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062 熱量

六二 冗談


「ねえ、高志」

「あん?」かれはリードをなめたり、真っすぐかどうか片目で水平の具合を見たりを繰り返したまま「ちょっとなら聞けるよ」とだけいった。

「わたしとおしゃぶり、どっちが好きなの」すこしだけ不機嫌を装ってみる。「え? あ、ああ。ごめん」ただちに謝るかれがおかしくて、笑ってしまった。「なんだよ」

「あのさ、高志はどうやってゼミ選んだの?」わたしもオーボエのリードを水に漬け、今の室温と湿度に合う浸漬時間を腕時計でおおざっぱに見当をつける。

「そうだな。おれ、予想問題しかしたくなかったからな。だって格好いいじゃん、予想問題。完璧な消去法でゼミ選んでたらあっさり決まったな。ゼミがどうあれ、極論をいえば数学って紙とペンさえあれば完結する領域だし」

「そうなんだ。わたしね、高橋先生についていこうかと思ってるの。遺伝子組み換え作物の。研究内容もだけど、先生の人となりで選んだら、そうなった。いいチョイスだと思う。それに将来的にはゲノム解析もしたかったから、ベクターは必須だと思うの」

「ああ、高橋先生って、あの美人の?」

「知ってるの?」

「そりゃまあ、美人だからな」

「高志って、上は何歳までいいの?」

「さあ、九十五くらいかな」

 わたしは天井を仰ぎ見、「いいお相手が見つかるといいね」といった。

「あれ? 聖子、意味わかんなかった?」と高志が笑みを浮かべて訊く。わたしは少し首をかしげ、片眉を上げてみせる。「聖子とそれくらい長い時間、過ごせたらないいかな、って」

 ややあってわたしは「ばかね」といった。


「はいはい、私語やめ。練習、練習。冬までカウントダウン、始まってるよ」と団員たちに拍車をかけながら吉川が大講堂に入ってくる。「ああ、寒い。指がこごえちゃうよ」

 コートを脱ぎながら指に息をかけたり揉みほぐしたりする吉川を見て、わたしの耳にも届く大きさの舌打ちやため息が聞こえた。わたしと高志は楽器を構えなおす。

「あえていうんなら」それまで黙っていた鈴谷が口を開く。「吉川が学指揮下りて、団も辞めたらこのオケ、パーやな」

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