宿の外に出た僕達は、そのまま近くのベンチに腰掛けた。
「とりあえず外には出たけど、大丈夫? 痛いところはない?」
「う、うう……ごめんなさい、ごめんなさい……」
傍から見れば泣き虫の姉を弟がなだめているようにも見えるだろうけど、人通りの少ない宿屋だ。
子供ふたりが歩いていても、特に大人が声をかけることもない。
おまけに僕が女の子に声をかけても、彼女はぐすぐすと泣きじゃくるばかりだった。
僕があんな乱暴な手段を使ったら、怖がるに決まってるか。
それに、先行きが見えない恐怖だというなら、僕にも責任は大いにある。
「謝るのは僕の方だよ。考えなしに君を助けるなんて言って、もっと危ない目に遭わせるなんてひどい甘ったれだ」
だとしても、結果をごめんなさい、で済ませるつもりなんて毛頭ない。
「でも、絶対に君の無実を証明してみせる。それだけは約束するよ」
「……ありがどう、ございまず……」
ぐっと強く、優しく肩を握ると、彼女はやっと泣き止んだ。
「僕はエド。エドワード・マックスウェル。君は?」
「お、おいら……ジャッキー・キートンだべ」
なまりの強い口調だ。
一人称と合わさって、どこか田舎の出身を思わせる。
「さっきの狼は、マックスウェルさんのスキルだべか……?」
「うん、【狼の
「は、はい……でも、大したスキルじゃないべ……」
ジャッキーがため息をつくと、太陽に照らされた彼女の影が膨らんだように見えた。
いや、見えたんじゃない。
本当に影が膨らんだんだ。
僕の目の前に、たちまち真っ黒でのっぺりとした、ゴムのような人型の影が立ち上がった。
大分昔に流行った、窓に投げつけるとぺたぺたと回転しながら落ちていく手のひらサイズの人形をずっと大きくすれば、ちょうどこんな感じかな。
「おいらのスキル、【
ぐにょんぐにょん、と動く影人間は不気味だけど、どこか
「ゴムみたいにびょーんって伸びるし、人を影に包んで隠せるけど、それだけだべ。日陰や暗闇の中では使えないし、おいらが痛いとか怖いって思ったらすぐに消えちゃうし……」
次第に、ジャッキーの声が暗くなってゆく。
「ランクはCって【
「そんなことないよ! 影を操れるなんて、すごいスキルじゃないか!」
僕からしてみれば、影を操るスキル以上に
「で、でも……父ちゃんと母ちゃんも、おいらはスキルを使ったってダメだって言うべ」
影がしなびていくのと同時に、彼女は
このスキル、ジャッキーの感情に応じてサイズも変わっちゃうのかな。
「おいらがグズだから、無能だからって……カッコいいマフィアになるのは憧れだったけど……今朝もどうせ役立たずなんだから、店を継げって言われたべ」
なるほど、彼女の自己肯定感が低いのは、今まで続く経験のせいだ。
両親になじられ続けて、強いはずのスキルへの信用を失った。
マフィアになれば何かが変わるかと思っていたけど、待っていたのはいわれのないピンハネ疑惑と、指を失いかける恐ろしい制裁だ。
自分を支える精神的な支柱なんて、ないも同然だろう。
そしてこうも思うんだ。両親にグズだと言われ続けている方がましだったと。
「ふたりとも正しかったべ……おいらは街の隅で父ちゃん達の言うことだけ聞いて、ひっそり生きてた方がよかったんだべ……ぐすっ……!」
大声をあげてジャッキーが泣いてしまう前に、僕は彼女の背中をさすった。
ジャッキーがただの無能なんてとんでもない。
それに、彼女がお金を奪ったんじゃないと確信できただけでも、今は十分な収穫だ。
「まだ君が、無能だって決まったわけじゃないよ。ひとまず、みかじめ料を徴収してからここに来るまで、どこに行ったかを思い出そう!」
ジャッキーは顔を上げて、僕を驚いた顔で見つめた。
何を言いたいのか、考えているのかはともかく、僕が君を信じる気持ちは変わらないよ。
「……はい……!」
涙をぬぐったジャッキーは、うんうんと頭をひねってから、口を開いた。
「え、ええと……まず、東の素材屋に行ったべ。そこで力いっぱいすごんで、用心棒代を出せって言ったべ。そしたら、おばあちゃんがお金を渡してくれたべさ」
「すごんだって、どんな感じで? スキルを使ったの?」
「スキルを使っちゃあ、おばあちゃんを怪我させちゃうべよ。だから、こう……お金を渡さないと、怒るべ、って……目をきっ、と吊り上げて言ったべ」
ジャッキーは精一杯力を込めたんだろうけど、どんな光景かは容易に想像がつく。
(怖がったんじゃなくて、きっと孫でも見てる気分だったんだろうなあ)
どこかほほえましい様子に、くすりと笑いかけたけど、問題はここからだ。
「帰り道に銀貨の枚数を数えた時は、確かに10枚きっちりあったべ。それからお金を賭場に持っていく前に実家に寄ったべ」
ふむ、実家か。
ジャッキーを軽視している両親のいる、実家にね。
「帰り道に寄れるくらい、実家は近いんだね。両親は、今回の仕事を?」
「知らないべ。で、ちょっとだけ休憩して、賭場に行ったら……」
「お金が足りなかったんだね。そのことを、ファミリーの皆には話したの?」
「そ、そんな余裕なかったべよ……いきなり怒鳴られて、ごめんなさいって謝ることしかできなかったべ……」
ジャッキーがまたもうなだれたのも、仕方ないと言えば仕方ない。
何かしら反論の余地があったとしても、マフィアへの恐怖と生来の臆病さが相まって、何も言えなかったはずだ。
だから今、ここまで危ない目に遭ってる。
けど、話を聞けばあっさりと物事は解決した――少なくとも、僕の中では。
「……なんだか、分かった気がする」
「ほ、ほんとだべか!」
僕が微笑みかけると、ジャッキーの顔がパッと明るくなった。
うん、この子は笑ってる方がやっぱり可愛いと思うよ。
「君は本当に優しいんだね、ジャッキー。誰も疑わないのは、心が温かい人って証拠だ」
ジャッキーが本当は明るくて、優しい子だというのを誰もが知ってるはず。
そんな彼女に真実を告げるのは酷だけど、ジャッキーのためにもやらなきゃいけない。
純粋さや温かさを利用することしか考えていない人間を、ジャッキーの無実を証明するべく、あぶり出す必要があるんだ。
「だから、もしも僕の予想が当たってるなら、つらい事実に直面するかもしれない。今から真相を確かめに行くけど、その勇気はあるかい?」
僕が問いかけると、ジャッキーはおずおずと、だけど深く頷いてくれた。
「……ま、マックスウェルさんを、信じます」
「ありがとう。それじゃあ早速、お金を入れていた袋を借りてもいいかな?」
僕のお願いを聞いて、ジャッキーはきょとんとする。
「袋だべ? はい、どうぞ……」
ジャッキーから空っぽの小袋を受け取り、僕はもう一度笑った。
「そんなのを、どうするべか?」
「【狼の
狼の嗅覚は、確か人間の数千倍。
人間が感じ取れない匂いも嗅ぎ取って、誰が袋に触れたか、中の
もちろん、それだけじゃあ真相は突き止められない。
「あとは――君のスキルにも協力してほしい」
これは単に、ジャッキーの無実を証明するためだけの行動じゃない。
彼女が勇気をもって踏み出せるかが、一番大事なんだ。