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第三章 その3

第三章 その3


 朝妃は玄関に向かい、翠を招き入れた。


「翠くんも昨日は災難だったわね」


 そう言いながら、朋子がホットミルクを翠の前に差し出した。


「ありがとうございます」


 悠妃はカップラーメンを食べ終わり、リビングのソファーでスマホをいじっていた。


「あのさ、山口先生のこともすごく気になるところだけど、今日オレ午前中に花蓮の家に行ったんだ」


 そうだ。山口先生のことでつい頭がいっぱいになってしまっていた。と朝妃は気が付いた。


「でも、インターホンを押しても何の反応もなかったんだ。心配だし、花蓮に電話をかけてみたんだけど、留守番電話サービスに繋がって」

「今朝、柊慈から電話があって、昼から花蓮の家に行くって言ってたよ」

「そっか……」

「昨日さ、花蓮がなんで柊慈の家にやって来たのかだけどさ、どうやら柊慈の母ちゃんが、ビールを買いにコンビニに行ったらしいんだよ。そしたらたまたま、花蓮と鉢合わせて、あれ、花蓮ちゃん、うちにみんな集まっているわよ。みたいなことを言ったらしいんだ」

「えっ」

「しかも柊慈の母ちゃんがお節介にも、花蓮ちゃんもいらっしゃいよ。ドーナツたくさん作ったから是非食べて行って。みたいな感じで花蓮を半ば強引に家に連れていったらしい」


 それはまた不運というか、タイミングが悪いというか。朝妃は思わずため息をついた。


「花蓮、誤解したよね」

「ああ、自分だけが仲間外れで五人集まっていたって思っているだろうな。まぁ事実といえば事実なんだが」

「花蓮、大丈夫かな……」

「柊慈が行ってくれるならきっと大丈夫だろ」

「でも家にいなかったんでしょ?」

「あーどうだろな。確かにちょっと心配だな。オレも行くから一緒に行くか?」

「そうだね。行ってみよう」


 そう言って、二人で花蓮の家に行くため、朋子に悠妃のことを任せて玄関を出ようとした時だった。インターホンが鳴る。

 玄関のドアを開けると、そこには昨日別れたばかりの羽鳥ともう一人の刑事が立っていた。


「あれ、二人一緒なんだ。悪いんだけど、もう一度話を聞かせてくれないかな」


 朝妃と翠は顔を見合わせた。


「仕方ない。とりあえず対応して、終わり次第花蓮のところに行こう」


 翠が朝妃の耳元でそう囁いたので朝妃は二人を自分の家にあげた。



 ☆★☆★☆★☆


 愛奈未は通いなれた学校の前で呆然としていた。正門には黄色いテープが貼られ、その左側、駐車場へ続く道の途中に真っ黒に焼け焦げた車が見えた。


 マスコミであろうか、肩に重そうなカメラを乗せた男性と、メモを片手に持ったスーツの女性がウロウロしている。そして愛奈未の姿を見つけると、突然近寄ってきた。


「失礼します。こちらの学校の生徒さんでしょうか。先生が亡くなられたようですが、いまの心境はいかかですか?」


 何がいかかですか? だ。新商品のジュースの試飲会場でお味はいかかですか? と質問されているかのようなノリに腹が立った。愛奈未は答えることなく、質問してきた女の目を睨みつけた。


「な、なによ……」


 女性とカメラマンはブツブツ言いながら愛奈未から遠ざかった。山口先生。どうか車の中の遺体は別の人でありますように。と願う。


 先生はいい担任だったと思う。生徒の話をよく聞いてくれたし、明るくて朗らかで……。いい担任? いや、違う。愛奈未はずっと見て見ぬふりをしていた自分の気持ちを隠せずにいた。優しい笑顔や気さくな言葉がいまもリアルに心に残っている。夏までバレーボール部にいたが、顧問をしていた先生は、愛奈未がミスをした時に、ドンマイと背中を叩いてくれた。その手は大きな男の人の手で、思わずドキドキした。


