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第26話

 ふと、現代でのできごとを思い出す。

 ――百瀬さん。彼女が、あなたからパワハラを受けたと言っているんだが。

 ある日、部下を注意した私はパワハラで訴えられた。

 私は、そんなつもりはなかった。でも相手は、私の言葉に責められたと感じて心を痛めた。

 あのときと同じだ。

 つまり、私のほうが彼の態度に過剰に反応してしまっていただけなのだ。

 彼自身は何気なく放った言葉でも、言いかたや鋭い視線、整った顔が相まって、違う受け取られかたをしてしまう。

 受け取りかたは、相手による。発信したほうにはどうにもできない。

「そっか。そうだったんだ……」

 パワハラを訴えられたとき、私は理解ができなかった。いや、今でももちろん納得はしていない。でも、少しだけ、訴えてきた彼女の気持ちも、理解できた気がした。

 彼もまた、あの頃の私と同じように、どうしたらいいのか分からなくなっているのかもしれない。

 考えていると、テオが静かにしゃべり出した。

「俺はもちろん、じぶんの非を否定するつもりはない。彼女たちには申し訳ないことをしたと思ってるし、噂を流されたこと自体にも怒ってない。男色だと思われることがいやってわけでもない。ただ……」

「ただ?」

 テオは静かに目を伏せた。

「今回のことで真に傷付いているのは、俺よりも実際男色であるひとたちだ。俺はそれが許せない。まるで、ばかにしていいもののように騒がれて」

 テオはそう言って、奥歯を噛んだ。

 ハッとした。

「…………たしかに、そうだよね」

 見落としていたけれど、テオの言うとおりだ。この噂で傷付いているのはテオだけじゃない。

 本当に傷付いているのは、もっとほかにいる。しかもそれは、ひとりやふたりではないだろう。そういったマイノリティを持つひとたち全員が、この噂の見えない被害者なのだ。

 男色について、テオはそうではないから違うと断言できる。けれど、実際そうであるひとたちは否定ができない。どんなにばかにされても、からかわれても。

 笑って流すか、じぶんの心を偽り、いっしょになってばかにするか。

 でないと世間に拒絶されてしまうから。

 テオが怒っているのは、じぶんを傷付けられたからではなかったのだ。

 私は目を伏せた。

「……テオはすごいなぁ。私、ぜんぜんそこまで頭が回らなかった」

 呟くと、テオは少し意外そうな顔で私を見る。そして、「べつに、ふつうだろ」と恥ずかしそうに頭を搔いた。

 噂には、実態がない。だからみんな侮ってしまうけれど、ばかにできないし、してはいけないことだと思う。

 噂の核になったひとからすれば、それはいじめと同じことだからだ。いや、下手したらそのひとだけの話じゃなくなる。今回のように。

 無責任な噂というのは、ときにひとを殺す凶器となりうる。

 現にローズマリーは、根拠のない噂のせいで無実の罪を着せられ、牢獄にいる。

「そのとおりだ。だから俺は、できることならこの噂の火消しをしたい。でも、だからといって無闇に当事者の俺が騒ぐともっと大事になりかねないし……それに俺が出しゃばったところで、否定できる要素もないしな」

 そう、テオはうなだれる。

「否定できる要素?」

 首を傾げると、ルドヴィックが代わりに言った。

「彼女でもいれば、そんな噂すぐに消えるだろ? でも、テオは女ぎらいだからな。彼女がいないんだ」

「じゃあ、彼女のふりをしてくれるひとを探すとか、どう?」

「それは俺も考えたんだけど、でもそうすると協力してくれた女性がテオの知らないところでいやがらせを受ける可能性がある」と、ルドヴィックが言う。

「あぁ……なるほど」

 モテるひとは注目を浴びる分、見た目にも言動にも細心の注意を払う必要がある。少しでも発言を間違えれば、すぐ悪意を向けられるからだ。華やかな人間ほど、炎上しやすいのだ。

