五一 同衾
――こ
はい
――しょうこ
はい!
「聖子、起きてよ」
喧騒と笑い声とが内耳でひしめき、さらにゆさゆさと肩を揺さぶられ、「もう! わかったから!」と半ば髪を振り回して起きる。店の隅、神棚の横にぶら下がるテレビではかわいいペットたちがおもねるように鼻先をこちらに近づけ、目の前では金髪男が困った顔をしていた。
「聖子、本当に弱いんだな。起きないかと思った。帰ろうよ」
わたしは瞬時に自分の状態を把握する。「トイレどこ!」
「怒るなよ。あっち行って右。立てる?」
「立てる」といいながらコンバースをつっかけ、よたよたと歩く。「大丈夫、ついてこなくていいから」
「おい姉ちゃん、悪い男に飲まされされたんか? ははは」と、ほかの酔っ払い客が冷やかす。
「その発言、今すぐ撤回しないとここで吐くけど」とわたしはその客のテーブルに近づく。「あ、どうも、悪い男です。すみませんねえ、大丈夫なんで」とかれが肩を抱いてトイレまで送る。
トイレから出ると、かれが煙草を吸いながら待っていた。「じゃあ、帰ろうか」
「会計は?」
「ごめん、聖子のバッグから出した」
「死にたいの?」
「うそうそ、おれが払ったよ」むろん、そういう意味ではないのだが、しかしわたしは「それならまあ、いいけど」といってひとり、店の出口に向かう。「歩けるならいいけど、電車で寝そうだな」と煙草を急いでもみ消し、わたしの横につく。
「それ、送り狼?」とわたしはくつくつと笑いながら訊く。この人生における通算三回の飲酒で、自分はアルコールで少なからずおかしくなる傾向は何となく気づいていた。「まあ、そんなとこかな」と涼しげにいう。
夏とはいえ、夜である。気温は二〇度台半ばまでに落ちているはずだ。繁華街では酔っ払いか、これから酔うつもり(あるいは酔わせるつもり)の客でごみごみとしており、汗の匂いや、それを隠す香水の刺激臭、肉や魚を焼く匂い、コンビニの灰皿から立ち上る煙の臭い、ほか種々雑多な匂いであふれていた。すぐ近くに駅があり、ここからは新幹線の白い駅舎が見える。ほかにもビジネスホテルや家電量販店があり、立ち並ぶビルの屋上では様々な企業が我こそはと競うように電飾をかがやかせていた。
「だったら――いいけど」わたしは酒癖が悪いのかもしれない。そんな見立てが顔をもたげ、だとしても別にいいか、高志だし、と結論付ける。さきほど団で入った店での紳士的態度に感心したくせに、と自己矛盾さえもおかしい。そもそもなにがどうあればよいのかだなんて、神様が決めることだ。どんな出来事であれ、当人に心地よいかどうかだけで正誤を決めるのは間違いなのだ。
かれはわたしがよろめいてほかの歩行者にぶつからないよう、常に隣で気を配っていたし、駅前のホテルも通りがかったが、意に介さず同じ切符を二枚買って、同じ電車に乗った。
駅からバスに乗って、わたしのアパートの前に着いてもなんら手を出さず、階段を上りドアの前まで来て、帰るそぶりさえも見せた。「ちょっと、高志。ほんとに送るだけ?」
「なにが?」かれはにやりと笑い、ジーンズのポケットに両手をつっこむ。「あなた、分かっていってるでしょ。わたしだって――女なんだから」
この言葉がどれほどの勇気を要すのか、どれほどの迷いがあったかを知っていたのだろうか。さらに「誘うならあなたから誘ってほしい」といったとき、赤面していることを酒のせいにできたのか、それも分からなかった。
かれを家に上がらせたが、そのあとなにをどうすればよいのかわたしは知らなかった。これまでの人生のなかで、今この場に役立つことはなにも学ばなかった。わたしは自分の脈動が耳に響くのを感じていた。かれは優しく教えてくれた。だが、繋がることがこんなに痛いとは知らなかった。痛がるたびに中断して待ってくれ、体を離したのも痛みによるものだった。それでもよかった。
かれのことを心から好きになったのがセックスであったのは、わたしにしてみればいささか不本意ではあった。しかし、好きになれば順番や脈絡は関係のないことだとも思えた。よいのだ、これで。
ね、そうなんでしょ。
シングルベッドの隣で、半分ベッドから落ちながら寝ている男の横顔にキスをした。