四 郷里
あの朝の、ふたりで語った死へ向かう会話。
平松高志――かれをほんの少し前まで最低な男だと厭えば、愛を語り合い、そればかりか半年後の冬に心中をしようとまでにわたしの心情を様変わりさせたのは、一体何だったのだろう、そう今でも不思議に思う(おそらくは奇蹟なのだろう、と仮定してはいるが)。
わたしがかれに心中を頼み込み、オーケストラの冬季定期演奏会の夜、ふたりでホテルの一室で死のうと交し合った約束は、いまなおだれにも話していない。これはかれが遺したわたしへの聖痕なのだ。あの時ほかの言葉でわたしを食い止めることは容易であっただろう。しかし心中という決断をしたかれの、生き残ったわたしが受け継いだ愛であり、また同時に十字架でもあった。人ひとり分の重さの愛を背負ったのだ。そうして今も生きている。
わたしの十代はもうすぐ終わろうとしていた。しかしすでに、この人生が生きるに値するか、わたしはもう見限っていた。死にたい、生きるのがもう嫌だと高志に漏らし、そして一緒に死んでほしいと懇願したのは演奏会の直前だった。
かねてより情緒不安定だった。生理が遅れていたからかもしれないが、もとより生理なんて周期通りに来たためしがない。泣いたかと思えば笑い、笑っていたかと思えばまた泣く。楽器の練習をしているときだけだ、まともなわたしでいられるのは。うつ状態によくある日内変動で、夕方から夜にかけて気分が持ち直すこと、一日が終わることに安堵すること、意識の失われる睡眠が死に近しい事象であるのが理由だ。だから五限の終わりから夜九時までしかわたしを見ていないオーケストラのメンバーは、ほぼ誰もわたしの変調に気づかなかった。
あの冬季定期演奏会の日の夜、しかし高志はひとりで逝ってしまった。吐瀉物による窒息死。事故死だということをわたしはうまく呑み込めなかった。
なるべく早い方がよいとの葬儀屋の判断で、かれはその死からすぐに実家へ高速道路で運ばれた。天候はよく、わたしもすぐに鉄道でかれの故郷の地を踏んだ。かれの両親と会うのは初めてだった。