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第三章 その2

第三章 その2


 その日は八時過ぎに愛奈未から電話があり、さらに九時過ぎに菜子から電話があった。二人とも昨日の事件に驚いて、夜の八時前に学校の前に駆けつけたそうだが、その時点では既に規制線が張られて立ち入り禁止になっていたため、遠巻きに学校の様子を眺めるしかなかった。と話していた。


 当然のことながら学校は小、中共に臨時休校だ。昼前になってやっと目覚めた悠妃は、ぼんやりしていた。


「悠妃、大丈夫?」

「うん……。大丈夫」


 泣きはらした目は充血していたが、思ったより元気そうな悠妃はお腹がすいたらしく、朋子が用意していた朝食をぺろりと平らげた。昨日はバレーボール部の練習が終わった後、事故現場に遭遇。その後は警察の事情聴取だったため、夕飯を食べるタイミングを失っていた。


「お母さん、もっと食べたい。何かない?」


 予想以上の食欲に驚きながらも朋子はカップ麺を戸棚から取り出し、湯を沸かし始めた。


「お姉ちゃん、あれからどうなったの?」


 日頃からキリリとした目つきの悠妃は落ち着きを取り戻していた。


「えっと……。今日の新聞に載っているけど、読む?」


 朝妃はそっと朝刊を悠妃に差し出した。

 悠妃は昔から芯のしっかりした明るい子だ。今回の事件できっとショックは受けているだろうが、この記事を読んでどう感じるのだろうか。


「山口先生が行方不明なんだ……」

「うん……」


 榎本家のダイニングにしばし沈黙の時間が流れる。その間に朋子が鍋で沸かしたお湯をラーメンに注ぎ、静かに悠妃の前に置いた。


「でも、どうして先生は車に乗ったのかな?」

「え?」

「だって、私が自主練で残っている間、先生はチョコとマカロンに餌をあげに行ったんだよ」


 山口先生は女子、男子共にバレー部の顧問をしている。チョコとマカロンというのは職員室で飼っている金魚のことで、お菓子が大好きな愛奈未がやたらと甘そうな名前をつけたのだ。山口先生は金魚の世話係になっており、昨日も練習が終わった後、体育館に悠妃を残して一人で職員室へ向かったそうだ。


「先生が帰ってしまったら学校の施錠ができないから、私の自主練が終わるまでいつもは待ってくれているのに……」


 悠妃は、うま塩と書かれたカップラーメンを啜る。


 朝妃は昨日の光景を思い出す。タイヤ痕が残っていた地面と急ブレーキの音を考えると、先生は車に乗った後、正門までの間にかなりスピードを出していたのではないだろうか。何のために? 何か急な用事で急がなければならなかったのだろうか?


「ねぇ、悠妃。ごめんね。昨日のことはあまり思い出したくないかもしれないけど……。燃えている車の周りに足跡ってなかったんだよね?」

「それ、昨日刑事さんに聞かれた」

「うん、私も隣で聞いていたから知っているけど念のため。足跡以外にも何かが落ちていたとかそういうのはない?」


 悠妃はラーメンを食べる手を止めてうーんと思い出すしぐさをする。


「車の方に集中していたから、見てなかったのかもしれないけど、なかったような気がするな」


 ミステリー小説でよく足跡のトリックが描かれているので、つい人の足跡を確認してしまうのが癖になっている朝妃は、昨日も現場に到着してすぐに痕跡がないか確認したがそれらしきものは見当たらなかった。ただ、悠妃が最初に燃えている車を発見してから十分ほど経過していたので、あの炎の勢いでは熱で周りの雪が溶けてしまい、足跡が消えたのかもしれない。


 どちらにしても、朝妃としては単なる事故だとは思えなかったのだ。というのも、車は車体の右側が石垣に激突して変形はしていたが、ガソリンタンクから出火するほどの衝撃には思えなかったからだ。


 小学生の頃に隣町で交通事故を目撃した経験があるが、その時の事故は悲惨なもので、スピード違反の車が赤信号のまま交差点に突っ込み、右折待ちをしていた軽自動車に衝突した。衝突された側の軽自動車は衝撃でひっくり返ってしまい、赤信号で突っ込んだ車は交差点左の電柱に激突したがこの時の衝撃はものすごいもので、いまも朝妃の脳裏に焼き付いている。


 スピード違反の車を運転していた男は死亡、軽自動車に乗っていた女の人は頭を強く打ち、意識不明の重体だとニュースで報道されていた。


 あのくらいの衝撃でも火災が発生しなかったのに、今回の事故程度で車は燃え上がったりするのだろうか。しかも、悠妃の話では、中の人は火の中でもがき苦しんでいたそうだ。その人物が山口先生だと思うと、思わず吐き気がして、胃の中の食べ物が逆流しそうである。そんな光景を偶然にも見てしまった我が妹は不幸だ。


 普通なら、車から脱出を試みるであろうに、運転席側のドアは石垣で開かなかったにしても助手席のドアは開けられたんではないか。それとも石垣にぶつかった衝撃で、腰や足を負傷して動けなかったのだろうか。


 そんなことを考えていると家のインターホンが鳴った。朋子が応答する。


「朝妃、翠くんよ」


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