「なぁ、卒業旅行行きたくねぇ?」
そう言いだしたのは、クラスリーダーの柊慈だった。
「卒業旅行? 中学生だけで行けるの?」
真っ先に喰いついたのはお調子者の菜子だった。卒業旅行という言葉に目をキラキラ輝かせている。
「まぁ、近場なら大丈夫じゃないか」
柊慈がニカッと笑う。
「どうせ行くなら南国がいいよね、ねぇ朝妃?」
菜子の質問に、手に持っていたミステリー小説から目線を彼女の方に移す。
「え?」
「え、じゃなくて。聞いていなかったの? 柊慈が卒業旅行に行きたいって」
「卒業旅行?」
「そう。どうせ行くなら暖かいところがいいよねー」
菜子は南国の海でも想像しているのだろうか。うっとりした顔をしている。
「お前、受験が終わった次の日からまたミステリー読んでんのか。ほんと好きだなぁ」
柊慈がそう言いながら朝妃が開いている本を覗き込む。
窓の外に雪がちらつく二月の上旬。昔ながらの石油ストーブを炊いた三年の教室には、クラスメイト六人がホームルーム開始までの時間を過ごしていた。
「っていうか南国は近場じゃないだろう。ここは新潟だぞ」
翠は鏡を見ながらワックスで固めたツンツン頭を丁寧に整えている。
「うーん、静岡とか神奈川まで行ったら?」
「静岡と神奈川は南国なのか?」
菜子の天然ぶりに呆れ顔の翠。
「ほら、湘南の海とかあるよね」
そう言われれば確かに南国な気もしてくる。
「それより温泉はどう? もちろん混浴の!」
「柊慈のバカッ。あんたはサルと混浴しときな」
鋭いツッコミを入れる愛奈未。ふっくらした丸い顔とチャーミングな二重瞼とは裏腹に、肝が据わっている愛奈未はクラスの母親的存在である。
「花蓮はどこへ行きたい?」
菜子の質問に花蓮が英単語帳のページをめくる手を止めた。
「私、まだ受験が終わっていないから」
「ああ、そうだよね。ゴメンゴメン」
豪雪地帯にある
「柊慈もまだ受験終わってないだろ」
窓際に座る翠が呆れた顔をしている。
「オレは大丈夫。天才だから」
「はいはい、天才ね。数学で二十点をとった天才ね」
愛奈未の言葉にえへへとひょうきんな笑い方をする柊慈。
「そういえば、柊慈はいつが受験だっけ?」
「柊慈は二十六日。花蓮は二十五日」
菜子の質問に本人ではなくしっかり者の愛奈未が答える。
「あーあ、全員で
菜子の言う通り、六人全員が同じ高校に進学する訳ではない。柊慈は、新潟市内の弓道の強豪校を目指しているし、花蓮に至っては、モデルになるために東京の高校を受験する予定である。
それ以外の四人は隣町にある私立章学館高校の受験を昨日終えたばかりだ。この集落には高校がないため、集落に残る場合はバスで一時間かかる章学館高校へ進学する他に選択肢はない。二番目に近い高校は公立高校だが、その高校に通うにはバスに乗って一時間、さらにそこから違うバスに乗り換えて十分。そこから徒歩三十分と、トータル二時間弱かかる。
春から秋の徒歩三十分はともかく、冬の雪道を三十分歩くのはかなり根気がいる。そのため少々学費が高くてもこの集落の子どもが受験をする際は大抵、章学館高校を選択する。
「結果発表までドキドキで眠れないよぉ」
菜子がそう言うとすかさず翠が
「絶対お前、夜九時には寝てそうだけど」
とツッコむ。
「ええー。九時って小学生じゃないんだから。九時半までは起きているよ」
「九時半でも小学生並みだよな」
菜子と翠のやりとりを遠回しに聞きながら、朝妃は楽しみにしていたミステリー小説を読み進める。受験の二か月前に小説を読んでいた朝妃はさすがに母に怒られた。
「あんた、答案用紙に犯人の名前書く気じゃないだろうね」
日頃から成績のいい朝妃とはいえ、一校しか受験しないのでさすがに落ちたらまずい。それで泣く泣く、まだ読み始めの小説を本棚に収めたのだった。
「朝妃、もうすぐチャイムなるよ」
愛奈未の声にふと顔をあげる。
「ああ、もうこんな時間だ」
