六五 絶念
途中のコンビニへ寄る。
品出しをしていた店員は無言のままで、入店チャイムだけが無邪気だ。かごを手にする。値札も見ずに手あたり次第、菓子パンや飲み物、スイーツや生ハム、酎ハイやハイボールを放り込み、さらにレジの脇、縦に並べてディスプレイしてある煙草の新商品をひとつ足し、レジの前にどさっと下ろす。店員がのろのろとレジを打つ(わたしは年齢確認のタッチパネルを指で連打する)。二千円以上かかったが、店内にいたのは三、四分程度だろう。
暖房の効いた店内から外に出るとやはり寒く、温かいものを買わなかったことが悔やまれた。レジ袋の中から一番に出てきたものを飲むなり食うなりしてやろう、と決めたものの、しかし酎ハイを出す。買ったばかりの酒を店のゴミ箱の脇にしゃがみこんで飲む。そういえば空腹だったな、わたし。レジ袋と酒の缶を地面に置き、バックパックからプラスチックのケース(釣り針を入れるような仕切りのあるものだ)を取り出す。中から制酸剤を出し、酒で飲む。薬のケースや手に持っていた財布などをバックパックにしまい、背負いなおす。自分のアパートへと飲み歩く。
部屋に入ると買ったものを座卓の上に置き、高志のライターがあったはず、と文机のあたりを調べた。ライターはなかった。カーテンを閉めようと立ち上がり(すでに酔いが回っており足元がふらつく)、ベランダの灰皿のところに百円ライターがあるのに気づく。煙草を持ってベランダへ出る。これでわたしのハンカチも高志と同じ煙草の匂いだな、と夏の思い出を掘り起こす。ふん、どうだっていい。箱から一本取り出して火をつける。ふう、と煙を吐く。ふわっ、と立ちくらみのような、すべての脳神経へ「休め」を号令したかのような感覚に見舞われる。次いで全身の筋肉までもがストライキを起こしたかのように力が抜け、わたしは背中をアルミサッシの窓にもたれかけさせて座る。
ひと口、ふた口と吸うにつれて天上的な心地よさが増した。が、じきにこれまで経験したこともないような吐き気を催す。頭痛と腹痛とが後から続々と来て、火の点いた煙草を慌てて消す。アルミサッシも半開きのままトイレに駆け込む。酒と胃酸とを吐き、それでも吐き足らず何度も何度も嘔吐する。腹痛もピークを迎え、慌てながら便座に座って水のような便を足す。
玄関のドアの鍵を回す音が聞こえる。吐き気を我慢できずに座ったまま、太腿と便座との隙間に勢いよく吐く。慌ただしい音のすぐあと、「聖子!」とトイレのドアを開く。
「ふつう――ノック、するでしょ」
「大丈夫なんか? き、救急車呼ぶ?」と血相を変えたかれは荒く息をつく。「急性の、一酸化炭素中毒――あと、ニコチン中毒。急性の」かれは空いたままの窓を見やり、それで状況を理解したらしく、「洗面器取ってくる。そのあと窓閉める。ほかになんか、いるものある?」と、やや落ち着いた声音で話した。「下痢、してるから、ドア閉めて」とだけいって、わたしは座ったまま胎児姿勢のような格好になる。
しばらく吐いたり下したりをしながら、少量のお茶を飲んだり、ドアの向こうの高志の様子を気にしたりしていた。
すでにかなりの時間をトイレで過ごした。嘔吐も下痢も小康状態となり、「高志、ごめん。テーブルのウェットティッシュ、持ってきて」とかれに頼む。かれはただちに持って来、ドアをノックしてから手渡した。ウェットティッシュで股間や太腿、周りにこぼれた吐瀉物をきれいにし、洗面器の中身をトイレに空け、わたしはよろよろと部屋に戻る。きっと死にそうな顔をしているのだろう。ウェットティッシュを台所のごみ箱に放り込み、蓋をする。かれはわたしが買ったパンを牛乳で流し込みながら、「どう、大丈夫になった?」と訊き、続けて「でも煙草なんて、自暴自棄にも程があるぞ、聖子」といった。
「――寝る」それだけいって、わたしはベッドに倒れこむ。「でも帰んなくていいよ。電気もつけてていいから」
かれは悄然とした面持ちで「最近の不安定さ、聖子も大変だろう。そろそろ病院にかかった方がいいんじゃないのか」と進言する。
「わたしが悪いっていいたいの」背中を向けて寝ころんだまま、単調な声音でゆっくり尋ねる。かれを責めているんじゃない、これは疑問を解決するクエスチョンなのだ。わたしには分からない、未知なる解答を得るための。
「いいか悪いかっていうか――その方が手っ取り早く楽になれると思ったんだよ。聖子、理系だろ」
「あなたも理系でしょ」と吐き気も癒えきっていないまま答える。頭も痛い。「それに論理的なこと考えるの、文系でしょ。もう、こっちはしんどいのに」
「ああ、そうだな。おれも口ではあれこれいえても、実際的なことは正直なところよく分からん。分からないからそっち方面の人間に話を持ってくんだよ。聖子、ほんとに現状をどうにかしたいんだったら」
「ヨッシー」
「は?」
「ヨッシーに診てもらう。医者にはかかりたくない」かれはやれやれといわんばかりに牛乳をしまい、先ほどかれによって片づけられた部屋を眺める。「ヨッシーはそもそもただの学生であって」
「うるさい!」
大声が出てしまった。頭に響く。
「おまえよりは頼れる。なんだよ、さっきからわたしのいうことぜんぶぜんぶ、頭から否定して。そんなにわたしが間違ってるの? みんなわたしのせいなの? なんで? なんでよ! みんなわたしに非があるようないい方して!」
訴えながら涙があふれてきて、それはわたしの敗北を意味するものだと感じられた。泣いたら負け、これまでもずっとそうだった。それなのにベッドの上から動けず泣いている。どうしようもなく哀れな気分になり、わたしは自分の存在を隠そうとさらに縮こまる。
「わたしの人生、もうアウトなのかな。無駄だったのかなあ。分かんないけど。生きててもしょうがないんだったら、死ぬしかないよ、死ぬしか。でも、怖い。ねえ、決めて。高志、ほんとに好きなら代わりに決めて。死んだ方がいいの? わたしもう、なにも考えられない」
嗚咽を上げ、それを隠そうと枕に顔をうずめる。わたしの横にかれは沿うように座り、黙って毛布を掛ける。「怖い、死にたくない」
わたしの頭を撫で、無言のまま寝かしつける。知らぬ間に寝てしまう。
『このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです』。新約聖書ローマ信徒への手紙第五章一二節。
すなわちアダムがエデンの園において禁断の実を食べたことへの罰こそ、死であるのだ。アダムとエバは楽園で永遠に生きるためだけの存在であったのに、禁断の実のせいでゆっくりと死ぬためだけの存在となった。それが「一人の人」、つまりアダムを発端に世界に初めて死が誕生し、われわれに不安と絶望を与えた。そこで神の御子イエス・キリストは地上に降り、十字架に付けられることで贖罪としたのだ。そののち(死後という条件付きだが)クリスチャンには永遠の命が約束された。
だが、もうよい。わたしにはなにもなくとも。生も死も、永遠も。ただ無であることのみを切望した。高志はもう死んだ。わたしは生きるための存在としてではなく、死ぬためだけの存在としてここに在る。
だれもいない真っ暗闇のワンルームで、わたしはウィスキーを呷る。