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第2話 異世界マフィア

 ――ここが、天国なのかな。


「……ん……」


 それが、ゆっくりと目を覚ました僕の最初の感想だった。

 どこかから差す陽の光が、目に飛び込んでくる。

 もう一度まばたきすると、今度は無骨な木造りの天井が映る。


 おかしいな。

 僕は血まみれで雨の中倒れたんだから、死んでいるに決まってるのに。

 きっと、もう一度目をつむれば、僕は雲の上に行けるはず――。


「――お。目ぇ覚ましやがったな、坊主」


 なんて考える僕の視界に、天使が顔を覗き込んできた。

 天使といえば翼を背に生やした、あどけない子供だ。

 少なくとも、坊主頭で顔中傷だらけの、がたいの良い男の人なんかじゃない。


 ――待って。

 ――顔中傷だらけの、男?


「うわぁっ!?」


 違和感を覚えて叫び声を上げ、僕は跳び起きた。

 目の前に広がる光景は天国なんかじゃなかったし、ましてやあの路地裏でもない。

 僕が眠っていたのは、ダブルサイズほどもある大きなベッドで、かけられていたのは屋敷のものよりもふわふわの布団。

 窓の外に見えるのは、のどかな街並み。

 そして僕を取り囲んでいるのは、黒いスーツに身を包んだ男女が数人。

 強面こわもてで、筋肉質で、まるでヤクザのようだ。


「おいおい、テメーのせいでこいつがびっくりしちまったじゃねえか!」

「部屋から出て行きな、バカが! 悪かったね、あたし達は見た目ほど悪い連中じゃないから安心しておくれ」

「何言ってんのさ、悪党には違いないじゃないか!」

「それもそうだ、わはは!」


 ただ、誰もが陽気で、僕のことを心配してくれているようだった。

 そんなこと、屋敷の中じゃ一度だってなかったのに。


「お前ら、ボスを呼んできな。坊主、ちょっと触るよ」


 ボスという人物が僕を助けてくれたのかな、なんて考えているうち、軋む僕の体に女の人が手を触れた。

 すると、緑色の光が掌からぽう、と出てきて僕の体を癒した。

 これは手で触れるだけで傷を癒すスキル、【治癒キュア】の一種だ。

 まさかと思って窓ガラスに映った自分を見ると、デイビスに傷つけられた顔の怪我も、火傷の痕も何も残っていなかった。

 痛みもないし、きっと脇腹の穴もふさがっているに違いない。

 どうして彼ら、彼女らは、僕をここまで手厚く保護してくれるんだろうか。


「あのっ、僕、どうしてここに……」


 質問ができるくらいに頭がえてきた僕の問いに答えたのは、彼らじゃなかった。


「――私が拾ってやった。それだけだ」


 答えてくれたのは、扉を開けて、男性を連れて部屋に来た女性だ。

 部屋にのそり、とその人達が入ってきた途端、僕は蛇に呑まれた気分になった。

 なぜならふたりが放つ威圧感は、周りの人達の比じゃなかったからだ。


 ひとりは、腰まであるストレートの黒髪と白い肌、すらりとした体型の女性。

 黄色い瞳は細く冷たく、ハイヒールと黒いズボンを履き、黒の上着をシャツの上に羽織っているさまは、さながら20代前半にもかかわらず犯罪組織のボスを務めているみたいだ。


