僕とジャッキーが『職業相談所』と書かれたファミリーのアジトまで帰ってくるのに、そう時間はかからなかった。
ファミリーの皆が「戻ってきたか」と好奇の視線を向けるのが、少し気になる。
「失礼します」
「失礼ェしますべ」
ひとまず
豪奢な装飾が施されたテーブルや窓、赤と金の刺繍が施されたカーペットと大きなソファーが示す通り、普段は構成員が入っていいような部屋じゃない。
「来たか。そこに座れ」
ただ、今日の僕らは鋭い声と共に歓迎された。
声の主は、ボスの右腕のグレゴリーさん。
窓のそばに立つ彼の
一方で、客用のソファーに座る女性には、僕はまるで面識がなかった。
「あら? オズボーンさん、この子達がさっき話していた……?」
「ええ、俺が選んだ適任者です」
グレゴリーさんは頷いたけど、僕とジャッキーはまったく話が理解できない。
そもそも、まだ話のひとつだってされていない。
「グレゴリーさん、すいません。どういう状況なのか、説明してほしいんですが……」
「それにはまず、私の自己紹介が必要ね」
女性は深緑色の髪をなびかせて、僕達の前まで来て、にっこりと微笑みかけた。
「私はアルマ、アルマ・ミラー。カポールのバー『獅子の瞳』で歌手をしてるの。自分でいうのもなんだけど、街じゃあそれなりに有名よ?」
すらりとした体型に、コバルトブルーのドレスと少し派手な色の爪。
派手なメイクもしていないのに唇は柔らかそうで、鼻が高く、目も大きい――ほんの一瞬だけとはいえ心臓が高鳴り、ドキッとしてしまうくらいには、きれいだ。
そんな容姿と透き通った声は、彼女が歌姫――ディーヴァであると証明してくれた。
「お、おいら知ってます! 街で歩いてるところを見たくらいだけれど、えれえべっぴんさんがいるもんだと思ってましたぁ!」
「うふふ、素直な感想をもらえるのは、いくつになっても嬉しいわね♪」
くすくすと口に手を当てて笑うさまを見るだけでも、上品さがにじみ出ている。
あまり酒場やバーと縁のない僕でも、アルマさんが人気になるのが分かるよ。
けど、目の前にいるのがマドンナなら、今度は別の心配が浮き上がってくる。
「街でも人気の歌手が、ティラミス・ファミリーのアジトに来てもいいんですか? 職場に知られたら、あまり良くないんじゃないでしょうか」
「無用な心配だ。『獅子の瞳』は俺達の管轄下のバーだからな」
なるほど、最初からティラミス・ファミリーとは縁があるわけだね。
「というより、カポールにある酒場の半分くらいはティラミス・ファミリーに守ってもらってるんじゃないかしら? あとの半分は、エクレア・ファミリーが……」
「エクレア・ファミリー?」
「俺達と同じマフィアだが、奴らは街の厄介者だ。また今度、話してやる」
グレゴリーさんの険しい顔は、さっさと話を進めたいと言っている。
エクレア・ファミリーが何者なのかを聞いてみたかったけど、仕方ない――。
「さて、本題に入るぞ――ふたりには、今日からこのミラーさんの護衛を務めてもらう」
――なんてくだらない思考は、僕の頭からたちまち吹っ飛んでいった。
「「ええぇーっ!?」」
グレゴリーさんは、この美人歌手のアルマさんを、子供ふたりで守れと言ったんだから、そりゃ僕もジャッキーもひっくり返るよ!
雑務ばかりやっているところに、まさかいきなり歌姫の護衛!?
賭場に押し込んだ時だっていきなりだと思ったのに、用心棒を務めるなんて、仕事のランクの上がり方が唐突すぎる!
「驚くような内容でもないだろう。用心棒は、マフィアの仕事でもかなり普遍的なものだ」
しかも、グレゴリーさんの表情からしてそう珍しい事柄でもないみたいだ。
いやいや、だとしても大役にもほどがあるんじゃないのかな。
「それにそこのジャッキー・ペッパーは、いかにもマフィアらしい仕事がしたいと、常々愚痴をこぼしていたそうじゃないか」
「な、ななな、なんで知ってるべかぁ~っ!?」
「俺の情報網を甘く見るな。どこで文句を漏らそうが、俺には聞こえているものと思え」
「ひょええ……」
ジャッキーは全身を、スマホのバイブ機能のように震わせる。
「でも、グレゴリーさん。用心棒だというなら、もっと屈強な人の方がいいんじゃないでしょうか? 悪漢が僕達を見て、逃げ出すとも思えません」
彼女の背中をさすって落ち着かせながら、僕は僕で、グレゴリーさんに気になることを確かめた。
自分で言うのもなんだけど、僕とジャッキーは用心棒にはとても向いていない。
グレゴリーさんのような銀髪で強面のクロスボウの達人でもなきゃ、ニコラスさんのようなファミリーでも指折りの暴力の達人でもない。
ああ、ニコラスさんについては僕の憶測か、ごめんなさい。
とにもかくにも、仮にスキルが強力だったとしても、相手を外見で威圧させる必要はあるはず。
そういう意味じゃあ、用心棒なんて、僕らはまったくもって適任じゃないよ。
「ククク、そうでもないぞ」
なのに、なぜかグレゴリーさんは笑った。
ニコラスさんと違って、この人が笑っても、ちっとも安心できない。
……なんて口からこぼしたら、世界の裏側でもすぐばれるだろうね。
「護衛には貴様らが適役だ。今回の相手は、油断させて尻尾を出させる必要があるからな」
「尻尾を……?」
「出させる……?」
どかっと椅子に腰かけ、グレゴリーさんが頷いた。
「ミラーさんを狙っているのは、『ストーカー』だ」
ストーカー。
人をつけ回し、時には襲う、文字通りの尾行者。
犯人のいやらしさとおぞましさを想像した僕らの間に、緊張が
「詳しくは……ミラーさん、先ほどの話をもう一度、お願いできますか」
グレゴリーさんが目配せすると、アルマさんの表情が陰った。
「……もとはといえば、バーで私の歌を聞いてくれるお客さんのひとりだったのよ。私も顔は知っていたし、何度か声をかけてもらったこともあったわ」
「ご指名ってやつだべ? 店でお金を使ってくれる、いいお客さんだべ!」
ジャッキーがそう言うと、アルマさんは困ったように首を振った。
「最初はそうだったわ。けど、次第に彼の要求が過激になってきたの」
彼女の宝石のような瞳が、次第に曇ってゆく。
「私を呼べ、金はあるって喚きだしたり、プライベートな付き合いを要求したり……自分が好きなんだろうって言いながら、ステージに上がってきた時は本当にぞっとしたわ」
ふむ。アルマさんのファンは、何かを大きく勘違いしてしまったみたいだね。
どこまでいっても、店にいる以上は客と歌手の関係だ。
だけど、恐らく相手の男は自分に気があるか、誘われているとでも思ったのかな。
「その時は、見かねたティラミス・ファミリーの用心棒さんが追い払ってくれたの。そしたら、その人はぱったり来なくなったわ」
「……代わりに、ストーカー被害を受けるようになったんですね」
「……ええ、そうよ」
アルマさんが、うんざりしたようにため息をついた。
「その日から、人の気配を感じるようになったの。家まで帰る時、食事の時……私がひとりでいる時にだけ、嫌な視線が突き刺さるようになったのよ」
僕とジャッキーは顔を見合わせた。
互いの目に宿っていたのは、見えない脅威への恐れじゃない。
歌姫を曇らせる、卑劣な男への怒りだった。