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第六章 その1

第六章 その1


 十日町市の病院でじっと菜子を見守る二人。救急隊が駆けつけるとすぐさま搬送された菜子であったが、あれから五時間経過したいまも目を覚ます様子はない。命に別状はないそうだが、血液検査の結果によれば、どうやら何かの薬を服用したようだということが分かった。


 菜子の父親と母親が病院に駆けつけて、菜子の名前を連呼している。


「どうして、どうして」


 混乱する菜子の母親の声が病院内にこだまする。


「落ち着いて下さい。命に別状はありませんから。体温が落ちて低体温症になりかけていましたが、いまは体温も回復しています」


 看護師の言葉が耳に届いているのか届いていないのか、菜子の母親は涙を浮かべてずっと名前を呼び続けている。


「おそらく何かの睡眠薬を飲まれたのだと思いますが、菜子さんは日常から睡眠薬を服用されていましたか?」


 医者の質問に菜子の父親、聡一が答える。


「いえ、娘は特に日頃、薬は服用しておりません」

「では、いったいどこから睡眠薬を入手したのでしょうね。ご家族にどなたか睡眠薬を服用されている方はいらっしゃいますか?」


 聡一は妻と顔を見合わせる。


「いえ、うちは誰も……」

「あ、もしかして」


 何かを思い出したような聡一は話を続ける。


「隣に幸子ゆきこさんという九十歳のおばあちゃんが一人暮らしをしていまして、菜子がよく幸子さんのお手伝いをしているのです。そういえばこの間、寝つきが悪いから薬をもらったという話をしていました」

「それはどういった名称の薬かわかりますか?」

「さあ……そこまでは」

「まぁ、でも九十歳の方にそこまできつい眠剤は処方されないはずです。もし、菜子さんがその方の薬を飲んだのなら直に目を覚ますでしょう」


 それを聞いた聡一と菜子の母親はほっとした表情をする。

 朝妃と愛奈未、そして愛奈未の母親も同席していたが、ここからは家族に任せましょう。と愛奈未の母親が朝妃と愛奈未に耳打ちして、三人は病室を出た。


 廊下に出てベンチに座ると力が抜けて朝妃はひどい疲れを感じた。


「朝妃、愛奈未」


 声がした方に翠と柊慈、そして翠の父親の肇がいた。


「あ、来たんだ」

「もちろん。菜子はどうだ?」

「ご苦労様です」


 愛奈未の母親が肇に挨拶をすると肇も「ご苦労様です」と返す。


「大丈夫だって。もうすぐ目が覚めると思うってお医者さんが」


 愛奈未の言葉に翠と柊慈もほっとする。


「そうか、良かったよ。電話をもらった時は焦った」


 朝妃は一一九番に電話した後、翠に電話した。


「翠、菜子を発見したんだけど意識がないの!」

「朝妃、落ち着いて。いまどこにいる?」


 電話の向こうで冷静さを失っているクラスメイトを翠は一旦落ち着かせた。朝妃はキャンプ場にいる旨を伝え、さらに救急車を呼んだと話した。


「いったいどうして、河原で倒れていたんだ?」

「それが……恐らく睡眠薬を飲んだみたいで……」


 その言葉に翠と柊慈の顔が曇る。


「自殺する気だったんか……。こんな寒い中で寝てしまったら凍死するだろう」


 四人はそれ以上何も口にできない。


「とにかく無事でよかったよ」

「柊慈、疲れていない?」


 愛奈未の言葉で、朝妃は柊慈が今日、高校受験の日だったことを思い出す。


「そうだ、柊慈。受験お疲れ様」

「ああ、帰りの車の中ですごい混乱した電話がかかってきてビビった」


 愛奈未は駐車場に走りながら柊慈に電話をかけたのだが、菜子が、菜子が大変なの! どうしようどうしようと脈絡なく叫んでいる愛奈未の声が車の中に響いていた。


「お前、普段しっかりしてるのに、いざという時はほんと混乱するよな」

「ごめん、あの時はかなり動揺してた」

「菜子……そんなに思い悩んでたんだ」


 しばし沈黙する四人。


「いま菜子の両親が来ているからもう大丈夫だと思うけど、顔だけ見ていく?」

「ああ、そうだな」


 翠と柊慈が病室に入る。


「朝妃ちゃん、遅くなっちゃったわね」


 愛奈未の母親が腕時計を見て心配そうに言う。


「いえ、大丈夫です。おばさんこそ巻き込んでしまってすみません」

「とんでもない。菜子ちゃんも私の娘みたいなものよ」


 菜子と朝妃はいままで何回も愛奈未の家に泊まりに行ったことがある。愛奈未には小学五年生の弟と小学三年生の妹がいて、家の中はいつも賑やかだ。


「今日は凛久斗(りくと)くんと友加里ちゃんは?」

「ああ、今日はスキー教室だったけど、旦那がたまたま休みだったから大丈夫よ。心配しないで」


 そういえばここに来る前、小学生たちの乗ったマイクロバスと遭遇したことを朝妃は思い出す。

 病室から翠と柊慈が出てきた。


「まだ眠っているな。今晩どこかできっと目を覚ますだろうって」

「そうね。私たちもいたら人数が多すぎるし、帰りましょう」


 愛奈未の母親がそう言って、車のキーを鞄から取り出した。病院の入口方面に向かって歩き出すと翠が柊慈の上着の裾を引っ張る。


「何だよ」

「お前だけ残れないか?」

「え?」

「菜子が目を覚ました時、お前がいた方がいい」


 翠の言葉に柊慈は目線を逸らす。


「お前、何となく気付いていただろう」


 こそこそと話す翠と柊慈に気付いた愛奈未が振り返る。


「どうしたの?」

「ああ、柊慈だけここに残れないかなって思って」


 翠の言葉に愛奈未は納得した顔をする。


「そうね。もし親が許してくれるならその方がいいかも」


 三人の会話の意味がよくわからない朝妃は戸惑う。


「菜子はお前のことが好きだ」


 翠の言葉に思わず「ええっ」と驚く朝妃。


「やっぱり朝妃は気付いてなかったんだ。朝妃って観察力がずば抜けているなって思うけど、そっち方面は鈍感よね」


 愛奈未の言葉に思わずオロオロしてしまう朝妃。


「そうだな。多分、朝妃以外はみんな気付いているぜ」


 柊慈は難しそうな顔をしていたが


「わかった。親に連絡してみるよ」とスマホを取り出した。

 ぽかんとしている朝妃の耳元で愛奈未が


「ついでに、柊慈は花蓮が好きだったのよ」


 と話す。


「え、えええええ?」

「朝妃は恋愛の勉強もした方がいいわね。あーあ。翠がかわいそう」


 翠がかわいそう? どういうことなのか朝妃はただ戸惑うばかりだ。


「何だよ。オレのこと何か言った」

「別にー」


 そうして、柊慈だけ病院に残り、あとの三人は家路についた。


 朝妃が家に辿り着いたのは夜の十時半で、ひどい疲れでそのままベッドに倒れ込んだ。


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