第二章 その5
夜十時のコンビニは誰もおらず、羽鳥は二人分のホットコーヒーを購入して店を出た。雪は止んでいるが、手元のスマホには氷点下二度と表示されている。
車に戻った羽鳥は、運転席の笹本にコーヒーを渡す。
「すまんな」
「いえ、お疲れ様です」
羽鳥がシートベルトを締めると、笹本がアクセルをゆっくりと踏み込む。
「どう思う?」
コンビニの駐車場から出ると、誰もいない交差点の信号は赤だった。
「それは、車の炎上についてですか? それとも、もう一つの焼き跡についてですか?」
「両方だな」
信号が青になったので、笹本が再びアクセルを踏み込み車が発進する。助手席で羽鳥はコーヒーを口に含んだ後、「うーん」と唸る。
笹本はハンドルを器用に操作しながら山道に入っていく。
「そうですね。ただの事故としては車が炎上するほどのひどい衝突にも思えないので、誰かが火をつけたのではないかと思います」
「そうだな」
「あの車はガソリンタンクが左側にあるので、摩擦熱でガソリンに引火したとは考えにくいですね」
「それもゼロではないが、放火だろうな」
「しかし榎本悠妃の証言では、車が炎上している現場に来た際、車の周りには足跡はついていなかったと」
「ああ。そうなると問題はどうやって火を放ったのか。そしてどこから逃げたのか。だ」
里峰小、中学校の裏門を出たところは田んぼが一面に広がっているため、隠れる場所などないが、唯一、農機具を収容する倉庫がある。その倉庫の前でもう一つの火災が起こっていた。
「やっぱり裏門から逃げたんでしょうか」
「その可能性が高いだろうな」
裏門外の田んぼ道は非常に狭くて化学消防車が入ることができなかったので、いち早く火災に気付いた地元消防団によって鎮火された。幸い大きな火の手は上がっておらず、学校にあった消火器二本ほどで火は消えたとのことだ。
警察が駆けつけた時には、既に消防団の人や野次馬たちが裏門付近をウロウロしたことで、大量の足跡がついていた。もしかしたらこの中に犯人の足跡もあるのかもしれないと羽鳥は考えたが、その数があまりに多すぎてわからない。
そして、裏門から小学校の職員用通用口まで足跡が残っていたが、これは消防団のうち三名が、学校内に保管されている消火器を取りに行った時の足跡で、もしかしたらそこに犯人のものも混ざっている可能性がある。と警察は捜索したのだが、何せ、行きと帰りの往復で三人分、つまり例え犯人の足跡が残っていたとしても六回踏み荒らされた状態で、その中から犯人を特定するのは非常に困難だった。それに、消防団の人が履いている長靴の跡しか確認できていない。
一番始めに学内に入った消防団の人に、足跡がなかったかと尋ねたが、慌てていたので、覚えていないとの返答であった。それも仕方がないのかもしれない。なんせ、正門側は消防車の赤色灯の光や街灯もあるので、そこそこ明るいが、裏門側は照明たるものが一つもない暗闇だったからだ。農機具倉庫は裏門を出て少し左に進んだところにあるので、裏門の奥までは炎の明るさも届かないであろう。
「しかし、犯人が車に火をつけたあと、例えば学内を通って小学校側の職員出口から出たとする。そこから裏門に向かい、外に出て倉庫前にて火をつけた。その先は一体どこに……」
中学校校舎と小学校校舎は別々の建物ではあるが、渡り廊下で繋がっている。渡り廊下の出入り口の鍵も、内側からなら誰でも開閉できるようなものである。
「うーむ……。もしかしたら学内に戻ったのかもしれん」
「えっ、学内に⁉」
農機具倉庫の前で起きたもう一つの火災。火災というよりは
唯一の手掛かりが、犯人のものなのか全く不明だが、裏門付近に髪の毛が一本落ちていた。長さが二十五センチほどだったので、おそらく女性。それかパンクバンドのメンバーなどによくいそうなロン毛の男だろうか。でもこの町にそんな男がいたらかなり目立つであろう。少なくても羽鳥が知っている限り思いつく人物はいない。
もしかしたら、小学校や中学校の生徒、そして女性教諭のものかもしれないが、十六日は朝から雪が降っていた。もし、前日の金曜日に誰かが落とした髪だとしたら、上から雪が積もっているはずだ。
当日、バレーボール部が練習を行っていたそうだが、全員、正門から出入りをして、体育館と更衣室以外の場所には行っていないとのことだ。
あとは、第二の火災現場に駆け付けた野次馬の誰かが落としたのかもしれないが、消防団の人の話では、パーマをかけたおばちゃんが数名いたらしいとのことだ。まぁ、かなり混乱していたらしいから、消防団の人が見落としているだけで、他の女性もいたのかもしれない。
落ちていた髪はストレートの黒髪。それに、何となくだが、年配の人の髪質ではなく、羽鳥には若い人の髪のように見えた。
「犯人は焚火をおこしてから再び校舎に戻り人が集まって来るのを待つ。学校内だったら、隠れるところはたくさんあるだろうからな。騒ぎが大きくなってみんなが火の方に集中している隙に、野次馬に混ざったのかもしれん」
「あっ……! だからさっき野次馬について質問していたんですね」
先ほど、笹本は消防団の人に野次馬について詳しく質問していたようだ。
「だが、誰も野次馬の顔までいちいち覚えていない。ああ、そういえば一丁目の高橋さんがいた気がする。とかそんな感じだ。なんせ消防団以外にも二十人くらい集まっていたそうだからな」
「うーん二十人……」
羽鳥は頭を抱えた。
「第二の火災が発生したことから、車の炎上についても事件の可能性が九十パーセントくらいだろうな。別々だとしたらあまりにタイミングが合いすぎている」
困り顔の羽鳥に対して常に冷静な笹本は淡々と話す。
「ある者が車に近づくことなく火をつけた。もしくは、タイマーがセットしてあり、ある一定の時間になると発火する装置か何かをとりつけた」
「時限爆弾みたいな、ですか」
その時、笹本のポケットの携帯電話が鳴った。
「はい、はいそうか」笹本が電話を切る。
「どうしましたか?」
「農機具倉庫の中には、コンバインや田植え機、あとはスコップや
「じゃあ農機具庫の中に隠れていたという可能性はないということですね」
「いや、痕跡を残していないだけ。ということもあるだろう。学内の方も鑑識があちこち調べている」
「こんな夜遅くに……ご苦労様です」
「我々は一旦署に戻ろう」
夜の山道は街灯もほどんどなく、カーライトのみが頼りになる。十日町署まで帰るには山道を三十分ほど走り、その後は広大な田んぼを左右に分断するように伸びた道をひたすら進む。署につく頃には日付が変わりそうだなと羽鳥は腕時計を確認した。