 もうひとりは、太い眉と剃り込み入りのショートヘア、顎髭のいずれも白銀の男性。

 他の面々はスーツを着崩しているのに、彼だけはネクタイも含めて、黒のスーツをきっちり着こなしていて、左目の黒い眼帯も含めて女性より年上に見える。


「「お疲れ様です、ボス!」」


 そんなふたりが部屋に入ってくると、僕を治癒してくれていた人も合わせて、ずらりと部屋の中で姿勢を正して挨拶をした。

 さっきまではしゃいでいた男の人も、叱っていた女の人も、すべてだ。

 緊迫した空気の間をすたすたと歩き、ふたりは近くの椅子に腰かけた。


「随分と目覚めるのが遅かったな」

「……ここは、どこ、ですか。どれくらい、眠っていたんですか」

「グラッドストーン領地の最北端、カポールの街で、眠っていたのは3日だ。それくらい質問できる余裕があるなら、傷はすっかり癒えたようだな」


 眼帯を付けた男性の声は、聞いているだけで背筋が冷たくなるような鋭さをともなっている。

 ついでにカポールといえば、グラッドストーン家の屋敷からずっと離れた街。

 つまり僕は屋敷の近くから数日かけて移動している間、ずっと眠ってたみたいだ。


「あとは俺達が話す。お前らは仕事に戻れ」


 男の人がそう言うと、彼らはどたどたと部屋から出ていった。

 仕事ってなんだろう。

 ボスと呼ばれているのはどっちなんだろう。

 そもそも、僕が眠っていたここはどこで、彼らが僕を助けた理由はなんだろう。

 疑問しか浮かばない僕の前で、今度は女性の方が口を開いた。


「さて、フランシス・マッケンジー・グラッドストーン。お前がどうしてグラッドスト―ン家の屋敷から逃げて来たのか、教えてくれ」


 容姿と同じように美しさを感じさせる声だけど、僕の心臓はたちまち凍り付いた。

 ふたりが僕の正体を知っているのなら、屋敷に連れ戻す可能性もあるからだ。


「……僕の名前を、知ってるんですか……?」

「グレッグの前で隠し事はできない」


 ふっ、と女性が小さく笑った。


「ああ、名前を言い忘れていたな。私はユスティナ。ユスティナ・キングスコート。カポールのマフィア、『ティラミス・ファミリー』のボスだ」


 それから、衝撃の事実を僕に教えてくれた。


 マフィア?

 僕の目の前にいる人達が、さっきまで僕の世話をしてくれた人達が――お酒を密造したり、人を恐喝きょうかつしたりしてお金を稼ぐ、闇社会のマフィアだって?


「隣にいるこいつは、グレゴリー・オズボーン。私の右腕だ」


 しかも、しかも強面の男の人じゃなくて、こっちの美人さんがボス?


「オズボーン……それに、マフィアって……」

「そんなに珍しいか? まあ、貴族は努めて話題にも出さないくらい、俺達を嫌っているからな。屋敷の外に少し出たことがある程度じゃあ、知らないのも無理はない」


 戸惑う僕の表情のわずかな変化を、グレゴリーさんは見逃さなかったみたいだ。


「事情があるなら聞いてやる。話してみろ」

「……言えません。僕が生きてるってグラッドストーンの人が知ったら、きっとあなた達にも迷惑がかかります」


 顔を寄せて来たグレゴリーさんの言葉を、僕はこばんだ。


「貴族だろうが、マフィアにはそう簡単に口出しできない。俺達のためにも、聞かせろ」


 でも、ふたりの要求に逆らえないと思った僕は、観念して事情を話した。


「……そこまで、言うなら……」


 家族から疎まれて屋敷に居場所がなかったこと。

 兄が僕を殺そうとしたこと。

 それに抵抗して必死に逃げたこと。


 すべてを話し終えた時、最初に口を開いたのはユスティナさんの方だった。


「なるほど、お前はグラッドストーン家の次男坊で、さしずめ敗北者だな。兄はどうしようもないクズだが、貴族としては優秀だ」


 僕よりもデイビスが優秀だなんて、言われなくたって理解している。

 それに、助けてもらえたのはありがたいけれど、今の僕にマフィアが価値を見出すとすれば身代金くらいだ。

 せいぜい真相を聞いて、グラッドストーン家をゆする材料にしかならないはず。


「だが、なおさら都合がいい。俺達の目的にはうってつけだ」

「……何がですか? 僕に身代金を要求するような価値は……ありません」


 僕が自嘲じちょう気味に問いかけると、ユスティナさんがもう一度笑った。


「身代金だと? 冗談を言うな、グラッドストーン家がお前を追いかけていようが、売り飛ばすのはもったいない」


 鋭く黄色い瞳に僕を映し込みながら、彼女は言った。




「単刀直入に言おう――私達『ティラミス・ファミリー』の一員になれ」


 ユスティナさんの望みを聞いた途端、僕は驚きのあまり、ひっくり返りそうになった。

 なんとこのふたりは――僕みたいな子供を、マフィアとして勧誘したんだ!

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