六〇 献身
吉川は途中でコンビニに寄り、牛乳とおにぎり、カロリーメイトと煙草を買った。煙草だけレジ袋を別にしていたので、それはシート下に放り込み、「ちょっと持ってて」といって食料品をわたしのバックパックに背負ったまま詰めた。家に着くとじゃあね、と帰ろうとするので、「おにぎり、ヨッシーの分の」とわたしは止めようとした。「餌付けだよ、餌付け。いい子に育つんだよ、ショウちゃん」そうヘルメットの奥で笑って、スロットルをゆっくり開けて帰っていった。
確かにおつまみ程度の食事しか摂らないでいた胃袋は、きゅう、と鳴き、わたしはこの時刻にどこかへ買いに行くとか、もしくは温めて盛り付けるといったことはひどく億劫であると理解する。吉川。背負っている牛乳やおにぎり、カロリーメイトがなんだかとても喜ばしいような、嬉しい贈り物のような気がしてきて、そういえば洗礼式の前夜にもカロリーメイトを食べたんだっけ、と追想する。
『わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの
自分の部屋に着き、おにぎりと牛乳、カロリーメイトを食べながら聖書を読む。この部分の解釈は先ほどのように、浮世の悩みはキリストの教えを学ぶよりも軽薄である、との見方がなされる。この福音書を書いたマタイという人物は、もとは悪徳税吏で、人々に忌み嫌われていた。が、のちに地位も職も家も放擲し、使徒として生きることを選んだ。だからであろう、キリストのこの言葉はマタイにとっても印象深いのかもしれない。仕事も財産も捨て、使徒として神に用いられる苦労の方がよほど軽い。使徒の中には、(当時の異端であった)キリストの教えに殉ずることになった者もいた。それすらをも、かれらの信仰は厭わせなかった。
聖書をぱたんと閉じる。故郷の教会のことを思い出す。あの牧師先生、どうしてるかな。カロリーメイトを食べながらぼんやりと時計を見る。日付は変わっていたが、わたしにも明日がある。少し寒かったが、シャワーだけでお風呂を済ませる。明日も正しくあれますように、と祈って眠る。