三 翌朝
服、どうしよう。あまりにもたくさんの事が短時間のうちに起きたので、いいかげん脳が疲弊してきた。どうやって家に帰ったのか思い出せないが、起きたときはベッドで眠っていた。一度目が覚めて吉川とLINEしていたような気もするが、よく分からなかった。ドアチャイムが幾度も幾度も鳴り、目を覚ます。吐瀉物まみれの服のまま玄関へと歩く。吉川がドアの向こうで「聖子! 開けてよう!」と泣いている声が聞こえ、施錠してなかったのでわたしはそのようにする。転がるように吉川は入り、わたしに抱きつき、そのままふたりでへたり込んだ。
「ヨッシー」
「ごめん、聖子。あたし聖子の心配もしないといけなかった」と鼻をすすって吉川はいった。
「何のこと?」と尋ねる。
「(吉川はうつむいて鼻をすする)わかった。ちょっとじゃまするよ」吉川は靴を脱ぎ、部屋に上がる(服はすでに着替えていたようだった)。
「え?」と玄関に座ったままでわたしは呆けたように吉川を目で追う。かの女の形相はいっとき険しくなり、やがて涙を流しながらぐしゃぐしゃの顔でわたしに抱きついた。「聖子?」
「うん」
「あのさ――いや、見当識って言葉くらいは知ってるよね。ここがどこで、自分がだれで、今どういう状況か」
「――はい?」
「
高志と出会って半年の出来事だったのだ。その半年で、永遠の別れが来るなんて。神の計らいか嫌がらせで、別れを予知できたとしても、わたしはあの時に出会った高志を愛しただろう。それはいまでも強く思う。
高志はわたしと今日、死ぬはずだった。ところがわたしは夜を明かし、朝を迎えた。高志には永遠に訪れない朝を迎えた。
「ヨッシー、どこ?」
トイレだよ、と間延びした声が返ってくる。わたしは安堵し、また布団の中へ潜る。今日は月曜だったか。起きた方がよいのだろう。でも、低気圧による頭痛が苦しい。が、出すものは出さねばならず、吉川のあとに続いて手洗いに入る。
「おはよう、聖子」手洗いから出ると吉川がカーテンを開けて待っていた。わたしはぽかんと口を開け――言葉を発するためなのか、言葉を探すためなのか、しかしそれのいずれにも挫折して、口をつぐむ。
「ねえ、ショウちゃん」吉川は疲れた様子で話した。「夢だと思いたいのかもしれないけど、事実、なんだよね。昨日の今日で混乱するかもしれないけどさ。あたし、バイク取ってくる。その間にショウちゃんは準備しといて。病院行こう」
「え、準備って?」
「――心の準備」
ワンルームで二人とも突っ立ったまま黙り込む。わたしはぎこちなくうなずく。
ふたりとも居酒屋にコートもブーツも置いてきた。代わりになるようなものを身に着け、吉川の一二五ccのスクーターの後ろに乗る。幹線道路を救急病院へ走る。なんの部屋なのか、プレートもなにも掲示されていない自動ドアまで看護師に連れられ歩く。看護師はネームプレートのICカードでロックを解除し、こちらです、と案内する。寒いが陰気ではない、白く清潔感の漂う空間であった。
吉川は遅れて歩き、わたしのあとに控える。看護師がきれいに折り畳みながら覆布を取り去る。高志は白い着物を着せられ、両手をみぞおちのあたりで組み、鼻と耳からは綿球がのぞいていた。
この時初めてわたしはかれの死を実感した。右手で触れたかれの頬はびっくりするほど冷たく、左手を添えてみて、死というものが体にしみこんできたのを今でも鮮明に思い出せる。わたしはなにもせず、高志の穏やかな死に顔を見ていた。きれいだった。なにもしゃべらずただ眠っている、高志の死は誰も覆しようがなく、永遠不変のものであるという意味で、かれの寝顔は完璧で神々しいようにも感じられた(後ろで吉川が吠えるように泣いていた)。高志は、平松高志はすべてから解放された面持ちで――あらゆる苦しみを地上に残して――天に召されたのだ。
きのう、ふたりで死ななくてよかったのかもね。かれの死に顔に向かって心の中でつぶやく。