「それで、ローズマリーのほうは、なにか変わったことはあるか?」
ひとまず進捗報告と方針を話し終えたアベルが言った。
「私? うーん」
ローズマリーとしての牢獄生活が始まって、一週間。
私の近況は、今のところ特に変わりはないが。
ふと、例の花が視界に入った。
いや、あった。ひとつだけ。
「……さっきの話に戻るけど、友だちができたことは大きな変化かも」
「友だち……」
牢獄から出られない私にとって、最近の変わったことといえば、牢獄付き監視官であるルドヴィックと仲良くなったことだ。
ルドヴィックとエミリーさんの夫婦喧嘩を解決して以来、ルドヴィックはよく私に話しかけてくれるようになった。
「……例の監視官か」
アベルがちらりと花へ目を向け、言った。
「いつか、無罪になってこの牢獄を出られるときがきたら、エミリーさんと三人でお茶会をしようって話してるんだ」
そんな日が来るだろうか。これからこの身がどうなるか分からないけれど、来るといい、と思う。心から。
アベルは飾られた花をじっと見つめている。
「……アベル? どうしたの?」
声をかけると、ようやくアベルは私に視線を戻した。
「俺は花に詳しいわけではないが……緑色の花は、とても希少だと聞いたことがある」
「えっ、そうなの?」
言われて私は花を見る。たしかに、緑色の花というものを、初めて見たかもしれない。
現代にいた頃もそれなりに花は好きだったけれど、緑色の花びらを持った花は見たことがなかった。
「この王国において緑の花は、幸運の象徴でもあるしな」
「へえ……」
「これを贈られたということはきっと、それだけローズマリーの言葉が響いたってことなんだろうな」
ストレートに褒められ、私は唇を引き結んだ。
「……そうだったんだ」
知らなかった。
ルドヴィックとエミリーの想いを間接的に知り、胸があたたかくなる。
「……実は私ね、ここへ来た頃はちょっと疲れてて……働かなくていいこの牢獄生活を満喫してた。けど、やっぱりつらいなって気付いたんだ」
ここは牢獄。陽の光どころか雨漏りするような薄暗い部屋のなかだ。そんな場所で、四六時中やることもなくじっとしていなきゃいけないというのは、精神的にくるものがある。
「最近ルドヴィックと話すようになって、それを思い知ったんだ。いちばんのきっかけは、アベルだったけど」
「……俺も?」
アベルが意外そうな顔をした。
「そりゃそうだよ」
そもそも、アベルがキャンディの件を知らせてくれていなかったら、私はルドヴィックとこうしてかかわることはなかっただろう。
「私、はじめはひとりで頑張るつもりだった。でも、アベルが気にかけてくれて、それからルドヴィックと知り合って気付いたんだ。あぁ……私って、本当は寂しくて不安でたまらなかったんだなぁって」
「…………」
アベルはしばらく押し黙ったあと、「そうか」とひとことだけ呟いた。そのたったひとことでも、彼が私を気にかけてくれているのが分かる。
アベルは口数こそ少ないが、その少ない言葉のなかに優しさが滲んでいるのだ。
――でも、あの子は。
私は心のなかで、入れ替わったローズマリーのことを思う。
私の場合は、早いうちにアベルやルドヴィックと打ち解けることができたからよかったけれど……。
ローズマリーは、ずっとここでひとりぼっちだったのだ。
頼れるひともいなくて、それどころか国中のひとたちが敵で。当時の彼女は、どれだけ孤独だったのだろう……。
彼女のことを思うと、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。
今、私はローズマリーだ。彼女と同じく、囚われの身であることに変わりはない。だが、私には、私の無実を晴らすために動いてくれるアベルがいる。ときおりふらりとやってきては、他愛のない話の相手をしてくれるルドヴィックがいる。
それは、どれだけありがたいことなのだろう。
ひとと話すことは、大切だ。
孤独は、毒である。ひとの心を蝕む。
この牢獄へ来て、私はそう自覚した。
ふと、アベルが立ち上がる。
「行くの?」
声をかけると、アベルは小さく頷き、「また来る」とだけ言って牢獄を出ていった。
***
アベルが去ってしばらくした頃。
「よう。元気か? ローズマリー!」
ベッドに寝転がっていると、気さくな挨拶が飛んできた。
私はぱっと飛び起きて声のしたほうを見る。
「ルドヴィック!」
やってきたのは、ルドヴィックだった。噂をすればなんとやら、だ。
ベッドから立ち上がり、檻のほうへ向かう。
「あれっ、ルドヴィック、もしかしてそれ私服? かっこいいね!」
「だろ? この前エミリーと街に行ったとき、いっしょに選んだんだよ」
「へえ!」
やってきたルドヴィックは、いつもの監視官の制服ではなく、シャツに刺繍入りベストと茶色のパンツを合わせたラフな出で立ちをしていた。仕事上がりなのだろう。
この世界ではこういった服が大衆服なのだとルドヴィックは以前言っていた。こういう格好をしたルドヴィックを見ると、あらためて異世界に来たのだなぁと実感する。
服の刺繍や色や合わせかたひとつとっても、現代ではあまり見ない柄や組み合わせなのだ。
「それで、どうしたの? ルドヴィック、もう仕事は交代の時間でしょ? こんな時間に来るなんて珍しいね」
「いやぁ、実はな、今日はローズマリーに会わせたいやつがいるんだよ」
あらためて訊ねると、ルドヴィックはどこか嬉しそうに言った。
「私に会わせたいひと……?」
首を傾げると、ルドヴィックが牢の入口のほうへ向かって大きく叫んだ。
「おーい、テオ! こっちだって! なにしてるんだよ、早く来いよ!」
牢の入口へ目を向け、大きく手を振っている。
その直後――。
「おい、ルドヴィック! なんだよ、これ。相談する相手が罪人だなんて聞いてないぞ!」
――相談?
首を傾げて声がしたほうを見るが、牢の廊下は暗く、目を凝らしてもよく見えない。
「ったく、なんで俺がこんなところに……」
暗闇のなかには、コツコツという足音と、どこか苛立ちを含んだ声だけが響いている。しばらく暗闇に目を凝らしていると、ふと、なにかが見えた。人影を認識した直後、闇を縫うように青年が現れた。
青年は、淡い灰色の騎士服を着ていた。
「……騎士?」
ふと、アベルとの会話を思い出す。
アベルは以前、王宮騎士にも階級があるのだと話していた。騎士の服にかかわらず、この王国では、色が薄く、そして光沢が鮮やかになるほど上級となるのだという。灰色はたしか、上級騎士を表す色だとアベルが言っていた気がする。
ちなみにアベルの騎士服は純白だ。最上級騎士である。一方で、青年は淡い灰色。アベルの次くらいに上位の騎士ということになる。もしかしたらこの青年は、アベルの直属の部下なのかもしれない。