 愛奈未の目に涙が滲む。

 明日から学校はどうなるのであろうか。しばらく休校になるのであろうか。


「みんなどうしてるかな……」


 愛奈未は学校を離れ、一人西へ向かって歩き始めた。


☆★☆★☆★☆


 朝妃のスマホが鳴ったのは午後二時半を過ぎた頃であった。柊慈だった。


「朝妃! 大変だすぐ来てくれ!」


 尋常ではない様子の柊慈の声に、翠と顔を合わせる朝妃。やっと刑事が五分ほど前に帰宅して、いまから花蓮の家に向かおうとしていたところだった。


「何、柊慈、どうしたの⁉」


 質問すると、柊慈のごくりと唾を飲む音が聞こえた。


「…………死んでる」

「えっ……」

「花蓮が……死んでる」


 その言葉はまるでどこか異国の難しい言語のように朝妃の頭の中では処理できなかった。


「どうしたんだ朝妃?」


 真っ青な顔をしている朝妃の隣で翠が尋ねる。


「翠? もしかして翠がそこにいるのか? 翠! 大変だ、とにかく花蓮の家に来てくれ‼」


 電話越しに柊慈の声が響いた。


 朝妃の家から花蓮の家までは遠く、徒歩三十分ほどかかる。夏だったら自転車を利用するところだが、雪道では自転車には乗れない。翠に手を引かれて走っていても、まるで自分の足が宙に浮いているようだった。


「カレンガシンデル」


 その言葉が頭の中で何度も何度もループする。


「くそー。こういう時車を運転できたらいいのに」


 翠が辺りを見渡す。すると、一台の車が通りかかった。


良介りょうすけおじさん!」


 翠がヒッチハイクをするみたいに親指を立てると、車は路肩で停車した。窓が開き、髭面の良介が顔を出す。


「どうしたんだぁ、そんなにせいで(急いで)」


 良介は翠の家の近所で工務店を経営しており、陸山家とは昔から顔なじみだ。


「頼む! 緊急事態なんだよ! ちょっと谷口の方まで乗せて!」


 翠は工務店の名前が書かれたハイエースのスライドドアを開けて、先に朝妃を押し込むような形で乗せ、自分も乗車し、扉を閉めた。


「緊急事態って何だぁ? だれか病気かあえまち(怪我)したが?」


 不思議そうな顔をする良介に事情を説明する翠の隣で車窓の景色がゆらゆらと蜃気楼のように揺れて焦点が定まらない朝妃。


「朝妃、大丈夫か⁉」


 翠に呼びかけられてハッと我に返る。


「そりゃおめさん、死んでるってそんげこと……寝ているの間違いでないか?」


 良介は信じられないと言った具合で話す。


「とにかく行ってみないことにはわからない」

「だけん、昨日は学校で何かあったみたいだし、なして今日は生徒さんが生きてるか死んでるかわかんねぇが。こりゃたいへんだ」


 信号が少ない町なので、花蓮の家には僅か五分ほどで到着した。


「ありがとう良介おじさん!」

「いや、待て。オレも一緒に行くが。もしそんげ話が本当だとしたら大人が誰かいた方がいっち(いい)」


 そう言って、良介はハイエースを木下家の前に停めて、車から降りた。門を開けて玄関の扉を引くと、扉が開いた。


「柊慈! いるんだろ? オレだ! 翠だ!」


 その声に反応するように、「こっちだ」と声がした。一階の奥の方からだ。

 翠と朝妃、そして良介が声のした方に向かうとそこは脱衣所で、柊慈は花蓮の胸を押さえて人工呼吸をしている。


「一体どうしただ⁉」


 朝妃は花蓮の顔色を見て愕然とした。血の気がなくて唇は真っ白、まるで人形のようだ。隣の風呂場には洗濯ものを干すためのポールがかかっており、洗い場には二つに切られたマフラーが転がっていた。二つに切られたうちの片方は固く結ばれている。カラメル色のチェックのバーバリーのマフラーはいつも花蓮が学校につけてきているやつだ。


「風呂場で首を吊っていた」


 柊慈の言葉に衝撃を受ける。


「救急車は⁉」


 翠が確認すると柊慈が


「すでに呼んだ。警察にも電話した」と答えた。


 やがて、サイレンの音が外から聞こえた。


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