教室の時計は八時二十四分を指している。二十五分から朝のホームルームが始まる。
キーンコーンカーンコーン
全国共通と思しき、何の変哲もないチャイムの音と共に担任の
「ちゃくせーき。ってみんな着席しているな」
山口は黒い大きなビニール袋を抱えている。
「先生、それ何ですか?」
真っ先に質問を投げかけたのは愛奈未だった。
「さて、何だと思う?」
山口はにやりと笑って、その大きなビニール袋を床に置いた。どうやら縦長のものが入っているらしい。
「あ、もしかして、先生の好きな桃ちんの等身大パネル?」
桃ちんとは、いま売れっ子のアイドル飯田桃花のことである。
「そんなもの学校に持ってくる訳ないだろう」
山口の呆れ顔にえへへと舌を出す菜子。
「ヒント、陸山の家からもらったんだ」
「えっ、オレん家?」
翠の家は造園業を営んでいる。この辺りは古い日本家屋が多く、立派な日本庭園がある家も多い。そんな庭の剪定を主に行っているのが、陸山造園だ。剪定以外にも野菜や花の種、苗木などを販売している。
「苗木じゃないですか?」
朝妃がそう答えると、山口の眉がぴくりと動く。
「ほほう、さすが榎本だ」
「今日、登校した際に、正門近くの花壇の土が掘り返されているのを見ました」
「観察力に優れているな。正解だ」
そう言いながら、山口は黒いビニール袋の中身を取り出した。出てきたのは、白い植木鉢と高さ一メートルほどの苗木だった。
「あ、それもしかして」
植物に詳しい翠は苗木を一目見てピンときたらしい。
「モクレンじゃないですか?」
「その通り、さすがは造園屋の息子だな」
朝妃はモクレンという名称を聞いて、確かおじいちゃんの家にモクレンの木があって、三月くらいに紫色の花を咲かせていたな。と思い出した。
「その木を植えるんですか?」
朝妃の質問に山口が頷く。
「ああ、卒業記念に植樹をしたいなと思って」
「でも先生。校内に植えてもここって閉鎖されてしまうんですよね?」
柊慈の質問に対して山口はいいやと否定する。
「まだ決定してないけど、完全に閉鎖される訳ではなくて、グラウンドで町民のゲートボール大会を行ったり、体育館を解放して何かイベントに利用したりするらしいぞ」
それを聞いた朝妃は、グラウンドはともかく、あの古い体育館がいつまで使用できるのか少々心配になった。恐らく築四十年は過ぎているであろう里峰中学校の体育館は、屋根のペンキが剥がれ落ち、壁は黒ずんでいる。校舎も同じく、コンクリートの壁にあちこちにヒビが入り、空き教室にはひどく埃がたまっている。
「陸山さんが話していたけれど、モクレンは初心者向けでそんなに手がかからないそうだ」
「確かに、モクレンはそんなに手がかからないはずです」
翠の発言に山口が頷く。
「そうそう、ネットでも初心者向きって書いてあった。最初、苗木の間は水やりが必要になるけれど、根がはったら水やりの必要もないらしい」
朝妃は今朝見た正門近くの花壇を思い出す。春から秋にかけては鮮やかな花々が植えられている花壇だが、冬の間は一メートル近い雪に覆われ、花壇があることなど忘れてしまう。その雪を土まで掘り返すだけでもかなりの大仕事だ。
「昨日土を掘ったのですか?」
「そうだ、昨日は難儀したよ。いやー正門前の雪かきに加えて花壇の雪を撤去していたら腰が痛くなった」
山口は二年前にこの学校に赴任してきたが、それまでは東京にいたらしい。
そのため、雪かきという作業はまだ慣れないといつも言っている。
「こんな冬に植樹して大丈夫なんですか」
愛奈未の疑問に、さらに山口が答える。
「これもネット情報だが、モクレンの植樹は一月から三月が最適らしい。陸山、どうだこの情報はあっているか?」
山口が翠に視線をやると、彼は「多分」と答えた。
「残念ながら、そこまで細かいことは知らないっス」
「そうか」
「でもオレの母ちゃんが渡したということはそういうことなんでしょうね」
「あの……」
