二七 調和
まったく無意味なことをしているかと思われるかもしれないが、わたしは翌日もオーケストラの練習を見に行った。この日は日曜日で、図書館も閉まっており、ほかの(体育館、サークルや同好会の部室などの)施設もその都度、警備員に鍵を借りての使用に限られた。文系キャンパスの大講堂へ向かう。防音の施された扉を開けるや、大音声の斉奏が鳴ってきた。ああ、下手だ。
「オッケー、全然だめ! 木管縦そろえて、金管鳴りすぎ、弦弱い。ドヴォルのD、頭から!」と、指揮台のパトリ――パートリーダーが怒っていた。夏真っ盛りといった、すらりと細い腕も足も出した服装で、その長い黒髪はかの女が動くたびにさらさらと揺れた。「鈴谷、ファースト下りる? 下りる? 寝不足なら外で寝て。平松、鈴谷の分まで頑張りすぎるな。オーボエ拾いながらでもクラの手を抜かれたら困るから」
しんと静まった団員のなかで、ひとつひとつのミスを丁寧に拾い上げ、しかもわたしからみても重要なミスから先に指摘している。
このパートリーダーの女性は耳がいい。指揮しながらそれぞれの音すべてを拾っている。感心しているとかの女は振り返り、「見学ならドア閉めて。楽器、あるの?」と、よく通る声でわたしに明確にいった。「オッケー、そこ! よそ見しない! 一〇分休憩」と、かの女は武芸の心得があるかのようなよく通る声でいった。タクト代わりだろう、菜箸を譜面台に置く(学生指揮者も兼ねているとみえる)。かの女はステージから軽やかに飛び降り、「朝野さんね。リード準備できる? 楽器持ってるんだよね?」といいながら近づいてきた。わたしが意表を突かれ逡巡していると「大丈夫、サマコンは簡単だから。夏は譜面ほとんど白いんだよ。初見でもいけるって」
まずい、とてもまずいとの認識が脳裡をかすめる。早く反駁しなくては。それと裏腹に、金髪男には売却するといっていた楽器を強く意識する。ステージ下で最前列の机にバッグを置いたとたん、金髪男が素早く寄ってくる。紙コップにペットボトルの水を注ぎ、机に置く。
「あ――」
「うん、口つけてないから」それだけいうと金髪男はステージに戻った。
わたしは自分の実力を知っていた。吹こうと思えば、吹ける。吹こうと思えば、であるが。
訝しむ声がステージから聞こえる。あれ、だれ? 朝野さんっていうんだって。知ってる? たしか、生命工学のじゃない?
ため息をつき、バックパックから楽器とリードケースを出す。リードを水に漬け、管体を組む。ステージには背中を向けているが、団員同士のささやきはよく聞こえた。常にキャンパスではだれとも交わらないようにしているので、そのささやき声の主もだれかはわからない――だが、なぜわたしの名前を知っているのだ。少し指の練習をして、二、三分経ったころにリードを水から出す。状態のいちばんよいリードを見つくろって、発音してみる。よい具合だ。楽器にリードを組み付け、残りのリードをクロスの上に置き、かんたんにクロマチックスケール――半音階の練習と指の確認をする。大丈夫だ。三年吹いていなくとも、かつてわたしはアンサンブルを支部大会まで引っ張ってきたのだから。確実に問題ない。
指揮台のパートリーダーに大丈夫? と目配せされ、わたしも目でうなずく。下手からステージに上がる。これがどれほどの特別待遇なのか、わたしには全身の表皮がひりひりするほど理解していた。それと同時に、このステージに登ることが自らの意思に反した行為であることも。団員はほとんどわたしの知らない者だったが、中には知った顔もいた。
「オッケー、私語やめ。二分早いけど休憩終わり。ドヴォルのD、頭から通せるところまで。せっかくだから管も弦もチューニング」
団員が奇異の目でわたしを見ているのを感じた。今の今になるまでオーケストラはおろか、どのサークル、同好会にも所属もせず、もちろんわたしが楽器を吹いているところをだれも見ていないはずだった。
パートリーダーが菜箸を少し上げ、わたしに指示する。A音。わたしはこれ以上正確なA音がどこにあろうかというまでに整った「ラ」を出す。着席したコンサートマスターが弓を持ち、かれの二弦開放音であるAがぴったり合うまで発音する。このコンサートマスターは耳も腕もあまり達者ではない。しかしオーボエという楽器はほかの管楽器と違い、ロングトーンという音を長く伸ばすことが得意なのだ。音が揃うまでわたしはずっと発音し続け、息継ぎをしなかった。コンサートマスターのチューニングがすみ、次にその男が弦楽器群にA音が伝える。弦楽器群で音が広がってやがてやみ、コンサートマスターは楽器を下ろし膝に立てる。わたしはまたA音を、今度は管楽器群へ広める。初心者が多いからか管弦ともに時間はかかったが、すべての楽器のチューニングがすむ。
その間にもクラリネットを構えた金髪男はオーボエの
指揮台のかの女は頬笑みながらゆっくりうなずき、へその前で組んでいた両手をあげる。団員が楽器を構える。
曲自体は平易で子供向けのように思われたが、実際に合わせるとなるとブランクは否めず、口輪筋も疲れてアンブシュア――唇の形も乱れてしまった。音の出だしの美しさを決めるアタックも、いくつかはよくなかったし、数か所かで目立たぬミスもあったが、三年越しに楽しい、と思える音楽をした。もはやひそひそ声を立てる団員はおらず、あるのは音と音とのつながりだった。
いつ頃からだろう、以前は人と関わるときはかれらへの敵意を持っていた。その構えがないのは久しぶりだった。競争でも敵対でもない、純然に音楽の為に自分が存在していた。
音楽は調和を保とうとする言語だ。ある一音、そしてその次の一音があるとする。ド、ミ。モーツァルトは異なる二音が連なること、それを音楽であるとした。ド、ミ、ソ。レ、ファ、ラ。その変化を絶え間なく連続させ、調和と秩序をもたらそうとする意思を団員たちは持っていた。
まともに会うのが初めてな団員とアイコンタクトを取り、喫煙所やロッカールームでにらみつけてやった者と、身振りで疎通した。