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013 仮説

一三 仮説


 十二月二十五日、わたしはその未明に生まれ、実直だがいささか安直な両親はわたしを聖子と名付けた。わたしも高校に上がるまで、もちろん命名の由来も知ってはいたが、気に留めるまではなかった。会ったこともないからと、神も仏も、奇蹟も超能力も信じることはなかった。

 いつも誕生日とクリスマス、さらにはお正月もがいっしょくたに祝われたが、そのことに不満を覚えることもなかった。プレゼントが祝い事の三つ分合わさって、豪奢だったからだ。

 父も仕事でそう悪くない地位に就き、わたしたち家族は金銭的に何不自由なく暮らしていた。わたしが高校二年生ときの父の死を機に生活は一変した。母も仕事をはじめた。遺族年金と、母の賃金、ひとり親手当、それから貯金でやりくりをし、わたしも進学を諦めて就職をしようかと、いっときは悩んだ。しかし母は、独り立ちをしてゆくなら勉学は欠かせない、今はあしなが育英会もあるし、大丈夫、と(国公立、との条件付きではあったが)、わたしの背中を押してくれた。

 それからは勉強、勉強、勉強。それがわたしのすべてだった。


 天に召された父は、そこで初めて自身の役割を了解するに至ったのだろう。そう信じたい、そうであってほしい。希望と牽強付会が地上の摂理であり、その先にあろうはずの永遠は、人は生きているうちに身をもって知ることはできない。

 知らないものは知らない。

 だが、知らないものを存在しないとは断じえない。

 それが科学のあるべき視座だ。ある仮説を完全に覆しうる証拠が出ない限り、その仮説は唱え続けていてもよい。だから父の死が徒死だったと断言できる証拠が出ない限り、その死から意味や意義を剥奪することは許されない。

 父を信じる――娘としては当たり前のことだ。しかしよりによって電車内で、とも思う。が、年間一桁二桁で収まらない数の者が、父のような死を遂げているだろう。自分の父がそうなるのも確率的にゼロでもないのだ。わかっている。わかっているが、わたしたち母子は父を恨んだ。父の死に方を恨んだ。わたしたちの髪の毛の一本一本をすべて数え、それがいつ抜けるかも定めた、神の計画さえも。確率論や蓋然性ではなく、完全なる計画ですべての森羅万象をつかさどっているとしても。

 だから、高志の死への意味もわたしは知ることができない。しかわたしにはそう思えなかった。わたしは殺した、高志を殺したのはわたしだ、わたしが高志を殺したのだ。もうなにも意味を持たない。もうなにも意味を生まない。ただ自分の死へと、高志のもとへと近づいていた。しかしかれの死から半月も経たぬうちに、わたしはすべてを了解するに至るのだが、このときは知らなかった。


 わたしは酒に溺れ、スマホの通知を無視した。いま目を覚ました夜のワンルームにはわたしひとりしかいない。かれはいないのだ。吉川の蘇生術も、もとから意味がなかったのかもしれない。天の采配でかれが召されたのであれば。

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