さらりと長いストレートの髪をなびかせ、いつもと変わらず無表情のまま右手を少しだけ上げる花蓮。
「なんだ、木下」
「私はまだ受験が終わっていないのですが……放課後に行うのですか?」
「そうだよな。木下はまだ受験勉強で忙しいよな。でも安心してくれ。今日の三限目、現代文の時間を植樹の時間にあてるから」
山口は現代文と古典、体育と美術を担当している。普通は中学校になると一教科につき一人の先生が担当するが、小さな里峰中学校には教頭、校長以外の先生が四人しかいない。一年の担任、倉橋と二年の担任の辻。三年の担任、山口。そして教務の井上の四人である。たまに教頭先生が教壇に立つなんてこともある。
「やった、三限は勉強しなくていいんだ!」
お調子者の菜子が喜ぶと山口が苦笑いする。
「今回だけだからな!」
今日もまるで彫刻のように美しい花蓮の顔を朝妃は一瞥する。
花蓮の家はシングルマザーで父親はおらず、母と娘の二人暮らしだ。
小学三年の頃に東京から引っ越してきた花蓮の美貌に、町の人々は
「あっきゃー、えらいのが引っ越してきたな」
町の人たちは一体なぜこんな辺境の地に美しい母子二人が引っ越してきたのか、ああだこうだと噂を立てたが、単純に花蓮の母が田舎好きだという理由だと聞いた。
お金には特に困っていないのか、築十年ほどの中古物件とその横に広がる休耕田を買い取り、田んぼではなく畑として耕して、様々な作物を育てている。
これもまた噂話ではあるが、花蓮の父は弁護士で、離婚した後も養育費を月に二十万ほど振り込んでいるらしい。
「では、今日の三限はモクレンの植樹ということでよろしく」
ホームルームが終了し、一限目の日本史の授業が始まった。
雪は止んでおり、チャイムと共に六人は下駄箱で靴を履き替え、外へと出た。凛と空気は澄んでいるが、太陽は見当たらず、分厚い雲に覆われた空に何羽かのトラフズクが飛んでいる。
「うーん、今日も寒いね」
菜子は顔の中央まで毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにしており、目しか出ていない。朝妃と柊慈はスコップを持ち、山口が苗木を抱えている。
「ついでにタイムカプセルとか埋めてもいいかもね」
愛奈未の提案に、ああ、と返事をしたのは翠だ。
「それ、今朝の時点で言うべきじゃね?」
「だって、いま思いついたんだもん」
話を聞いていた山口が振り返る。
「タイムカプセルもいいな。それは植樹が終わってからまた考えようか」
正門横の花壇に辿り着き、山口が苦労して掘った穴に苗木をそっと置く。掘り返した土を朝妃と柊慈がスコップで根っこの上に優しくかけていく。
「よし、陸山、例のやつ出してくれるか」
翠が手にしていた麻袋から取り出したのは、プラカード状の白い板に『里峰中学校 令和五年 卒業生』と書かれたものだった。
山口が鋭く尖った棒を土にぐいぐい差し込んでいく。
「閉校した後ってどうなるんだろうな……」
柊慈がポツリと放った言葉に、朝妃は閉校後の学校の様子を思い浮かべる。
「さっき先生が言ってたじゃない。グラウンドや体育館は利用するって」
「そうだとしても、いつもいつも人が出入りする訳ではないんだろう」
「うーん、まぁそうだと思うけど」
「校舎は解体すんのかな?」
コンクリート造りの校舎はひどく黒ずみ、正門はペンキがはげて錆びた鉄がむき出しになっていた。
「どうだろう。もし解体するとなってもこの木だけは残して欲しいよね」
朝妃の言葉に柊慈が頷いた。
新潟の冬は長い。北海道に比べればましなのだろうが、日照時間が極めて少ない。曇り空の日が何日も続き、雪が降ったりやんだりを繰り返す。
小学生の頃は雪が降ると傘をさしていたが、だんだん面倒になり、セーラー服の上からフード付きのパーカーを着るようになった。花蓮と柊慈以外の四人が受験した章学館高校の合格発表日が明日に迫っていた。