 とはいえ私はこれまで、現代にいた頃を含めてもモテたことなんてなかったから、あくまで想像でしかないが。

「うーん、難しいね……」

 唸っていると、ルドヴィックが突然閃いたように声を上げた。

「あっ! それじゃあいっそ、アルルのことを彼女だって紹介するのはどうだ!?」

「アルル? だれそれ?」

 私は首を傾げてルドヴィックを見る。

「お、おい、ルドヴィック! その話は……」

 と、テオが慌てて止めようとするが、ルドヴィックは、

「大丈夫だよ。ローズマリーはひとの好きなものを笑ったりするようなやつじゃない」

「それはそうかもしれないけどさ……」

 テオはちらりと私を見る。そしてすぐに気まずそうに私から目を逸らした。頭のうしろを搔きながら、「いや、その……」と言葉を濁す。

 テオはそのまましばらく迷うように目を泳がせていたが、やがて観念したように話し出した。

「……実は俺、ペットを飼ってるんだけど」

「ペット?」

 どんなことを言われるのかと身構えていたら、ペットとは。

「魔獣で……名前がアルルとシェルっていうんだけど」

「えっ、魔獣っ!?」

 当たり前のように猫や犬を想像していた私は、『魔獣』という言葉に思わず目を丸くした。

 そして思い出す。そういえば、ここは異世界なのだった。

 これまではじぶん自身に余裕がなく、牢獄の外の世界のことを考えたことは一度もなかったけれど。

 魔獣がいる。私の知らない生き物がいる。考えただけで、途端に牢獄の外に興味が湧き出した。

「えーっ!? なにそれ素敵!」

「す、すてき?」

「うん! ねぇ、テオ! 魔獣ってどんな感じなの?」

「えっ……?」

「私、魔獣って見たことないから。ふわふわしてるの? それともなんていうかこう……厶キッてして、いかつい感じ!?」

 私は現代世界のアニメで見たことのあるドラゴンをイメージしながら、前のめりにテオに訊く。

 ……が、私はテオの表情を見て我に返った。

 テオは、ぽかんと口を開けて私を見ていた。

 あ、と思う。これは、やってしまったかもしれない。

「……ご、ごめん! もしかしなくても私、すごい不謹慎だったよね……!」

 私は慌てて口を噤んだ。しかし、怒られるかと思った矢先、テオはなぜかふっと表情を緩ませた。

「……テオ? なに笑ってるの?」

 私は不安になって、ルドヴィックを見上げて訊ねる。ルドヴィックも心配そうにテオを見つめる。

 すると、テオが呟いた。

「……本当だ」

「え?」

 困惑する私を見て、テオがふっと息を吐くように笑う。

「ルドヴィックの言うとおり、噂はあてにならないっていうのは本当だなって思ったんだよ」

 テオはそう言って、ぽかんとしたままの私を見て微笑んだ。

「……はじめてだったんだ。女性に魔獣が好きだって言って、引かれなかったの」

 え、と思って私は首を傾げる。

「……引くって……なんで引くの?」

 疑問に思って訊ねると、テオが困惑したような顔を私に向けた。聞き返されると思わなかったのだろう。

「……いや、だって、俺くらいの年齢だと、ルドヴィックみたいに結婚して、家庭を持つのがふつうだろ? ほとんどの同世代がそうしてるし。それなのに俺は、恋人も作らず、休みの日も魔獣の世話ばかりしてるから……。昔は魔獣の話をしても違和感はなかったんだけど、大人になるにつれて、みんなそんなことより結婚は? って言ってくるようになってさ」

 それだから、最近はルドヴィック以外にはそういう話もできなくなってたんだ、とテオは言う。

「正直、ずっと不安だったんだ。俺、このままでいいのかなって」

 呟くテオは、うなだれていた。

 テオの真の悩みは、このことなのだろう。


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