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059 重荷

五九 重荷


 目を閉じたまま話し、取り繕うべきものもなにもなくなり、わたしは自分の涙がこめかみから耳朶へと伝うのを感じた。両手で涙を拭い、洟をすすり上げて顔を上げる。起き上がり、ベッドにあぐらをかく。吐き気も治まり、少しお腹が空いてきたところだった。

「外科の領域ではね」吉川は立ち上がって電子レンジで唐揚げを温めなおしながら、明るい声でいった。

「怪我の洗浄は生理食塩水でやるんだよ。生理食塩水、塩分濃度が涙と同じでね、〇・九%。涙って、血から血球を濾過したものだから、塩分濃度が同じなのはわかるよね。だから、傷口にも親和性が高い。泣くとね、コルチゾールっていうストレスホルモンが涙に交じって排出されるんだよ。涙はじゅうぶん傷を洗う機能を持っている。あんたが泣くのも、時には必要なことなのよ。だから我慢しないの、あたしのショウちゃん」

 わたしはベッドから起き上がり、吉川の話す言葉のひとつひとつを自分の過去にあてはめた。

「わたし、苦労してたのかな」ひとりごち、ベッドのへりにかけて爪先でラグの毛足を撫でる。吉川は唐揚げとチーズ、お茶とを座卓に並べ、割り箸をレジ袋から探し出し、それを横並びに置く。

「ウィダーとかがあったらいいんだけど、とりあえずこれしかないんだ。ちょっとでいいから、なんか胃に入れよう」

 ベッドからずるずるとラグに下りて吉川の横に座り、ぼんやりとした思考のまま祈り、箸を折る。横ではすでに吉川がむしゃむしゃと食べており、それを見ていたら食欲が湧いてきたので唐揚げをひとつ口に運んだ。


 結局、吉川にはゼミのことは話さずじまいだった。精神的なことや、わたしが相当に疲れていることが吐血で端的に表れていることなどを話し合った。確かに内科にも行った方がいいのかもしれないし、薬でどうにかなればその方が手っ取り早いと思えた。心療内科へ行くことにはあまりメリットを感じなかった。

「だってヨッシーがいるもん。わたしの先生はヨッシーだもん」

五階からの階段を下りながら、わたしはそう話した(吉川は酒を飲んでいなかったのでバイクで送るといった)。

「あのさあ、それでも別にいいんだけど、もう少しは自分のこと大事にしてあげなよ、ショウちゃんの代わりはいないんだから」


 わたしの代わりはいない。

 だからといって、わたしが欠けてはならないということにはならない。

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう』。

 マタイによる福音書第十一章第二十八節だ。

 新約聖書ではおそらく最も有名な箇所だろう。キリストの言をまとめたマタイの書物として、この部分はクリスチャンのみならず、聖書を少しでも読んだ者なら目にしたことはあるだろう(なぜなら、新約聖書の一ページ目はこのマタイによる福音書から始まるからだ)。

 この言は俗世のしがらみを捨て、信仰へと立ち返るよう勧める文言だったが、今のわたしにはそれ以上の意味を持ち、とても――蠱惑的な響きがあった。


 かみさま? わたし、もう疲れたの。もうなにもかも、重すぎるの。

 かみさま。もうわたし、あなたのところでやすみたいです。

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