっちゃうよ。
「アルマさんが出てくるだけで、バーの雰囲気がこんなに変わるなんて……」
「はぁ~……相変わらず、えれぇ綺麗な歌声だべ~……」
特にジャッキーは、口をだらしなく開けてうっとりと聞き入ってるね。
そのうち、歌い終えたアルマさんはカウンターの奥へと消えていった。
残ったのは、アンコールを求める拍手だけだ。
それもまた静かに消えていって、本当に残るのは、いつもの店の空気。
酒を注ぐ音と客の談笑が戻り、先ほどと変わらない『獅子の瞳』になってゆく雰囲気を感じていると、アルマさんが僕らのテーブルへと歩いてきた。
「用心棒のお仕事、お疲れ様。何か飲みたいものはある?」
「オレンジジュースが欲しいべ!」
「……じゃあ、僕も同じのを」
アルマさんがくすくすと笑う。
僕が遠慮しようとしたのを、見透かされてたみたいだ。
「マスター、この子達にオレンジジュースをお願いできるかしら? 私にはいつものを」
ちょび髭のマスターが、カウンターの奥で軽く頷いた。
ジャッキーの隣に座るアルマさんに、僕は念のため声をかけた。
「そういえばアルマさん、僕が渡したあれは?」
「今日も肌身離さず持っているわ。これが、いざという時に私を助けてくれるのよね」
「はい、どんなお守りよりも効果がありますよ」
よかった。
あれさえ持っていれば、もしも僕やジャッキーのいないところで襲われても、敵をやっつけてくれるからね。
ひとまず安心した僕のそばで、アルマさんは少し不思議そうに目を丸くした。
「それにしても、君達みたいな子供までマフィアになっちゃうなんて。カポールは近頃物騒で、抗争が起きてもおかしくないのに、怖くないの?」
「大丈夫だべ! ドンパチがあっても、アニキがいれば百人力だべさ!」
胸をドン、と叩いて、なぜか僕の代わりにジャッキーが答えた。
彼女が僕の自慢をするたびに、ハードルが上がってるような。
「百人力かは置いといて、ティナやグレゴリーさんが何かと面倒を見てくれるので、マフィアとしての生活は楽しくやっていけてます」
実際のところ、カポールでの暮らしに不満はまったくない。
仕事だって抵抗はないし、ティラミス・ファミリーが麻薬とか売春を禁忌にしている間は、嫌気がさすこともなさそうだ。
抗争なんてのは考えたくもないけど、現状では起きる気配もない。
「他の皆とも仲良くやれている自信もありますし、抗争は……まあ、その時はその時です」
「あらあら、まるで背伸びした大人みたいな言いぶりね」
ごめんなさい、アルマさん。きっと生きた年数で言えば、僕の方が年上です。
といっても、この世界での生き方を思えば、年月の差なんてのはさほど意味がないのかもしれない。死の危険のない世界と、死と隣り合わせの世界は別物だ。
(背伸びした、かぁ……中身は一応、大人のつもりなんだけどなぁ)
それでも腑に落ちない表情が出てたのか、からかうようにアルマさんが僕の頭を撫でた。
「どこかしっかりしてるし、なんだかティナが気に入る理由も分かるわ。あの子、真面目な男の子が昔から好きだったもの」
そうだ。
三日前に初めて会ってから、そこが気になっていた。
「ティナのこと、どれくらい知ってるんですか?」
僕が聞くと、アルマさんが目を細めた。
「ボスの情報なんて集めて、どうするつもりなのかしら?」
「あ、いや、変な意味じゃなくて! ちょっとした興味本位で、その……」
「ふふっ、冗談よ」
なんだか同じような反応をどこかで……ああ、僕がジャッキーに言ったんだ。
アルマさんにからかわれないような一流のマフィアになるには、もうちょっと時間が必要みたいだ。
「でも、そうね。まだ少し時間があるし、お話ししてあげましょうか……ただし」
彼女は不意に真面目な顔をして、僕らにずい、と顔を寄せた。
「エドワード君、ジャッキーちゃん? 私がした話を、絶対にティナの前で話したり、他の人に漏らしたりしないって、約束できるかしら?」
試すような言いぶりに、僕もジャッキーも揃って頷く。
「はい、約束します」
「おいらもだべ! おいら、口が
ぶんぶんと頭を縦に振っているうち、アルマさんが微笑んだ。
「ええ、約束よ。それじゃあ、私とティナの昔ばなしを聞かせてあげる」
ウェイターがオレンジジュースとワインをテーブルに置いた。
僕もジャッキーも、護衛の仕事を忘れて、すっかり聞き入る体勢に入っていた。