第五章 その3
夜の間に降り始めた雪はだんだん強くなり、やがて大雪となる。駐車場に停めてある車が僅か一時間ほどの間に雪に埋もれてしまった。
「今日は大変ですね」
羽鳥はフードをかぶり、必死で車の上の雪をおろしていく。
「うむ……これ以上強くならないといいが」
笹本もフードを深く被っているが、頭の上にみるみる雪が積もっていく。
なんとか雪を払いのけ、運転席に羽鳥、助手席に笹本が乗りこみ車を発進させた。もう二月も後半だが、この調子ではまだ雪解けは先になりそうだなと羽鳥は残念に感じた。
信濃川の脇を通りぬけ、山道に入る。
「気をつけろよ」
「ええ。警察が事故を起こすのはバカらしいですよね」
山道を抜けると田んぼが一面に広がるが、いまは一面雪景色である。これだけ雪が強いと皆、引き籠っているのか人っ子一人見かけない。田舎道を通り抜け、町で唯一のコンビニの角を曲がり、百メートルほど進んだところを右折すると木下家がある。
予め電話をしたので、木下千夏が待ち構えているはずだ。凍える指でインターホンを押すと、玄関の扉が少しだけ開いた。
「どうぞ」
「すみません、お邪魔します」
羽鳥と笹本は玄関ドアの前で肩や頭の雪を払いのけ、分厚いダウンコートを脱いだ。靴箱の上に、母と娘のツーショット写真が置いてあるのを発見した羽鳥は少し涙腺が緩んでしまう。
千夏に通されたリビングはとても暖かく、おしゃれなダイニングテーブルとふわふわのソファが置かれている。
「コーヒーでいいですか」
「ああ、お気遣いなく」
羽鳥と笹本がダイニングの椅子に腰かけると、コーヒーメーカーの音が聞こえてくる。
「この度は改めてご愁傷様です。お電話でお話した通り、娘さんが何者かに殺された可能性がありますので、お話を伺いたいのです」
笹本がそう切り出すと、千夏は暗い顔をした。
「殺されたなんて……。娘は遺書を残しているので自殺だと思うのですが」
「ええ、我々も一度はそう判断しました。しかし、娘さんの自殺には不可解な点があります」
「不可解な点とは」
千夏が眉をひそめる。
「まず、娘さんはなぜ自分のお気に入りのマフラーで首を吊ったのか。そして、遺書はなぜ全部平仮名で書かれていたのか」
コーヒーメーカーから出来上がりの音楽が流れ、千夏は席を立った。花柄のティーカップに熱々のコーヒーを注ぎ入れる。
「そのあたりは……。よくわからないですが、いまから死のうと覚悟した人間が冷静な判断などできないと思います」
「ええ、それは奥様のおっしゃる通りです。しかし、娘さんの様子はどうでしたか? 亡くなる前に何か異変を感じたりはしませんでしたか?」
「異変ですか……」
千夏は何か言おうと思ったのか、一瞬思い出すしぐさをした。
「いえ、特に。いつも通りでした。亡くなったあの日……。十七日の朝もいつも通り、朝ごはんを食べて受験勉強をするからと自分の部屋へ向かいました」
「失礼ですが、娘さんの部屋を見せてもらってもよいですか?」
笹本の言葉に、一瞬怪訝そうな顔を見せた千夏だったが
「ええどうぞ」と言い、二人を二階の花蓮の部屋に案内した。
階段を上ってすぐの六畳間が彼女の部屋らしい。明るい黄色のカーテンに、学習机、パステルカラーの布団が敷かれたベッドと本棚。いかにも女子中学生の部屋といった感じだと羽鳥は思う。
「失礼ですが、少々中を確認させてください」
「……どうぞ」
笹本と羽鳥が部屋を見渡す。学習机の上には参考書とノート、筆記用具が綺麗に並べられ、本棚にはファッション雑誌が何冊か置かれていた。
「娘さんの死後、この部屋には誰か入りましたか?」
「いえ、私だけです」
千夏は娘の部屋を物色されるのが明らかに嫌そうだったが、そうも言っていられない。
「この部屋にセロハンテープはありますか?」
「えっ、セロハンテープですか?」
予想だにしない問いかけに千夏は戸惑った様子で答える。
「さあ……娘の部屋には最低限しか出入りしないのでわからないです」
「では、机の引き出しを開けさせて頂きます」
笹本は千夏の返事を待たず、学習机の上から順に引き出しを開ける。そこには、ノートや教科書、そして中学の入学式の写真、小学校の卒業証書の入った筒などが入っていた。そして三段目の引き出しに、絵具と彫刻刀、恐らく学校で作ったのであろう版画作品が入っていた。そこに、小さな手のひらサイズのセロハンテープも入っているのを笹本が発見した。
「あの……セロハンテープが一体どうしたのですか?」
不安そうな千夏の疑問に笹本が答える。
「娘さんの遺書をご覧になりましたよね?」
「ええ……」
「あの遺書の紙の上の方にテープを剥がしたような跡があったのを覚えていますか?」
「これですか?」
千夏は着ていた服のポケットから折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
「それは……」
「娘が死んでから、肌身離さず持っているんです」
笹本が白い手袋をはめた手でその遺書を受け取った。
「奥様。申し訳ないですがこちらの遺書とセロハンテープを預からせて頂けないでしょうか?」
千夏は困った顔をしたが、刑事の言うことには逆らえないと思ったのか、静かに頷いた。
「あの……娘は本当に殺されたんでしょうか?」
笹本と羽鳥は顔を見合わせた。
「まだわかりません。しかしもし犯人がこの遺書を偽造したのなら指紋が残されている可能性もあります」