一六 再開
高志の死後、初めて公にオーケストラの練習が再開された日のことだ。留年が確定してわたしの心理的負担は減り、少しだけ軽くなった体で大講堂にやってきた。それまで大講堂に顔を出さなかったり、こっそり掃除していたりした吉川、鈴谷や瀬戸、フルートや金管、打楽器、弦楽器群など、大体が集まった。
わたしは買ったばかりなのにすでにぬるくなっている缶コーヒーを手で包み、指先の微妙な感覚を寒さに殺されないように努めた。
「ショウちゃん」
「ヨッシー」吉川に声をかけられ、かの女の背中まであった髪が肩のあたりで切っているのに気づく。「ごめんね、最近会えなくて。実習が忙しいのは言い訳になんないけどな、さすがにこの歳だと二日酔いがしんどくてさ」と快活に笑って、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。「さみしかった?」
思わず肯ってしまいそうになり、ちょっとうつむいて「うーん」とあいまいな返事でごまかす。
「かわいいんだかどうなんだか。それで、あんたは練習どうする?」と髪をピンで留めながら訊く。
「——見学」わたしは缶コーヒーの熱で指先を温めながら、これまでなんのために音楽をやっていたのか、思い起こす努力も放棄した。
「オッケー、なんでもいいよ。寒かったらそこのあたしのコート、ちょっと煙いけど膝にかけな」
この日は顧問が来ており、団員たちは若干そわそわした感じを持ちながら、その周りに集まっていた。
「まさか、期間延長とかじゃないですよね」
「瀬戸ちゃん、気にすることあらへん。あの顧問のことや、政治力で再開させるはずや」と、実習の合間を縫って出てきた鈴谷が慰めた。
はじめに顧問の指示で、皆で一分間の黙祷をささげた。
「はい、一分。で、ああ、ちょっと聞いてくれ。まだ平松が死——亡くなってから日も浅いが、さしあたり処分期間が終わったのでオケには動いてもらう。もちろんそんな気分じゃない者もいるとは思う。俺だって責任を感じてる。もっと潔い形で責任を取れという上のご意見もあった。正直、俺もすっぱり顧問辞めた方がいいんじゃないかとも思った。だが平松はオケではなく飲み会で亡くなったということで、今後の飲み会には俺が監督のために同席するという条件、これでオケ存続については事務局の了承を取った。訳が分からんという顔の者もいるが、とにかく、これまで通り練習して卒業式と入学式での演奏に間に合わせてほしい。ああ、さらに訳が分からんという顔だな。葬式には出るなとあれだけうるさかった大学も式典には積極的だもんな。俺も訳が分からん。ともあれ、今、動ける団員も少ない。なので、パートの移動、つまり持ち替えや転向は自由に決めてほしい。まあ、そんなところである。つまるところ、いつも通り。以上だ」
そういって顧問はすぐに外へ出た。
「なんなん、あれ」とざわざわとしだす団員のなか吉川が小さくつぶやく。
「監督者が不在だったために平松の事故は防げなかったこと、それから、不在であったこと自体で監督責任から逃れること、いっぺんに済ませたな。尊敬したいくらいだわ、あいつ」部長の田中が拳を握って吐き捨てるようにいった。
「団は存続した、以上解散、ってことだな。なんかごめん、今日、あたし楽器吹きたくない。棒もたぶん――振れない(かの女の所作に一切の動揺が見られないのは周りへの配慮なのだろう)。オッケー、いや全然オッケーじゃないけど、久しぶりだし今日は全員、各パトリの指示で練習。時間は各人の都合に合わせよう」
わたしは机の缶コーヒーが冷えているのを感じながら、徐々にうとうととし始めた。