「ああ、いよいよ明日だよぉ」
菜子は今更、赤本を開いて自分の書いた答案が合っているのかどうか調べている。
「もう何度も答え合わせをしたんだから大丈夫だって」
愛奈未が呆れ顔をしている。章学館高校は私立だが、偏差値は五十八と決して高くない。田舎に住む四人は通学の距離を考えると、この章学館高校以外受験できるところがないので、四人とも一本勝負である。つまり落ちたら中卒浪人生になる。
「早く、大学生になって一人暮らししたいな。いいなー柊慈は一人暮らし」
菜子の羨望の眼差しに対して柊慈は、いやいやと否定する。
「オレは一人暮らしじゃなくて寮だから狭い部屋に四人詰め込まれるだけだぞ」
弓道の強豪校、
「四人かー。ちょっとそれは勘弁」
「なんか柊慈が男臭くなりそう」
愛奈未の言葉に「なんだと」と返す柊慈。
「私は高校で何部に入ろうかなぁ」
この里峰中学校には男子バレーボール部と女子バレーボール部しか存在せず、男女合わせても部員は十二人しかいない。夏の大会までは、愛奈未と翠がバレー部に所属していた。高校に入れば部活の選択肢が一気に増えるとワクワクした様子の愛奈未は既に合格を確信しているらしい。
「朝妃は何部に入りたいの?」
「ミステリー研究会」
愛奈未の質問に朝妃は即答する。
「ええっ、ミステリー研究会なんてあるの?」
「いや、多分ないから私が立ち上げるかも」
十二月のオープンキャンパスに朝妃、愛奈未、菜子、翠の四人で参加した。朝妃がその時、ミステリー研究会はありますか? と質問すると、先生たちは首をかしげた。
「朝妃が部長?」
「でも一人だったら部として認可されないかな」
朝妃が苦笑いする。
「じゃあ、部員を集めないとね」
「菜子と愛奈未は入ってくれるよね?」
菜子と愛奈未は顔を見合わせて、
「み、ミステリーはちょっと」
「私は体育会系がいいから!」
「冗談だよ」
「朝妃が冗談言うなんて珍しいね」
窓の外はいつの間にか吹雪になっていた。その様子を見ていた翠が
「お前ら、部活以前にまず合格だろ」
とツッコミを入れる。
お調子者の菜子にしっかり者の愛奈未。みんなにツッコミを入れる係の翠。クラスリーダーだけど適当な柊慈。頭脳明晰ミステリーオタクの朝妃。そして……美しいけれど無表情の花蓮。
クラス六人それぞれちゃんと役割分担が決まっている。
「あ、それで卒業旅行の話なんだけど……」
「だから、まだ全員高校への進学が決まってないのになんでそんな能天気なんだ!」
柊慈の言葉を遮るように再びツッコミを入れる翠。皆の会話が聞こえているのか否か、一人参考書をじっと見つめる花蓮。
「花蓮はどう? 受かる自信ある?」
やはり能天気な質問を投げかける菜子。その質問に少しだけ眉をひそめた花蓮は「問題ないよ」とだけ答えた。
「花蓮は成績優秀だからいいの! あんたはあんたの心配をしなさい!」
愛奈未の言葉にはーいと拗ねたように返事する菜子。
あと一ヶ月と少しで卒業式を迎える。その事実に少し胸の奥が痛む朝妃は、いままでの小学校生活と中学校生活を思い返してみた。
小学校の入学式には花蓮を抜いた五人が参加した。小さな町なので、入学時点で既に全員顔見知りで、幼い頃から鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいた仲だったのですぐに打ち解けた。
小学三年生の時に花蓮が東京から引っ越してきて、クラスは六人に増えた。その時から花蓮の美貌は健在で、おもわず見惚れてしまった朝妃は、最初どこかの国のお姫様がやって来たのかと思ったほどであった。
言葉数が少なくあまり社交的な性格ではなかった花蓮だが、次第に六人は打ち解けていく。誕生日パーティーを行ったり、トランプ大会やゲーム大会を行ったりと楽しい時間を過ごしてきた。
柊慈と花蓮がこの町を去る。あと残り僅かな中学生活を大切にしようと朝妃は心に決めた。