六六 牽制
そのまま朝を迎えた。
口の中のいいようのない気味の悪さがあって、これは煙草の後味なのだと思い返す。おぞましいまでの不味い唾液を吐きたくて、ベッドを下りる。高志の腕を踏みそうになってしまった。
「あ、ごめん、おはよう」
かれは喃語のようなことをつぶやきながら「おはよう」とだけいってまた眠った。きのうのことを思い出せる限り思い出そうとする。うがいの水を吐きだし、荒れてたな、簡単に感想を述べる。ゆうべは確かに荒れていた。だが、きょうはまだ平日で、ふたりとも学校に行かなくてはならない。時刻を確認する。八時七分。部屋を見渡し、バックパックの中も開かずに寝入ったと思い出す。カーテンをしゅっ、と開ける。
さあ、おおむね気持ちのいい朝だ。急ごう。
座卓や文机を見渡す。散らかっている。空いていたり空いていなかったり、飲みかけであったりする酒の缶、お菓子などを片づけ、あんパンを急いで食べる。かれも起きだして、顎や頬をぞりぞりとさすりながらトイレへ行く。ふたりともお風呂には入っていないはずだ。わたしに限っていえば確実にそうだ。風呂場のまえで寒さに震えつつ服を脱ぎ捨て、ひりひりするような熱いシャワーを浴びる。シャワーから上がり、ベランダで煙草を吸うかれを見て、なぜか安堵する。
「高志、おはよう」部屋に戻って来るかれに声をかける。
「ああ、おはよう」
わたしは文机のドライヤーで髪を乾かす。風が止む。かれが電源プラグを引き抜いていた。「聖子、話をしよう」
「うん、するから、わかったから、コンセント戻してよ。もう八時半なんだから」
かれは拳で座卓を殴りつける(激しい音とともに天板にあったものが倒れたり転がっていったりする)。「高志、それ、なに?」
「あのさ、いい加減にしない? あまりにもひどいと思わんの、自分? きのうといいきょうといい、テンションの浮き沈みが激しすぎる」となじる(わたしはかれの目に光が無いのを見、瞬時に恐怖を感じる)。
なるべく静かな口調で「うん、その――ごめん。確かに不安定だった。わたしも自分に振り回されてる。高志まで巻き込んで、悪いと思ってる。だけど、それは」とまでいって、続きを探して視線を泳がせる。
「それは、どうにもならないことかもしれない」かれが横を向いて続ける。
「そう、それ」わたしは幾分明るい声で同意を示す。「わたし、生理だって年に九回か八回だし、それにしても生理中はこれくらいの不安定さはあるよ。ある意味、きのうのも生理現象なんだけど、だとしても高志に迷惑かけたのは悪かったと思ってる」
話しながら時計をちらりちらりと見る。かれは押し黙り、寝癖であちこちに跳ねた金髪をわしゃわしゃとかき上げる(ワックスがついた手をジーンズにこすりつける)。窓の外の空を見ながら「じゃあ、なんだ、一種の霍乱みたいなもんか?」と問う。
「もう、ひとを鬼扱いして。でもなんだろう。そんなところよ。こういう、生理じゃない波は前からあったし。ほら、その、高校時代とかにもね。でもそのたびに治まっていったから大丈夫。心配かけてごめんね、本当に」わたしは結論を急ぐ。だいたい理解したのか、軽く唸りながらかれは立ち上がり、「ならいいんだけどな。聖子、本格的にやばくならないうちに休むなりなんなりしよう」といい、「講義は?」と尋ねる。
「もう始まってる。高志は?」
「おれも。もう始まってる」
相手の出方をうかがうように、無言のままふたりは互いの目を見たり視線をそらしたりする。かれは休めというのだろう。しかしわたしには進み続けなければいけない理由がある。この人生が、生きるに値するかを見定めることが必要なのだ。休んでなんかいられない。早く結論を導かなくては。「聖子?」
「え、ごめん、聞いてなかった」
「なにもいってないよ。さしあたり昨日は、ヨッシーのことを無遠慮に荒らしたお嬢様方に腹が立ったというわけだな。少なくとも、聖子が自棄になって煙草なんか吸うくらいには。でも、聖子にはもっと本質的に、なにか急いでやらないといけないことがある、っていうのはなんとなく察してるんだよね。それも、やばい類のものっていうのも。まあ、いいじゃん、一コマくらい。八割出席すればいいんだし。今日は聖子でいうところの安息日だ」
かれは髭の伸びた顎をさすりながら静かにいった。